正太 「この「阿修羅地獄」というのは、だいたいが戦争が起きたときにできる地獄なんだね。戦場ではない阿修羅地獄もあるんだけど、もともとは、そうした際にできてきた地獄が多いんだよ」
勇二 「へーえ、戦争が起きたときにね。「闘争と破壊」が阿修羅地獄の特徴というけど、戦争というのはまさにそうした世界だよね」
正太 「昔で言うと、「関ヶ原の合戦」のような戦いだと、大勢の人が死ぬから、たちまちその戦場は修羅場になって、地獄ができるんだね。修羅場というのは、そういう殺し合いの世界のことで、戦場になって「そこで十万人が死んだ」ということになると、そこに阿修羅地獄が出現してくるんだよ」
勇二 「よく古戦場だとか「落城した際に、大勢が殺された」なんていう場所が、「恐怖心霊スポット」とかいって紹介されてるよね。いちどきに大勢が亡くなっていると、そうした場所じたいが地獄になっていることがあるんだね」
正太 「うん。そういう場所では、果てしない殺し合いを、あの世でもまだやっているんだね。死んでから、五十年くらいは平気で殺しあうんだよ(中には何百年もやるような人もいるんだね)。かつて戦場だった場所なんかには、そういう地獄ができている所があるんだ」
勇二 「そうかあ。地獄っていうのは、そうした土地だとか場所に応じてできたりもするんだね」
正太 「そう。だから「万国共通のたった一つの地獄しかない」ということじゃないんだね。アメリカにはアメリカの地獄があるし、ヨーロッパにはヨーロッパの地獄があるし、インドにはインドの、中国には中国の、日本には日本の地獄があるんだね。
色情系の地獄だって、ヨーロッパにはヨーロッパの色情地獄があるし、日本には日本の色情地獄があるんだよ。
さらに言えば地域だけじゃなくて時代意識も関わっていて、同じ日本の阿修羅地獄にしても、源平合戦のときにできた阿修羅地獄と、第二次大戦のときにできた阿修羅地獄では、基本的にごっちゃにならないんだね。
あの世というのは「波長の世界」。つまり、思ってること、考えていることが共通するもの同士が同じ世界をつくっているから、波長が合わないと同じ世界にならないんだね。「相手をやっつける」という点では同じでも、「やあやあ、我こそはー」なんて、弓や刀で戦っている源平合戦の兵士の意識と、戦車や戦闘機で戦っている太平洋戦争の兵士の意識では、念の性質がバチッとまではシンクロしないから、互いにすれ違ってしまうんだね。いっしょにならずに、源平合戦は源平合戦、近代戦は近代戦と、別々の世界で戦い続けることになるんだよ。基本的にはね」
勇二 「なるほどね。電波の周波数みたいなものだよね。テレビ電波の周波数にチャンネルが合っていれば、テレビに画面が映るのと同じ原理だよね。
それに、源平合戦と太平洋戦争の兵士がごっちゃになったら、お互い話がかみ合わなくて混乱するだろうしね」
正太 「そう。ただし、こうしたことも起きるんだね。
アメリカ(を中心とした多国籍軍)とイラクが戦った「湾岸戦争」「イラク戦争」というのがあったよね。この時は、戦力も兵器の性能においても、アメリカ側のほうがイラクを圧倒していたから、イラク軍の戦車隊だけが一瞬で壊滅するということが起きたんだね」
勇二 「いくら兵力差に大きな開きがあったとしても、一方だけが瞬時に全滅しちゃうなんていうのは、昔はなかったろうし、近代戦の特徴かもしれないね」
正太 「この場合、大量のイラク兵だけが、あっという間に死んでしまうという事態が起きたんだね。
アッラーの教えによれば「アッラーのために戦って死んだ場合には、最高の天国に還れる。そこでは美女にかしずかれ、極上のお酒とごちそうがふんだんに食べられる」ということになるはずなんだけど、美女もお酒も出てこないから、イラク兵たちは「まだ自分は死んでいない」と思って、戦闘を継続するんだね。ところが、やられたのは自分たちだけだから、イラク兵たちは「敵が見当たらない」という状態になるんだね」
勇二 「ふーむ。戦おうにも相手がいないわけだ」
正太 「湾岸戦争の場合、イラク軍側は十数万の戦死者を出したと言われているけど、さっきも言ったように、短期間の間にこれだけ大量の人間が死ぬと、イラク側には地獄界が出現するんだね。ところが、アメリカ側は戦争を通しての戦死者が百数十人くらいしかいないので、これくらいの数だと地獄ができないんだね。
