死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

人生には「目的」と「使命」がある 

2007-04-06 | 人生には「目的」と「使命」がある
正太 「こんなふうに、地上人生には「魂の修行」という明確な「目的」があるんだね。さっき、君が言っていたように「何のために生きているのかわからない」という人が現代ではとても多いんだけど、この世に生まれてくるにはこういうはっきりした目的があるんだよ。つまり「心を磨き、高め、鍛え、光らせるため」「魂を向上させるため」なんだ」。

勇二 「そうか。じゃあ「何のために生きているのか、わかんなーい」なんて言っている人には、「心を磨き、高め、鍛え、光らせるために生きているんだよ。魂の向上のために生きているんだよ」と教えてあげればいいんだ」

正太 「そうなんだよ」

勇二 「「どうせ、人生この世限り。死ねば全部おしまい」と思っているから「生きる目的がわからない。目的なんかない」って、なっちゃうんだろうな。命が生き通しだということには、そういう意味があるんだな。どんなに辛いこと厳しいことがあっても、魂を磨いて、高めて、あの世に「お持ち帰り」するために生きているわけだ」

正太 「うん。だから年頃の若い子とかが、よく「自分が頼んで生まれてきたんじゃない。親が勝手に生んだんだ」なんて言うんだけど、環境も両親も、実は自分が選んで生まれてきているんだね。「今回の人生では自分の魂のこの点を修正しよう、このカルマを刈り取ろう」と自分で決めて、魂修行にとって最適の環境を選んで生まれてきているんだよ」

勇二 「へーえ、僕の親父なんかあんなに頑固で融通がきかないけど、これもひたすら「修行だ、勉強になる」と思って「親子の約束」をしたわけか」

正太 「本人にとって必ずしもベストだと思えるような環境でなくても、上位の指導霊、つまりその人の先生にあたる人たちと相談して「君は今回はこういう両親、こういう環境へ出たほうが魂の修行になるよ」というアドバイスを受け入れて出てきているんだよ」

勇二 「まあ、自分で選んでおいて「産んでくれと頼んだ覚えは無い」なんて愚痴っても様にならないわけだな」

正太 「それと地上に生まれてくるには「目的」の他に、もう一つ「使命」というものがあるんだ」

勇二 「ほお、「使命」。それはどんな?」

正太 「これは「ユートピア建設」なんだね。昔から仏教では「仏国土」建設、キリスト教では「神の国」実現と表現されてきたけど、要するに、物質界というこの不自由な環境を克服して、あの世の高級霊界、つまり天使、菩薩が住んでいるような理想社会を、この世にも実現するために努力すること、尽力することなんだ。「世の中を素晴らしくしよう、理想社会の建設に貢献しよう」、全ての人がこうした聖なる使命を胸に刻んで、この世に生まれてきているんだよ」


様々な意識レベルの人が一緒に修行している地上世界

2007-04-05 | 人生には「目的」と「使命」がある
正太 「そのとおり。その人の霊格が向上するときは、たいてい地上での人生が機縁となることが多いんだね(反対に堕落するとき、つまり地獄に堕ちるときも、この世での生活を機縁として堕ちているんだけどね)。それと、この地上界の特徴というのは、あの世のいろいろな次元の存在が一同に会する場である、ということなんだ。次元の違う人たちが、いっしょに生活したり、仕事をしたり、出会ったりすることによって、あの世では得られないような、学びや進化が得られるんだ」

勇二 「ほう、この世は、みんながごっちゃになっている世界なのか」

正太 「うん、あの世というのは波長の世界で、同じ波長のもの同士がいっしょに暮らしている世界なんだね。あの世は、いくつもの次元、霊層に分かれていて、その次元の中で人々は生活しているんだけど、次元を超えた世界の人が会うのはとても難しいんだ。生前に知己であった人でも、次元が違ってしまうと、百年、二百年会わずに暮らしていても平気なんだね。
 また、次元という縦軸、つまり心境の高さの違いだけじゃなくて、横軸、すなわち興味・関心領域の違いについても同じことがいえるんだ。たとえば、スポーツの好きな人は、あの世ではスポーツ選手の村に住んでいるし、勉強の好きな人は勉強家の村、芸術の好きな人は芸術家の村に住んでいるというように、自分の職業とか魂の求めるものによって住んでいる霊域が変わってくるんだね。政治家村に住んでいる人が、芸術家村に住んでいる人と話をするというのは、年に一回あればいいほうなんだよ。
 こんなふうにばらばらに住んでいる魂であっても、この世で肉体に宿ると、いっしょに暮らしたり、お互い出会う機会が非常に多いんだ。次元の違う人たち、関心領域の違う人たちが、いっしょに生活していたりすることによって、お互いに刺激し合えるし、進化のための大きなチャンスが与えられるんだ。自分より優れた人を見つけて学ぶことができるし、今までになかった領域へ関心を広げて器を大きくできるんだよ」

