正太 「真理を知らないことを、仏教では「無明(むみょう)」というんだね。無明―つまり「真理という明かりがない状態」だと、人間は手探りで生きていくことになるんだ。
手探りで生きていくと、どうしても、つまずいて転んだり、手を挟んだりしちゃうんだよ」
勇二 「とどのつまり、地獄に堕ちちゃうわけだ」
正太 「そうなんだよ。草むらのなかに古井戸があって、そこはとても危ないのに、「何の心配もないや」と思って遊びほうけてると、井戸に落ちちゃうんだね。
古井戸に当たる部分が何かというと、「死んだら全部おしまいだ」とか「あの世なんてあるもんか」と思って、無軌道な生き方をしている大多数の人の人生観なんだ」
勇二 「ふーむ」
正太 「古井戸があるってことは、「あの世には地獄もありますよ」ということなんだね。
「地獄がある以上、危険もありますよ。だから注意をしてください」「間違った生き方をすると、来世に苦しみが待ってますよ。だから用心をして人生を生きてください」ということなんだ。
真理の知識というのは、要するに「転ばぬ先の杖」なんだよ」
勇二 「知らないから、みすみす落とし穴に落ちてる面が大きいわけだもんね。「知は力なり」って言うけど、ホントだな」
正太 「真理を知らないと、「どういう生き方が天国的で、どういう生き方が地獄的なのか」が、わからないんだね。「自分がどこから来て、死んだら一体どうなるのか」も、サッパリわからないんだよ。
実際、地獄霊と話をしても、「知らないづくし」の人ばかりなんだ」
勇二 「そうか、わかんないことだらけなんだね」
正太 「そう。地獄に堕ちてる人というのは、「善いことをしなくてはいけない」ということも知らない。「人間の本質は霊であって、肉体ではない」ということも知らない。
それどころか、自分が「地獄に堕ちていること」も知らなければ、「死んだことすらわからない」という人も少なくないんだよ」
勇二 「えっ、そんなことまで!?」
正太 「うん。地獄というところには、菩薩や天使たちが行って救済活動をしているんだけど、どの人に対しても、ごくごく単純なこと、初歩的なことから説明していかないといけないんだね。たとえば
「あなたは、もう何年もごはんを食べてないよね。生きてる人で、何年も食べずに平気でいられる人っているかなー? …そうだよね。ということは、もう「死んでる」ってことなんだよ」
だいたい、このレベルのことから始めていかなきゃいけない場合が多いんだよ」
勇二 「へーえ」
正太 「あるいは、
「天国は明るくて暖かいところなんですよ。地獄は暗くて寒いところなんですよ。ここはどっちだと思いますか?」
こんなことだね。それから
「人間は、他の人に愛を与えて生きていかなくてはいけないんですよ。他人から愛を奪うこと、もぎとることばかり考えてはいけないんですよ。それは「執着」ですよ。
ほんとうの愛は「自分のほうから差し出すこと」なんですよ。あなたは、他の人に対して、「差し出す愛」というものをどれだけ実践してきましたか?」
とか
「自分の欲望のままに生きてはいけないんですよ。また、「自分の欲望が叶わない」「自分の思い通りにならない」からといって、他人に対してカーッと怒ったり、愚痴ったり、妬んだり、恨んだり、憎んだりしてはいけないんですよ」
地獄に堕ちてる人というのは、こうしたことを一から説明していかなきゃいけない人ばかりなんだ」
勇二 「ふーむ。「死んだら全部おしまい」と思っていたら、自分が死んだことさえ分からない人もいるんだろうね。
あの世(天国地獄)の存在をある程度認めていても、「地獄っていうのは、強盗や殺人のような犯罪を犯した人間が行く世界だから、自分とは無関係だ」とか思ってる人も多いんだろうな」
正太 「ただ、そうした地獄霊たちに真理を教えてあげると、ハッとわれに返ることがあるんだよ。
「しまった。自分は間違った人生を生きてきてしまった。このままじゃいけない。これからはまっとうな生き方をしなくちゃいけない」ということに気づくことがあるんだ。