じゃあ、アメリカ側の戦死者はどうなるかというと、「個別対応」でそれぞれに応じた世界に引っ張っていかれるだけで、地獄ができないんだよ」
勇二 「そうか。戦う相手の見当たらない地獄が、イラク側だけに出現したことになるよね」
正太 「そう。その場合、イラクの兵隊が敵を探しているうちに、弓だとか矢で戦争をしている古代の兵隊と遭遇することがあるんだよ。同じ戦争系統の阿修羅地獄といっても、現代の兵隊と古代の兵隊じゃ、戦っている際の意識が微妙に違うから、通常ならいっしょにならないけど、そうした世界を徘徊しているうちに出くわすことが起きるんだね」
勇二 「ほーお。「闘争と破壊」という点では、念の性質、念の周波数も近いだろうからね。そういうことも起きるわけだ。
でも、その場合、いくらイラク兵の装備が旧式だからといっても、古代の兵隊相手に戦闘をしたら圧勝になるだろうね」
正太 「いや。この世だとそうなるんだけど、不思議なことに、あの世だと必ずしもそうはならないんだよ。この場合、とても興味深いことが起きるんだね。
イラク兵たちは、「敵兵発見」ということで、戦車で砲弾を撃つんだ。あの世というのは、心の世界だから、「ある」と思うもの、「欲しい」と思うものは出現してくるんだね。本人が「あって当然」と思っていれば、当然のようにそこに出てくるんだよ。
ところが砲弾がバーンと飛んで、古代人たちの所で着弾しても、爆発が起きないんだね。「おかしいな」と思って、何度、弾を撃っても、やっぱり破裂しないんだ」
勇二 「ふーん、不思議だね。古代兵はそれこそ魔法でも使ったのかな?」
正太 「いや。なぜこうなるかというと、古代人たちは、戦車や砲弾というものを知らないので、イラク兵たちが何をしているかが認識できないからなんだね。「何か丸いものが飛んできたな」といぶかしがるんだけど、何なのかがわからないから、怖くも何ともないんだよ」
勇二 「へーえ。「爆弾というものがあって、それは地面に落ちると爆発して被害がでる」という認識を持ってないと、爆発しないわけ?」
正太 「そうなんだよ。霊界では、認識できない武器で攻撃されても被害は出ないんだね。
だから、あの世で古代人と戦うなら、石でも投げたほうがいいんだ。石だとか弓矢なら彼らも一目でわかるんだけど、戦車で砲弾を撃たれても、何をされたかがわからないんだね。飛行機で爆弾を落されても、「大きな鳥が飛んできてフンを落していった」くらいにしか、彼らは受け取らないんだね。そうすると、何も被害は出ないんだよ。
イラク兵がもし、第二次世界大戦で死んだドイツ兵なんかがいる地獄あたりに「運よく」出現できたら、相手も戦車がわかるから撃ち合いになるんだ。そうすると、相手は戦車が放った砲弾もわかるから、怖くておろおろしたり、砲弾が爆発すると、「うわー」と叫んだり爆風で飛んだりするんだよ。
こんなふうに、理解できる者同士の場合には被害が発生するんだけど、理解できない者には被害が発生しないんだね。この世の兵器は、あの世の地獄界にも、ほとんど勢ぞろいしているんだけど、その兵器を知らない者に対しては何の効果もないんだよ」
勇二 「ふーむ。あの世は「思いがすべて」というけど、自分の思っているとおり、認識しているとおりにしか展開してこないわけだ」
正太 「そう。そして、当然だけど、あの世では、いくら殺しても殺しても相手が死なないんだね。阿修羅地獄に堕ちて、いくら相手を刀で斬っても、槍で刺しても、マシンガンでハチの巣にしても、爆弾でこっぱみじんに吹き飛ばしても、相手はすぐに元に戻っちゃうんだね。
「傷から血が出たのに、しばらくしたらふさがって、元通りになってしまった。おかしいなー」とか「首を切られたのにまた生えてきた」とか、笑い話みたいだけど、こういうことを本当にやっているんだよ。
延々と、そうしたことに嫌気がさすまで、バカバカしくなるまで続けるわけなんだ」
勇二 「なるほどな。あの世は「波長同通」の世界、「同類相集まる」の世界だから、地獄に堕ちると、お互いにお互いを見て、嫌になるまで自分の醜さみたいなものを味わうことになるわけだよね。実体験を通して、自分の心の間違いを勉強させられるわけだ。
ところで一つ質問があるんだけど」
正太 「はい、どうぞ」
勇二 「もう亡くなったんだけど、僕のお祖父さんは若い頃、徴兵で戦争にいったんだよね。そうした場合、「戦争に参加した」ということで、「地獄行き」は決定なのかな?」
