死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

「畜生道」と「色情地獄」に墜ちる現代人が非常に増えている 

2007-04-27 | 現代人が堕ちやすい畜生道と色情地獄
正太 「これはいずれ詳しく話すけれど、動物の魂というのは、無色透明じゃなくて、一定の魂の傾向性というものが刻印されているんだね。だから、人間として生きていながら、ある特定の動物の傾向に強く似てきた人は、その動物たちの地獄に行くことがあるということなんだ。
 たとえば、蛇だったら、猜疑心が非常に強く獰猛で攻撃的、といった傾向性が刻印されていて、魂の自由性を発揮した結果、そうした偏りを持ったものたちが、蛇という姿で地上に現れてきているんだね。狐だったら「人を騙す」「嘘をつく」という傾向性、それと狐には「おいしいものを食べたい」という食べ物系でなかなか満足しない貪欲さもあるんだよ」

勇二 「そういえば「狐が人を騙す」って話は、日本だけじゃなくて、西洋の寓話とかにもあるね」

正太 「うん。それと、強壮剤でよく蛇の粉末が使われているように、蛇や狐というのは性欲、情欲が非常に強いことも特徴なんだね。だから、この畜生道では、色情霊として狐や蛇の姿に変化している人間がかなりいて、水商売系では、そうした狐や蛇の霊がホステスに憑いていることも多いんだよ。それは、純粋な動物霊の場合もあるんだけど、今言ったように動物の姿に変化している人間霊の場合も多いんだ。狐が憑いた女性なんかだと、目がほんとに狐っぽかったり、霊感のある人が見たら、背中の後ろで尻尾がユサユサ揺れてる、のもわかるんだね」

勇二 「うーん、実感だね。といっても、僕はおつきあいで行ったことがあるぐらいだけど(笑)、でも人間が、動物霊になったり、憑かれているというのも、情けないというか怖いことだよね」

正太 「また、さっき言った稲荷信仰や水神信仰で、人間の欲念に感応して出てくる狐や蛇の場合も、実はそうした「元人間」がかなりいるんだね。純粋な動物霊というのは、話せても「はい」か「いいえ」ぐらい、返事をしても「マル」か「バツ」の二つくらいで、明確な言葉が話せないんだけど、「わしは稲荷大明神じゃ」なんて言って出てくる狐は、昔、人間をやっていた霊なんだね」

勇二 「ふーむ、言葉が話せる動物霊は元人間か」

正太 「それと、この畜生道の近所に色情地獄があるんだね。この地獄は生前「性的快楽こそが人生最高の喜びだ」といった価値観で生きた人がいく世界で、現実に乱れた男女関係にあった人や、行為はなくても心の中がいつもエッチな妄想で渦巻いていたような人がいく世界なんだ。
 ただ、これも誤解がないように言っておくけど、「性的関係は、すべて色情霊を呼ぶもので、悪だ」というわけではないんだね。正常な夫婦間の性生活の場合、行為としては同じでも、色情霊は寄ってこないんだね。不思議だけど、心得ていてこないんだ。ただ、正当な夫婦関係があっても、少し異常性があったり、やや常軌を逸したような性生活をしていると、寄ってくることがたまにあるんだけどね。
 だけど、商売がらみの場所で遊んでいると必ず来るし、邪で周りの人々の祝福を受けられないような性的関係も、色情霊を呼びやすいんだよ。
 色情地獄の中には有名な「血の池地獄」なんていうのもあって、これなんかは、びっくりするかもしれないけど、心の中に色情地獄をつくっている女性や、歓楽街なんかで働いている女性の子宮の中にできているんだね。子宮のドボドボの血の池の中で、小人みたいにちっちゃくなった男女の色情霊たちがミミズみたいに絡み合っているわけなんだ。
 こうした中で、自分たちが目指してきたものが、実はこのように苦しく醜いものだったということが、十分わかるまで経験させられるんだよ」

勇二 「ウェーっ、ホントかい。なんだか気持ち悪くなってきたな」

正太 「言っておかなくちゃいけないのは、「現代人の半分以上は地獄に堕ちている」という現実があるんだけど、中でもこの「畜生道」と「色情地獄」に墜ちる人間が非常に増えている、ということなんだ」

勇二 「うーん。まあ、聞いていると、わかる気もするな。とにかく欲望社会ということで、金だ、セックスだ、ギャンブルだ、食い物だーで、欲望や本能、快楽の方向にのめりこんでいる人は多いからね。ヘビみたいに執念深く恨んだり、妬んだりしてるのもけっこういるだろうしね」