 勇二 「なるほどな。玉石混交みたいな世界の中でお互い切磋琢磨するわけだ。でも、この世では、あの世で会えないような立派な人とも会えて、見習ったりいろいろ勉強できるっていうのはわかるけど、逆に立派な人は、自分より劣った人、なんて言っちゃなんだけど、自分より次元の低い人といっしょになって何か得るものがあるのかい?」

正太 「高い次元から生まれ変わる人にとっては「指導力の修行」という大きなテーマが与えられるんだね。自分自身が肉体に宿りながら、自分ほど魂の修行が進んでおらず、必ずしも導くのが容易でない人たちを導くことによって、そうした優れた人たちも、新たな学びを得ているんだよ」

勇二 「「指導力の修行」ねえ。学びにもいろんなレベルがあるんだな」


この世の修行はあの世の修行の10倍ぐらいの密度がある

2007-04-04 | 人生には「目的」と「使命」がある
正太 「そう、この世に生まれてくると、魂は、霊的に「目隠し」をされた状態、手探りの状態の中で修行することになるんだ。しかも肉体に宿って、物質世界の不自由な生活の中、その水圧の中、重圧の中で修行することになるんだね。だから「この世の修行は、あの世の修行の10倍ぐらいの密度がある」ということなんだ。「この世の10年はあの世の100年に相当する」と言われているんだよ」

勇二 「この世の10年はあの世の100年!」

正太 「あるいは、この世で1個よいことをすると、あの世で10個よいことをしたくらいの価値があるんだね。よいことをすることが大事なんだということが、はっきりとわかるあの世の世界じゃなくて、それがなかなかわかりづらいこの世でなした善行というのは、あの世で1が10になって返ってくるんだよ。魂が目隠しされた手探り状態の中で、天国的な生活を展開することには、あの世での修行の5倍10倍の値打ちがあるし、数十年間、この世で天国的な生活を送った人には、その行いがあの世では10倍にもなって返ってくるんだね。この世というのはそうした価値ある世界なんだ」

勇二 「10倍、そりゃすごいね」

正太 「でも、逆に、この世で「このくらいのことはいいだろう」と思って犯してきた悪の数々も、あの世では5倍10倍となって返ってくるんだね。こういう厳しい事態が待っているんだよ」

勇二 「あら。いいことだけじゃなくて悪いことも。じゃあ、あの世というのは、この世でどう生きたかが、極端な形ではねかえってくるね」

正太 「そう、だからこの世の70年、80年を見事に生き切ったならば、あの世の700年、800年にも相当する魂の進化をもたらすことになるんだね。そうした大きな効果があるからこそ、何度も何度もこの世に生まれ変わってくるんだよ」

勇二 「そうか、この世っていうのは、それだけがんばり甲斐のある世界というわけだな。ハードで大変なぶん、あの世よりも10倍ぐらいの修行効果があるわけだ」


肉体に宿ることで、霊の自由さ、素晴らしさがわかる

2007-04-03 | 人生には「目的」と「使命」がある
勇二 「ふーむ。そうした世界っていうのは…そりゃ確かに「極楽」だろうね。ただ、ご飯を食べる楽しみがないっていうのが、僕にはちょっと物足りない気もしたんだけど」

正太 「いや、食べようと思えば食べれるんだよ。そういう人もいるしね。…えーと、こんなことを話しだすとまた脱線するな。そうしたことは…」

勇二 「いずれまた詳しく話すから(笑)」

正太 「そうそう。そして、天上界というのは、自分の念いによって自由自在に移動できるし、自分の念いによって、自由自在に物を出すことができたり、好きな人に会うことができたり、自分が素晴らしいと思う芸術の世界に生きたりすることができるんだ。非常に自由を保証された世界で、生活の苦労も何もないんだよ」

勇二 「いいなー。なんだか急にあの世が恋しくなってきちゃったなー」

正太 「ああ、早まって自殺なんかしないでね(笑)。自殺者は天国に行けませんから、念のため。ただ、そうした霊界にずーっといると、霊であることの素晴らしさや自由さが実感できなくなってきて、当たり前の怠惰な世界の中に流れていってしまうんだね。それを避けるために、肉体に宿ってあえて不自由さを体験してみる。苦労を経験してみる。それによって霊の素晴らしさを知る。こうした面があるんだね」

勇二 「それは、最初の頃聞いた「青虫の時期を経験することで、自由に大空を飛べる蝶の素晴らしさがわかる」というたとえ話のことだね」

正太 「そう。霊的でない生活をすることによって、初めて霊的生活とは何なのかということがわかるんだね。さっき君が言ったように、この世の人間というのは、深海の底で甲羅に何トンもの水圧を受けているカニみたいなもので、その水圧がなくなったときに、初めて自由とは何か、本来の自己とは何かということがわかるんだよ。肉体という不自由なものを脱ぎ捨てたときに、人間は本来の自分の素晴らしさを数倍も数十倍も感じていくんだね」