正太 「いや、そんなことはないんだよ。戦争の際には、その戦争を指揮した指導者に責任が問われるけれども、その指導者に従った兵隊については大きく問われないんだよ。
指導者に対しては、正義の観点から「どういう考えにもとづいて、どのように戦争をしたか」ということが大きく問われることになるんだけど、仕事として軍務についた人が責任を問われるわけではないんだ。「兵士として戦争に参加した」という事実によって、罪が発生するわけではないんだね。
また、平和なとき、普通の市民生活において他の人を殺傷した場合、99パーセント以上地獄に堕ちることは避けられないけど、戦時の際、兵士として戦闘行為に従軍した場合も同列に扱われるかというと、それはないんだよ」
勇二 「ふーむ。開戦を決定したり、戦争を指導した政治家とかの指導者に責任があって、一般の職業軍人だとか徴兵されて従軍した兵士たちには、基本的にその責任は問われないんだね」
正太 「そう。ただ、あの世というのは想念の世界だから、ここまで説明してきたように、戦争をすることによって不成仏になる人が大量に出てくることは、やはり避けられないんだね。
ふつうに病気で死んでいくときなんかは、時間の経過とともに肉体の衰弱もわかるから、わりと死の自覚がしやすいんだけど、戦闘中にいきなり爆弾が落ちてきて死んだりすると、死んだことがわからない人が多いんだね。そうした場合、修羅のような心の状態のまま、いつまでも戦いを続けようとすることが多いから、どうしても成仏が妨げられてしまうんだね。
また、たとえば、ベトナム戦争に従軍したアメリカの軍人たちは、自分たちが、ベトコンという、ゲリラ兵にも見えるし民間人にも見える人たちを相当殺したことに対して、その後、悪夢に悩まされ続けて、思い出すと発狂しそうなぐらいの苦しみを味わったりしているんだ。
だから、「仕事として軍務に就いた人間が責任を問われるわけではない」といっても、戦争の現場を経験した人たちは、なかなか苦しみから逃れられるものではないんだね。やはり、「自分自身が大勢の人を殺した」という恐怖体験は、一生忘れられるものじゃなくて、魂にとって、かなり深いものが残ることは事実なんだ。
戦争については、またテーマが違ってくるので、いずれ機会を改めて取り上げてみることにしよう。
ところで、阿修羅地獄には、こうした戦争系統ではないところもあるんだよ」
勇二 「へーえ、戦争が起きたときにね。「闘争と破壊」が阿修羅地獄の特徴というけど、戦争というのはまさにそうした世界だよね」
正太 「昔で言うと、「関ヶ原の合戦」のような戦いだと、大勢の人が死ぬから、たちまちその戦場は修羅場になって、地獄ができるんだね。修羅場というのは、そういう殺し合いの世界のことで、戦場になって「そこで十万人が死んだ」ということになると、そこに阿修羅地獄が出現してくるんだよ」
勇二 「よく古戦場だとか「落城した際に、大勢が殺された」なんていう場所が、「恐怖心霊スポット」とかいって紹介されてるよね。いちどきに大勢が亡くなっていると、そうした場所じたいが地獄になっていることがあるんだね」
正太 「うん。そういう場所では、果てしない殺し合いを、あの世でもまだやっているんだね。死んでから、五十年くらいは平気で殺しあうんだよ(中には何百年もやるような人もいるんだね)。かつて戦場だった場所なんかには、そういう地獄ができている所があるんだ」
勇二 「そうかあ。地獄っていうのは、そうした土地だとか場所に応じてできたりもするんだね」
正太 「そう。だから「万国共通のたった一つの地獄しかない」ということじゃないんだね。アメリカにはアメリカの地獄があるし、ヨーロッパにはヨーロッパの地獄があるし、インドにはインドの、中国には中国の、日本には日本の地獄があるんだね。
色情系の地獄だって、ヨーロッパにはヨーロッパの色情地獄があるし、日本には日本の色情地獄があるんだよ。
さらに言えば地域だけじゃなくて時代意識も関わっていて、同じ日本の阿修羅地獄にしても、源平合戦のときにできた阿修羅地獄と、第二次大戦のときにできた阿修羅地獄では、基本的にごっちゃにならないんだね。
あの世というのは「波長の世界」。つまり、思ってること、考えていることが共通するもの同士が同じ世界をつくっているから、波長が合わないと同じ世界にならないんだね。「相手をやっつける」という点では同じでも、「やあやあ、我こそはー」なんて、弓や刀で戦っている源平合戦の兵士の意識と、戦車や戦闘機で戦っている太平洋戦争の兵士の意識では、念の性質がバチッとまではシンクロしないから、互いにすれ違ってしまうんだね。いっしょにならずに、源平合戦は源平合戦、近代戦は近代戦と、別々の世界で戦い続けることになるんだよ。基本的にはね」
