死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

マイナスの思いや行いは「心の借金」と同じ 

2007-04-16 | 思いと行いが全て記録されている想念帯
正太 「たとえば、否定的な言葉や、他人を不幸にする思いや行いは、すべて煤けた灰色で書き記されているんだね。怒りに燃え上がったときの思いは、血のような赤い文字なんだ。情欲の虜になって異性との不調和な行為の奴隷になると、想念帯のテープにはピンク色で記録されるんだね。いつも他人の欠点や粗ばかりを探している人の思いは、爬虫類の眼の色のような緑色の文字だ。濃いインクのような藍色で書かれているのは、臆病、卑怯、取り越し苦労、持ち越し苦労、不安などの思い。病念をいつも心に把持して、病気の痛みや苦しみばかりを他人に訴えている人の想念帯のテープは、壁土の色のような文字で記されているんだ。
 これらが合わさって何ともいえない毒々しい灰色になっているんだよ」

勇二 「うへーっ、そんななのか。こりゃまずいなあ。結局、灰色のほうが多いと、死んでから地獄が待っているというわけだよね。じゃあ、振り返って、灰色ばっかりの人生だと思ったら、これから頑張って金色を増やしていかなきゃいけないな」

正太 「そうだね。だから人間というのは、一人ひとりが「心の経営」をやっているのと同じなんだ。一人ひとりが「心の経営者」なんだね。心というのは貸借対照表(バランスシート)といっしょで、赤字と黒字、負債と資産があるんだ。だからマイナスの思い、灰色の記録というのは「心の借金」と同じで、それと同じだけの貯金(つまり金色の記録)を持っていれば、清算できるんだけど、それだけの貯えがないと…」

勇二 「「債務超過」ってわけか。」

正太 「そうそう。死んでこの世を去るときが最後の「総決算」で、ここで貯金よりも借金が多いと、地獄に行かざるをえないんだね。会社でいえば倒産するようなものなんだ」

勇二 「なるほどなあ」

正太 「昔から「生きている間に、できるだけ徳を積みなさい、功徳を積みなさい」というけれど、生前に功徳を積んだこと、つまり世のため人のためを思って「与える愛」の実践をしたことが、霊的に言うと、まさしくその人の貯金、資産になっているんだね。天の倉に富を積んだことになっているんだよ。
…ただし、これはとてもとても重要なことなんだけど」

勇二 「なになに?」

正太 「いったん灰色で書かれた記録でも、金色に変える方法が一つだけあるんだよ」


プラスの思いや行いは想念帯に金色で記録されている 

2007-04-15 | 思いと行いが全て記録されている想念帯
勇二 「そういえば、生死の境を体験した人とかが、死の瀬戸際で、それまでの人生が走馬灯のように心に浮かんだ、とか言うよね。そういうのも、今、君が言った記録と関係があるのかね?」

正太 「そうそう。よく山とかで転落死した人が、転落して下に落ちるまでの、ほんの何秒かの間に、自分の一生をダーッと見たりするんだけど、これは想念帯の記録テープが死ぬに際して回っているんだね。
 この想念帯の記録というのは、今世だけじゃなくて、生まれてくる前のあの世で生活していたとき、その前の前世での地上生活、さらにその前の前世の生活…、というように、ずーっと記録されていて、「アカシック・レコード」ともよばれているんだ。で、その記録なんだけど、思ったことや行ったことの内容によって、実は、色分けして記録されているんだね」

勇二 「へーえ、色分けっていうと」

正太 「仏の光に親和性のある、つまり仏の心に適った思いや行いが記録されるときは金色で記されるんだ。反対に、仏の光を排斥するような、つまり仏の心に反するような思いや行いの記録は、灰色で記されるんだよ。だから、霊視できるような人が、想念帯をパッと見れば、金色に輝いている人と、灰色にくすんでいる人との区別が、はっきり分かるんだね」

勇二 「仏の心に適った思いや行いっていうと、たとえば人に対する愛の思いとか善行だよね。僕の場合、金色ってどれだけあるだろ? なんだか急に心配になってきたな」

正太 「プラスの思い、つまり愛や慈悲の思いを胸に抱いて、それを行為に示せば、その記録は、確実に金文字でつづられていくんだね。
 それに対して、マイナスの思いは灰色になっているんだけど、正確に言うと、悪想念の種類ごとに違った色で記されていて、それらが合わさって何ともいえない醜い灰色になっているんだ」

勇二 「悪想念の種類ごとっていうと?」


思ったこと行ったことが全て記録されている「想念帯」  

2007-04-14 | 思いと行いが全て記録されている想念帯
正太 「そのとおり。あの世というのは、心の段階によって無数に分かれている世界なんだ。また、一番下の地獄でも、浅い地獄もあれば深い地獄もあるというように、その罪の深さによってこれもいろいろと分かれているんだね。
 もう一度最初の「善悪」の問題に話を戻すと、善悪というのは、単に「行い」だけじゃなくて、「心の中で思っていること」にもあてはめられるし、そうした心の中の悪というのは、「嫉妬」とか「愚痴」「憎しみ」「足ることを知らない欲望」とか、一般に「執着」とよばれているものがそれにあたるんだね。地獄に堕ちる原因は、この「執着」にあるんだよ。だから、単に殺人とか強盗とかの犯罪行為をすることだけが悪というわけじゃなくて、神様の目から見た悪というのは、本当はとても範囲が広いんだね。
 まあこのあたりのこと、つまり、善悪を含めて、この世にいたときに、どういう「心のあり方」で生きれば、あの世でどういう世界が待っているか、という対応関係を、実際のあの世の様相を紹介しながら、詳しく説明していこうと思うんだ」