正太 「だから、悪霊による憑依の中でも、そうした動物霊(といっても元人間が多いんだけど)の類に憑依されている場合も多いんだね。
 たとえば、リューマチなんかで「足がいつも冷えて困る」という人の場合には、蛇の霊などが足にグルグル巻きついていることがよくあるんだね。
 また、慢性的に頭痛がする人、いつも「頭が痛い、痛い」といっているような人の場合も、それこそ、頭に鉢巻きでも巻いているように、長い蛇の霊が頭に巻きついていたりするんだね。あるいは、狐などの霊が、前足でピッと頭を挟んでいたりするんだよ。それから「肩や首のところが、普通でない形でいつも痛んでいる」という人は、これは動物の霊に限らないけど地獄霊が乗っていたりするし、腰なんかの場合も同様だね」

人間が動物の姿に変化している「畜生道」とは?

2007-04-26 | 現代人が堕ちやすい畜生道と色情地獄
勇二 「そうか、祈りというのは電話をかけるのと同じなのか。じゃあ、電話番号を間違えないようにしないとね。「悪魔に直通」なんていうんじゃ怖いからね。…えーと、さっき、君は、動物霊の障りには二種類あるといったけど、もう一つというのはなんなのかい?」

正太 「うん。あの世の地獄界には「動物界」別名「畜生道」というところがあるんだね」

勇二 「畜生道? ああ、さっき君が言ってた、迷っている動物の霊がいる世界のこと?」

正太 「そうなんだけど、なんと、ここに墜ちている人間もたくさんいるんだよ」

勇二 「えーっ、人間が動物のいる地獄にいるわけ?」

正太 「そう、ここでは動物の姿をした人間がたくさん生活しているんだ。たとえば、芥川龍之介の小説で「杜子春」というのがあるけど、この中で、畜生道に墜ちた人間が描かれているんだね」

勇二 「杜子春って、たしか中学のとき国語の教科書に載ってたね。内容は忘れてしまったけど」

正太 「主人公の杜子春の両親が畜生道に墜ちていて、顔は人間なんだけど体が馬になっていたんだね。この地獄では、体が馬で顔が人間、体が豚で顔が人間といった姿になっていて、体だけでなく顔も動物に変わってしまっている人も数多くいるんだ。昔、人間だった老婆がそれこそ大蛇になってしまって、のたうちまわっていたり、そうした蛇たちがときどき地上に出ていっては、生きている人間の首や腰に抱きついたり、といった光景が展開しているんだよ」

勇二 「うーわ、まるでホラー映画の世界じゃないか。なんで、そんな動物の姿なんかに人間が変わってるのかね。あの世は、心がすべて、想念がすべての世界というから、この世で生きていたときに、なにか動物に近いような心で生きていたということなのかい?」

正太 「そうなんだよ。ここに墜ちている人たちというのは、この世にいたときに、人間としての心を見失って、動物のような生き方をしていた人たちなんだね。人間としての尊厳を忘れて、本能や欲望のおもむくままに生きた人たち、煩悩に振り回されて生きた人たちの末路なんだ。欲望のままに生きるような生き方は、動物の生き方と変わらないんだね。だから、そういう動物の姿をとって反省の期間を迎えることになるんだ」

勇二 「本能や欲望のままに生きた、…うーん、厳しいね」

正太 「たとえば、猜疑心が非常に強く、残忍で、執念深い人、しつこくしつこく人を妬み、恨んでいる人、あるいはお金に執着して他人に意地悪をしつづけてきたような人は、体が蛇のようになっているし、人を騙すことばかりに汲々として、自分だけの利益を考えているエゴイストは狐の姿になっているんだね。また貪りの気持ちが強かった人や、怠惰な生活をしてゴロゴロしていた人なんかはブタの姿に変わってしまっているんだ。結局、「品性の低さが人間の姿を動物に変えてしまう」ということなんだよ」

勇二 「ふーむ。でも、心のあり方しだいで、変化する動物の姿が違ってくるというのはどういうことなんだろう?」

 

日本で動物霊の障りが多い理由 

2007-04-25 | 現代人が堕ちやすい畜生道と色情地獄
正太 「そうそう。昔風にいえば「ダッコちゃんスタイル」でしがみついていることが多いんだね。霊が憑依してくる部分というのは、そこに何か引っかかりがあるんだよ。つまり、鬱血していて疲労素や痛みがあるような箇所というのは、霊的に見ると、そこに暗い陰りができているんだ。それは、ちょうど東洋医学でいう「つぼ」のあたりなんだよ。動物霊が憑依する箇所なんかは、それとよく似たところなんだね」