勇二 「なるほどね。電波の周波数みたいなものだよね。テレビ電波の周波数にチャンネルが合っていれば、テレビに画面が映るのと同じ原理だよね。
それに、源平合戦と太平洋戦争の兵士がごっちゃになったら、お互い話がかみ合わなくて混乱するだろうしね」
正太 「そう。ただし、こうしたことも起きるんだね。
アメリカ(を中心とした多国籍軍)とイラクが戦った「湾岸戦争」「イラク戦争」というのがあったよね。この時は、戦力も兵器の性能においても、アメリカ側のほうがイラクを圧倒していたから、イラク軍の戦車隊だけが一瞬で壊滅するということが起きたんだね」
勇二 「いくら兵力差に大きな開きがあったとしても、一方だけが瞬時に全滅しちゃうなんていうのは、昔はなかったろうし、近代戦の特徴かもしれないね」
正太 「この場合、大量のイラク兵だけが、あっという間に死んでしまうという事態が起きたんだね。
アッラーの教えによれば「アッラーのために戦って死んだ場合には、最高の天国に還れる。そこでは美女にかしずかれ、極上のお酒とごちそうがふんだんに食べられる」ということになるはずなんだけど、美女もお酒も出てこないから、イラク兵たちは「まだ自分は死んでいない」と思って、戦闘を継続するんだね。ところが、やられたのは自分たちだけだから、イラク兵たちは「敵が見当たらない」という状態になるんだね」
勇二 「ふーむ。戦おうにも相手がいないわけだ」
正太 「湾岸戦争の場合、イラク軍側は十数万の戦死者を出したと言われているけど、さっきも言ったように、短期間の間にこれだけ大量の人間が死ぬと、イラク側には地獄界が出現するんだね。ところが、アメリカ側は戦争を通しての戦死者が百数十人くらいしかいないので、これくらいの数だと地獄ができないんだね。
じゃあ、アメリカ側の戦死者はどうなるかというと、「個別対応」でそれぞれに応じた世界に引っ張っていかれるだけで、地獄ができないんだよ」
勇二 「そうか。戦う相手の見当たらない地獄が、イラク側だけに出現したことになるよね」
正太 「そう。その場合、イラクの兵隊が敵を探しているうちに、弓だとか矢で戦争をしている古代の兵隊と遭遇することがあるんだよ。同じ戦争系統の阿修羅地獄といっても、現代の兵隊と古代の兵隊じゃ、戦っている際の意識が微妙に違うから、通常ならいっしょにならないけど、そうした世界を徘徊しているうちに出くわすことが起きるんだね」
勇二 「ほーお。「闘争と破壊」という点では、念の性質、念の周波数も近いだろうからね。そういうことも起きるわけだ。
でも、その場合、いくらイラク兵の装備が旧式だからといっても、古代の兵隊相手に戦闘をしたら圧勝になるだろうね」
正太 「いや。この世だとそうなるんだけど、不思議なことに、あの世だと必ずしもそうはならないんだよ。この場合、とても興味深いことが起きるんだね。
イラク兵たちは、「敵兵発見」ということで、戦車で砲弾を撃つんだ。あの世というのは、心の世界だから、「ある」と思うもの、「欲しい」と思うものは出現してくるんだね。本人が「あって当然」と思っていれば、当然のようにそこに出てくるんだよ。
ところが砲弾がバーンと飛んで、古代人たちの所で着弾しても、爆発が起きないんだね。「おかしいな」と思って、何度、弾を撃っても、やっぱり破裂しないんだ」
勇二 「ふーん、不思議だね。古代兵はそれこそ魔法でも使ったのかな?」
正太 「いや。なぜこうなるかというと、古代人たちは、戦車や砲弾というものを知らないので、イラク兵たちが何をしているかが認識できないからなんだね。「何か丸いものが飛んできたな」といぶかしがるんだけど、何なのかがわからないから、怖くも何ともないんだよ」
勇二 「へーえ。「爆弾というものがあって、それは地面に落ちると爆発して被害がでる」という認識を持ってないと、爆発しないわけ?」
正太 「そうなんだよ。霊界では、認識できない武器で攻撃されても被害は出ないんだね。
だから、あの世で古代人と戦うなら、石でも投げたほうがいいんだ。石だとか弓矢なら彼らも一目でわかるんだけど、戦車で砲弾を撃たれても、何をされたかがわからないんだね。飛行機で爆弾を落されても、「大きな鳥が飛んできてフンを落していった」くらいにしか、彼らは受け取らないんだね。そうすると、何も被害は出ないんだよ。