勇二 「なるほどね。だけど、霊としての素晴らしさを再確認するというためだけに、この世に生まれてくるわけでもないんでしょ?」



この世は厳しい修行場だからこそ、魂が進化できる

2007-04-02 | 人生には「目的」と「使命」がある
正太 「あの世のことを「実在界」、この世のことを「現象界」というけど、あの世のほうが「ほんとうの世界」であって、この世は(よく言われるように)「仮の世」「仮の世界」なんだね」

勇二 「ああ「あの世のほうが実家で、この世は留学先だ」と前に聞いたね」

正太 「そうそう。あの世のほうが本籍地で、この世というのは、修行のために一時的にやってくるだけの世界なんだね」

勇二 「「魂の修行をするためにこの世に生まれてくる」うん、確かに「こりゃ、修行させられてるなー」と思うことは毎日のようにあるし、わからないでもないんだけど、あの世じゃなくて、この世で魂修行をするということには、いったいどういう意味があるんだい?」

正太 「この世というのは、あの世の天上界、人間の本来の住処である天上界に比べると、とても厳しい修行の場なんだ。しかし、そうした厳しい環境の中で修行するからこそ、いっそうの「魂の進化」が得られるんだよ。魂の足腰が鍛えられるんだね」

勇二 「厳しいからこそ進化できる、鍛えられる…。なんだかジムだか強化合宿にでも行くみたいだな」

正太 「そう。プールサイドで自由に動きまわっているより、プールの中にドボンと入って運動したほうが、筋肉がつくし、鍛えられるよね。それに似たところがあるんだ」

勇二 「そういえば「この世は深海の底みたいな世界だ」って聞いたね。だから肉体っていう潜水服、じゃなくてカニの甲羅を着込んで頑張るわけだ」

正太 「そうだね。反対に、あの世の天上界っていうのは、天国という言葉のイメージからもわかると思うけど、ほんとに風はやさしくそよぎ、花は一年中咲き乱れているような、素晴らしい世界なんだね。
 そこでは、霊として自由自在な生活ができて、肉体維持のために必要なこと、つまりご飯を食べる必要もなければ、排泄したり、健康を維持するために運動したり、睡眠をとる必要もないんだね。
 またお金もうけをしなくても路頭に迷うこともないし、お母さんのお腹の中で十月十日苦しむこともないし、幼くて物事の判断がつかずに泣いてばかりいる必要もないし、青春期の性の苦しみもなければ、親子の葛藤も、経済的な苦しみも、職場で人に使われる苦しみも、嫌な人に会う苦しみ、好きな人と別れる悲しみ、老いる悲しみ、病気の苦しみも何もないんだ。
 さらには、醜くなってゆく苦しみ、子や孫に捨てられる苦しみ、配偶者と死に別れる苦しみ、やがては自分自身も死んでゆかなければならないという恐怖に対する苦しみ、天上界というのはこうした苦しみが何一つない世界なんだよ。その上、毎日会う人は、自分と気心がしれた素晴らしい人ばかりで、お互いが愛しあい、生かしあう世界なんだね」



明確な見取り図があれば、死後の世界は怖くない

2007-04-01 | 人生には「目的」と「使命」がある
正太 「ここまで「死とは魂が肉体から離脱することである」ということを中心に、霊子線や幽体離脱、さらには臓器移植や人口流産の問題まで話してきたけど、とりあえず以上を「導入部」として、ここから先は、「人間が臨終を迎えるところから始まって、その後どういう経過をたどっていくのか」を、順を追いながら、できるだけ詳しく説明していこうと思うんだね」

勇二 「おっ、それはいいね。歓迎でーす」

正太 「まあ、百人に訊けば、九十九人までが「死にたくない」と答えるものなんだけど、これは必ずしも「この世が住みやすいから」という理由だけじゃなくて、死んだ後どうなるかがわからないことへの不安や恐怖が大きいからなんだね。だから、死後の世界の見取り図がはっきりしていれば、こうした不安や恐怖はかなり軽減できると思うんだよ」

勇二 「そりゃ、生きてるうちから、そんな「教科書ガイド」みたいなのがあれば助かるだろうね」

正太 「また、あの世のことを知れば知るほど、逆に、この世に生きていることの意味もはっきりわかってくるという面もあるんだ」

勇二 「世の中には「なんのために生きているのかわからない」なんていう悩みもけっこう多いしね」

正太 「で、そうした説明をしていく前に、基本的なことだけは頭に入れておいてもらったほうがいいと思うんだ。魂や、あの世とこの世の関係について、大まかなことだけは予めつかんでくれていた方が、話を聞いても理解しやすいと思うんだよ」

勇二 「ごもっとも。じゃあ、お願いするよ」

正太 「一つめは、これは今まで何度も話してきたけど「人間の本質は、霊あるいは魂といわれるものであって、肉体ではない。肉体はこの世で魂修行するための乗り物である」ということ」

勇二 「はい」

正太 「二番目。これはそれほど触れてこなかったけど「人間は、転生輪廻、つまりあの世からこの世へと何度も何度も生まれ変わりながら、魂の修行をしている、魂の向上を目指している存在だ」ということ」

勇二 「ふむふむ」