勇二 「動物霊? というと動物もやっぱり霊なのかい?」

正太 「もちろん動物も霊なんだよ。まあこれもここで説明しだすと長くなるけど、動物霊の障りというのは二種類あるんだね。ひとつは純然たる動物の霊で、動物も生まれ変わりをしているし、善と悪ぐらいは勉強するようになっていて、幸せに死んだ動物は天界のほうに還っているんだけど、恨みとか悲しみ、苦しみのもとに死んでいった動物たちは地獄に墜ちているんだね。そうした迷っている動物たちが、人間の「欲」の部分に感応してきて、いろいろな障りを起こすということがあるんだ」

勇二 「そういえば、昔からよく「狐が憑いた」とか「ヘビが憑いた」とか言うよね。あれは一体なんなのかね?」

正太 「まあ、そこまで話を広げていくと脱線するけど…」

勇二 「いいよ、いいよ。これまでも脱線する度に、理解が深まってきた気がするんだなー」

正太 「相変わらず乗せるのがウマいね。それこそ「つぼ」を外さない(笑)。えーと、日本で、動物霊の障りが多いのは、いろんなかたちで動物霊を信仰していることが大きいんだね。特に、狐とか蛇の類の現象が多いのは、稲荷信仰や龍神あるいは水神信仰が盛んなのと関係があるんだよ。
 「お稲荷さん」とよんで狐を祀ったようにしているけど、このお稲荷さんの正体が何かというと「稲荷大明神」といって、動物たちを指導したり訓練する役割の高級霊のことなんだね。動物たちの魂の修行が進むように先生役をしている役割の方があの世にいるんだ」

勇二 「へーえ、まるで動物王国のムツゴロウさんみたいだね。そんな人があの世にもいるんだ」

正太 「稲荷大明神というのは役職の名前で、そうした役割をしている人が一人だけじゃなくて、たくさんいるんだね。そして、実際、「狐として最高度に進化した霊たちが、霊界で稲荷大明神の使いとして働いている」という事実はあるんだよ。
 ところが全国の稲荷神社などでは「動物たちの先生役をしている神様を祀る」ということはしていなくて、「あれが欲しいので叶えてください」とか「これを手に入れたい」とか、単なる御利益信仰の対象になってしまっているんだね。そうしたことを人々が欲得で祈っていると、その欲念が神社仏閣を中心にたまってきて、その結果、死んだあと迷っている動物霊たちがその欲念に引かれてたくさん集まってくるんだ。稲荷神社なんかだと、そういう欲念というのは、地獄で迷っているほうの狐に通じてしまって、それがエネルギー源となって、そうした狐が暴れだすということがあるんだよ」

勇二 「ははーん。それも一種の波長同通だね」

正太 「うん。迷っている動物霊というのは、ひもじい思いでいることが多くて、お供え物をしてもらうことで、それを紛らわそうとするんだけど、いくらお供え物をしてもらっても、実際には食べられから、ますますひもじくなってしまうんだね。
 そのため、満たされない欲望が爆発してしまって、たとえば、お供え物をしてくれた人たちに取り憑いて、リューマチや肩こりを起こしたり、頭を締め上げたりということが起きるんだ」

勇二 「そうか、そんなことがあるのか。そういえば、日本じゃ「猫信仰」なんてあまりないから、「迷っている化け猫が暴れて障りを起こす」なんてことはあまり聞かないよね」

正太 「そうそう(笑)。同じように、水神信仰とか龍神信仰とかいいつつ、(実際、あの世に龍神という存在はいるんだけど)欲望のままに祈っていると、そうした念というのは、地獄の蛇のほうに通じてしまって障りが起きたりするんだ」

勇二 「なるほどね」

正太 「だから「祈り」というのはこわい面があって、祈るということは電話をかけるようなものなんだね。神社仏閣で祈っても、その内容が本当に無私な美しい祈りなら、天使や神々がいる高級霊界に通じていくけど、逆に、極端なものでいえば「あんな奴が死んでしまいますように」みたいな祈りもあるんだね。そうした祈りというのは、まっすぐ地獄の世界へと回線がつながってしまうんだよ。現代人の祈りを見ると、天国に通じていくような清い祈りというのが、ほんとうに少なくなっているのが現実なんだ」