イラク兵がもし、第二次世界大戦で死んだドイツ兵なんかがいる地獄あたりに「運よく」出現できたら、相手も戦車がわかるから撃ち合いになるんだ。そうすると、相手は戦車が放った砲弾もわかるから、怖くておろおろしたり、砲弾が爆発すると、「うわー」と叫んだり爆風で飛んだりするんだよ。
こんなふうに、理解できる者同士の場合には被害が発生するんだけど、理解できない者には被害が発生しないんだね。この世の兵器は、あの世の地獄界にも、ほとんど勢ぞろいしているんだけど、その兵器を知らない者に対しては何の効果もないんだよ」
勇二 「ふーむ。あの世は「思いがすべて」というけど、自分の思っているとおり、認識しているとおりにしか展開してこないわけだ」
正太 「そう。そして、当然だけど、あの世では、いくら殺しても殺しても相手が死なないんだね。阿修羅地獄に堕ちて、いくら相手を刀で斬っても、槍で刺しても、マシンガンでハチの巣にしても、爆弾でこっぱみじんに吹き飛ばしても、相手はすぐに元に戻っちゃうんだね。
「傷から血が出たのに、しばらくしたらふさがって、元通りになってしまった。おかしいなー」とか「首を切られたのにまた生えてきた」とか、笑い話みたいだけど、こういうことを本当にやっているんだよ。
延々と、そうしたことに嫌気がさすまで、バカバカしくなるまで続けるわけなんだ」
勇二 「なるほどな。あの世は「波長同通」の世界、「同類相集まる」の世界だから、地獄に堕ちると、お互いにお互いを見て、嫌になるまで自分の醜さみたいなものを味わうことになるわけだよね。実体験を通して、自分の心の間違いを勉強させられるわけだ。
ところで一つ質問があるんだけど」
正太 「はい、どうぞ」
勇二 「もう亡くなったんだけど、僕のお祖父さんは若い頃、徴兵で戦争にいったんだよね。そうした場合、「戦争に参加した」ということで、「地獄行き」は決定なのかな?」
正太 「いや、そんなことはないんだよ。戦争の際には、その戦争を指揮した指導者に責任が問われるけれども、その指導者に従った兵隊については大きく問われないんだよ。
指導者に対しては、正義の観点から「どういう考えにもとづいて、どのように戦争をしたか」ということが大きく問われることになるんだけど、仕事として軍務についた人が責任を問われるわけではないんだ。「兵士として戦争に参加した」という事実によって、罪が発生するわけではないんだね。
また、平和なとき、普通の市民生活において他の人を殺傷した場合、99パーセント以上地獄に堕ちることは避けられないけど、戦時の際、兵士として戦闘行為に従軍した場合も同列に扱われるかというと、それはないんだよ」
勇二 「ふーむ。開戦を決定したり、戦争を指導した政治家とかの指導者に責任があって、一般の職業軍人だとか徴兵されて従軍した兵士たちには、基本的にその責任は問われないんだね」
正太 「そう。ただ、あの世というのは想念の世界だから、ここまで説明してきたように、戦争をすることによって不成仏になる人が大量に出てくることは、やはり避けられないんだね。
ふつうに病気で死んでいくときなんかは、時間の経過とともに肉体の衰弱もわかるから、わりと死の自覚がしやすいんだけど、戦闘中にいきなり爆弾が落ちてきて死んだりすると、死んだことがわからない人が多いんだね。そうした場合、修羅のような心の状態のまま、いつまでも戦いを続けようとすることが多いから、どうしても成仏が妨げられてしまうんだね。
また、たとえば、ベトナム戦争に従軍したアメリカの軍人たちは、自分たちが、ベトコンという、ゲリラ兵にも見えるし民間人にも見える人たちを相当殺したことに対して、その後、悪夢に悩まされ続けて、思い出すと発狂しそうなぐらいの苦しみを味わったりしているんだ。
だから、「仕事として軍務に就いた人間が責任を問われるわけではない」といっても、戦争の現場を経験した人たちは、なかなか苦しみから逃れられるものではないんだね。やはり、「自分自身が大勢の人を殺した」という恐怖体験は、一生忘れられるものじゃなくて、魂にとって、かなり深いものが残ることは事実なんだ。
戦争については、またテーマが違ってくるので、いずれ機会を改めて取り上げてみることにしよう。
ところで、阿修羅地獄には、こうした戦争系統ではないところもあるんだよ」