勇二 「ふーむ。それは楽しみだね。ところで、今の話で、生きていたときの心の中身が重要だっていうことは、よくわかったんだけど、じゃあ、そうした心の中で思ったこと、考えたことっていうのは、何かに記録でもされているわけ? それこそ、エンマ様が一人ひとりのエンマ帳をつけてるなんて、昔から言うけど」

正太 「そうなんだよ。もっとも、エンマ様がエンマ帳をつけてるわけじゃないけどね。たとえば、君がオギャーと生まれてから、今この瞬間まで、心の中で思ったこと考えたこと、そして行ったことというのは、一つ残らず記録されているんだよ」

勇二 「えーっ! 参ったなー。そんな、全部録られてるなんて、全く考えずに生きてきちゃったよ」

正太 「うん、現代の人は信じていない人が多いけど、昔は「神様が全部見ているから、誰も見てないところでも悪いことをしちゃいけないよ」とか「あの世に還ったら自分の一生をみんなの前で見せられるよ」とかいう表現で、そうした事実を語っていたんだね。まあ、これは単なる表現じゃなくて、実際そのとおりなんだけど」

勇二 「えーーっ!、あの世に行ったら自分の一生をみんなの前で見せられるのかい?」

正太 「そうなんだよ。昔から「瑠璃玻(るりは)の鏡」とか「照魔の鏡」とかよばれているけど、そういうスクリーンみたいなものに、自分の一生がバーっと映し出されちゃうんだよ。それも行いだけじゃなくて、その人が何を考えていたかまで、全部わかっちゃうんだね。まあ、こんなことを話し出すとまた脱線するから、「三途の川を渡ってからの説明をお楽しみに」としか言えないんだけど」

勇二 「あーあ、ショックだなあ」

正太 「で、その記録なんだけど、人間の心には表面意識と潜在意識というのがあるんだけど、その間に「想念帯」という一つの記録装置があるんだね。この想念帯という部分は、一種の記憶テープあるいはCD盤のようになっていて、その人が過去から現在まで思ったこと行ったことのすべてが記録されているんだ」

霊界は「波長の精妙さ」によって世界が分かれている 

2007-04-13 | 思いと行いが全て記録されている想念帯
勇二 「そうか、一生を通算した心の平均打率、心の平均の波長の世界に還るわけか。まあ、良いことばかり思っている時間が多ければ、たまに悪いことを考えても平均はずっと高くなるだろうし、たまに善意を出しても、ふだん悪いことばかり思っていれば、平均は下がるということだね」

正太 「そうそう。たまにヒットを打っても、ふだん三振ばかりじゃ、打率が上がらないのと同じだね。ただ、バッティングでも、ホームランもあれば2塁打、3塁打いろいろあるように、一言で善い悪いといっても、善さにもレベルの高さ低さがあるし、悪さにもちょっと悪いのもあれば、ずーっと悪いのもあるんだけどね。
 あの世というのは、その人の心境の高さ低さで分かれているんだけれど、これを物理学的に言い換えると、「波長の精妙さ」によって分かれている、ともいえるんだ。つまり霊界でも高い世界になるにつれて、波長が粗雑なものから精妙なものになっていくんだよ」

勇二 「ほう、「波長の精妙さ」ねえ。すると、あの世でも一番下にある地獄界は、波長が乱れた世界というわけかい?」

正太 「そのとおり。地獄に堕ちる人というのは、生前、心の波動が乱れていた人たちなんだね。霊的な波長が粗雑で、意識体が物質的なものになってしまって、比重が重いので下へ沈んでしまう、ということなんだ。心から粗雑な波動を出していて、いってみれば重い沈殿物を有しているから、どうしても上のほうに上がっていけずに、底のほうに沈んでいってしまうんだよ」

勇二 「たしかに、カーッと怒ったり、愚痴ったり、イライラしてるときの、心の波動っていうのは、乱れているね」

正太 「たとえば、泥水をコップのなかでかき混ぜると、重いものが沈殿して、上は上澄み液になるよね。上へ行くほど透明で、下へ行くほど黒い色になる。あの世の世界、霊界も、これと同じなんだ。粗雑な波長のもの、つまり、霊体としては、地上的で物質的な重みをまとった、鈍重な意識体が下のほうに沈んでいって、神近い、執着の少ない、精妙な意識体が上のほうに行くということなんだよ」

勇二 「じゃあ、いちばん下に沈殿した泥んこの世界が、地獄ってわけ?」

正太 「そうそう。地獄というのは、欲望の固まりのような貪欲な心、あるいは、怨んだり、憎んだり、怒ったり、妬んだり、愚痴ったり、人を悪く言ったり、傷つけたり、といったドロドロした想念の世界なんだね。反対に、上の上澄みのほうが、仏教的にいえば如来、菩薩、キリスト教的にいえば大天使や天使たちのいる世界なんだね。ここには、地獄にいる人たちが持っているような「執着」を離れて、ひたすら人々への愛や慈悲、利他に生きている人たちがいるんだよ」

勇二 「そうか、あの世というのは、下のドロドロから一番上の綺麗な上澄みまで、澄み切り方に、いろいろな段階差があるというわけだね」