正太 「この執着については、いずれ地獄界の紹介をするときに、詳しく説明しようと思うけど、結局、執着の正体が何かというと「他の人から愛されたい」とか「評価してもらいたい」とか「重要感が欲しい」といった「他の人から愛を与えられたい」という思い、つまり「奪う愛」なんだね。
地獄に堕ちている人というのは、「他の人に愛を与えよう」とか「他の人のために○○してあげよう」とか「他の人を幸福にしていこう」という「与える愛」じゃなくて、「もっと他の人から愛されたい」「もっと愛を与えられたい」という「奪う愛」に生きた人たちなんだ。「与える愛」をまったくやらなかったわけじゃないんだけど、それよりも「奪う愛」のほうが上回っていた人たちなんだね。他人からの愛に飢えて生きた人たちが、地獄で苦しんでいるんだよ」
勇二 「そうか。「与える愛」に生きた人は天国に還れて、「奪う愛」に生きた人は地獄に堕ちる、ということわけだね。じゃあ「善」というのは「愛を与えること」で、「悪」というのは「愛を奪うこと」なわけだ」
正太 「うん。地獄霊とか地獄に堕ちた人、なんていうとコワーいイメージがあるけど(といっても現代人の半分以上は地獄に堕ちているわけだけど)、そうした悪霊たちのホンネは「もっともっと人に愛されたい」ということなんだね。ほんとうは、いろんな人からやさしくしてもらいたいんだよ」
勇二 「ははーん。なんでそんなにネチっこくこだわっているかといえば、結局、愛が欲しいからなのか、愛されたくてグチュグチュしてるわけなんだな」
正太 「愛が欲しいんだけど、自分から与えようとは思わない、愛のエネルギーが足りないだけの「愛欠乏症」の人たちなんだ。まあ、このあたりは、きわめて本質的なことだから、詳しい解説が必要なんだけど」
勇二 「たしかに、10代の不良少年、不良少女とかが、よく大暴れしてるけど、原因は何かっていったら、「親が自分を愛してくれないから」とか「もっと親に愛されたいから、認められたいから」とか、要するに「愛が欲しくて暴れている」わけだもんね。まあ、これは子供に限らず大人もおんなじようなものかもしれないね。
結局、愛を与えようとする側に立っていたか、愛を欲しがる側に立っていたかで、あの世に還ってからの天国・地獄が分かれてくるわけだね」
正太 「そうそう。だから執着というのは「奪う愛」のことだから、これを断つには、逆の想念行為、つまり「与える愛」の方向に心を切り替えることでも可能なんだよ。「欲しい、欲しい」という思いで苦しんでいるわけだから、欲しがるのをやめて、「どうしたら人に与えることができるか」「どうしたら他の人を幸福にできるか」というほうに切り替えていくんだね。そして、実は、これこそが人間が「本当の幸福」に入る道でもあるんだよ」
勇二 「ふーむ。「人から愛を貰おう」とするんじゃなくて、「自分から人に愛を与えていく」のが、幸福への道か」
地獄に堕ちている人というのは、「他の人に愛を与えよう」とか「他の人のために○○してあげよう」とか「他の人を幸福にしていこう」という「与える愛」じゃなくて、「もっと他の人から愛されたい」「もっと愛を与えられたい」という「奪う愛」に生きた人たちなんだ。「与える愛」をまったくやらなかったわけじゃないんだけど、それよりも「奪う愛」のほうが上回っていた人たちなんだね。他人からの愛に飢えて生きた人たちが、地獄で苦しんでいるんだよ」
勇二 「そうか。「与える愛」に生きた人は天国に還れて、「奪う愛」に生きた人は地獄に堕ちる、ということわけだね。じゃあ「善」というのは「愛を与えること」で、「悪」というのは「愛を奪うこと」なわけだ」
正太 「うん。地獄霊とか地獄に堕ちた人、なんていうとコワーいイメージがあるけど(といっても現代人の半分以上は地獄に堕ちているわけだけど)、そうした悪霊たちのホンネは「もっともっと人に愛されたい」ということなんだね。ほんとうは、いろんな人からやさしくしてもらいたいんだよ」
勇二 「ははーん。なんでそんなにネチっこくこだわっているかといえば、結局、愛が欲しいからなのか、愛されたくてグチュグチュしてるわけなんだな」
正太 「愛が欲しいんだけど、自分から与えようとは思わない、愛のエネルギーが足りないだけの「愛欠乏症」の人たちなんだ。まあ、このあたりは、きわめて本質的なことだから、詳しい解説が必要なんだけど」
勇二 「たしかに、10代の不良少年、不良少女とかが、よく大暴れしてるけど、原因は何かっていったら、「親が自分を愛してくれないから」とか「もっと親に愛されたいから、認められたいから」とか、要するに「愛が欲しくて暴れている」わけだもんね。まあ、これは子供に限らず大人もおんなじようなものかもしれないね。
結局、愛を与えようとする側に立っていたか、愛を欲しがる側に立っていたかで、あの世に還ってからの天国・地獄が分かれてくるわけだね」
正太 「そうそう。だから執着というのは「奪う愛」のことだから、これを断つには、逆の想念行為、つまり「与える愛」の方向に心を切り替えることでも可能なんだよ。「欲しい、欲しい」という思いで苦しんでいるわけだから、欲しがるのをやめて、「どうしたら人に与えることができるか」「どうしたら他の人を幸福にできるか」というほうに切り替えていくんだね。そして、実は、これこそが人間が「本当の幸福」に入る道でもあるんだよ」
勇二 「ふーむ。「人から愛を貰おう」とするんじゃなくて、「自分から人に愛を与えていく」のが、幸福への道か」