死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

地獄霊で「感謝」ができる人は一人もいない 

2007-05-11 | 感謝に基づく愛が無償の愛につながっていく
勇二 「それと、憑依霊がいやがるものとして「反省」の他に「感謝」ということが上がっていたよね。この感謝についてはどうなの?」

正太 「うん。悪霊、つまり地獄に堕ちている人たちで、感謝の気持ちを持っている人は、ただの一人もいないんだね。百パーセント感謝が無いんだよ。地獄には悪想念の種類に応じたさまざまな地獄があるけど、これだけははっきりしているんだね。百人いたら百人とも感謝する人はいなくて、愚痴、不平不満、こればっかりなんだね。
 「こうしてほしかった、ああしてほしかった」あるいは「憎い」「悔しい」この思いばかりなんだ。要するに「足りない」「もう何かが足りない」というばかりなんだよ」

勇二 「いるなー。この世にもそういう人って、けっこういるよ。まあ、そういう僕も、人のことをエラそうには言えないけど」

正太 「地獄という世界は、ここも修行場ではあるんだけど、「監獄」というよりは、心が病んだ人がいく「病院」と呼ぶほうがふさわしいところなんだね。
 実際、(まあ、これはあくまでもたとえだけど)この世の病院に入院しているお年寄りの中には、わがまま言いたい放題の人がいるよね。たとえば、80歳、90歳になっても「注射が痛い。あの看護婦は下手だ。すごく痛かった」とか「あの院長さんは顔がいい」とか「悪い」とか、「ご飯の盛り方が悪い。冷めたのを持ってくる」とか、いろいろ言うんだけど、基本的に地獄霊というのは、こういう様相を呈しているんだね。
 つまり「自分がすでに何かを与えられている」ということに対する感謝がないんだ。そして、不平不満ばかりが口をついて出て来るんだね。「私がなんでこんな所へ来とるのか納得がいかん。悪いことは何もしていない」「私は盗んだわけじゃないし、人を殺したわけでもない。何でこんなところに来なければいかんのか」と言うんだ。何が悪いのかがサッパリわからないんだ。
 そうした人に対して、「足りないところがあったのはわかりましたけれど、足りていたこと、与えられてきたことについて、感謝したことはありますか?」とか「人がしてくれなかったことはわかりましたけれど、じゃあ自分から何かしてあげようとしたことがありますか?」と聞くと、あきれ返ったような顔をするんだね。「何をバカなことを言っているのか」という表情になるんだね。そんなことは考えたこともないんだ。
 つまり「自分の足りないことには目が行くけれども、足りているところには目がいかない」ということなんだ」

勇二 「うーん、けっこう耳が痛いけど、確かに、そうなりがちなんだよね。足りてるところ、すでに手にしてることは当たり前になっちゃって、ありがたくも何ともない。逆に、人と比べて足りないところばかり見て不満を募らせる、って、なっちゃうんだよな。でも、こういう考え方って、この世でも、幸福になれない考え方だよね」

正太 「そうそう。実際、現代人の半分以上は地獄に堕ちているわけだけれども、そうなったとき「暗いから照明をもっと明るくしろー」なんて不平不満を言わないで、自分は人に感謝したことがあるかどうか。お世話になった人がいなかったかどうか。こうしたことを幼少時代から振り返ってみる必要があるんだね」

勇二 「感謝なんて、あらたまってしたことなかったなあ。「なんでオレはこんなに恵まれないんだー」っていうボヤキのほうが全然多かったよ」

正太 「そんなふうに、地獄霊っていうのは、不平不満、愚痴、足ることを知らない欲望に心を渦巻かせているんだけど、こうした思いというのは、この世に生きているどんな人にもないことはないんだね。また人生を振り返ってみれば、そういう時期というのが必ずあったはずなんだ。もちろん僕なんかも、そうなんだね。
 でも「地獄霊に決してないものは感謝なんだ」ということ、このことさえしっかりつかんでいれば、悪霊たちとは違った波長の世界に入っていけるんだよ。「心が波立って、毎日、不幸感覚が強い」という人は、地獄に波長が通じることで、悪霊の憑依を受けているとみていいんだけど、この「感謝」という二文字を思い出してほしいんだね。感謝を始めたときに、悪霊はその人に憑いていることができなくなってくるんだよ」