そうすると、真っ黒に見えていたその人の霊体から光が出てくるんだね。かすかで淡いんだけど、頭の後ろに後光がさしてくるんだよ」
勇二 「ふーむ。知らないから迷っているだけで、教えられれば気づくこともあるんだね」
正太 「そうなんだ。地獄に堕ちてる人を導くというのは、たいへんな苦労を伴う仕事なんだけど、教えてあげるとこんなふうにハッと気づく場合もあるんだね。
ちなみに、人間が死んでから地獄に行く場合、二通りのパターンがあるんだよ」
勇二 「ほお、二通り。それは、どんな?」
手探りで生きていくと、どうしても、つまずいて転んだり、手を挟んだりしちゃうんだよ」
勇二 「とどのつまり、地獄に堕ちちゃうわけだ」
正太 「そうなんだよ。草むらのなかに古井戸があって、そこはとても危ないのに、「何の心配もないや」と思って遊びほうけてると、井戸に落ちちゃうんだね。
古井戸に当たる部分が何かというと、「死んだら全部おしまいだ」とか「あの世なんてあるもんか」と思って、無軌道な生き方をしている大多数の人の人生観なんだ」
勇二 「ふーむ」
正太 「古井戸があるってことは、「あの世には地獄もありますよ」ということなんだね。
「地獄がある以上、危険もありますよ。だから注意をしてください」「間違った生き方をすると、来世に苦しみが待ってますよ。だから用心をして人生を生きてください」ということなんだ。
真理の知識というのは、要するに「転ばぬ先の杖」なんだよ」
勇二 「知らないから、みすみす落とし穴に落ちてる面が大きいわけだもんね。「知は力なり」って言うけど、ホントだな」
正太 「真理を知らないと、「どういう生き方が天国的で、どういう生き方が地獄的なのか」が、わからないんだね。「自分がどこから来て、死んだら一体どうなるのか」も、サッパリわからないんだよ。
実際、地獄霊と話をしても、「知らないづくし」の人ばかりなんだ」
勇二 「そうか、わかんないことだらけなんだね」
正太 「そう。地獄に堕ちてる人というのは、「善いことをしなくてはいけない」ということも知らない。「人間の本質は霊であって、肉体ではない」ということも知らない。
それどころか、自分が「地獄に堕ちていること」も知らなければ、「死んだことすらわからない」という人も少なくないんだよ」
勇二 「えっ、そんなことまで!?」
正太 「うん。地獄というところには、菩薩や天使たちが行って救済活動をしているんだけど、どの人に対しても、ごくごく単純なこと、初歩的なことから説明していかないといけないんだね。たとえば
「あなたは、もう何年もごはんを食べてないよね。生きてる人で、何年も食べずに平気でいられる人っているかなー? …そうだよね。ということは、もう「死んでる」ってことなんだよ」
だいたい、このレベルのことから始めていかなきゃいけない場合が多いんだよ」
勇二 「へーえ」
正太 「あるいは、
「天国は明るくて暖かいところなんですよ。地獄は暗くて寒いところなんですよ。ここはどっちだと思いますか?」
こんなことだね。それから
「人間は、他の人に愛を与えて生きていかなくてはいけないんですよ。他人から愛を奪うこと、もぎとることばかり考えてはいけないんですよ。それは「執着」ですよ。
ほんとうの愛は「自分のほうから差し出すこと」なんですよ。あなたは、他の人に対して、「差し出す愛」というものをどれだけ実践してきましたか?」
とか
「自分の欲望のままに生きてはいけないんですよ。また、「自分の欲望が叶わない」「自分の思い通りにならない」からといって、他人に対してカーッと怒ったり、愚痴ったり、妬んだり、恨んだり、憎んだりしてはいけないんですよ」
地獄に堕ちてる人というのは、こうしたことを一から説明していかなきゃいけない人ばかりなんだ」
勇二 「ふーむ。「死んだら全部おしまい」と思っていたら、自分が死んだことさえ分からない人もいるんだろうね。
あの世(天国地獄)の存在をある程度認めていても、「地獄っていうのは、強盗や殺人のような犯罪を犯した人間が行く世界だから、自分とは無関係だ」とか思ってる人も多いんだろうな」
正太 「ただ、そうした地獄霊たちに真理を教えてあげると、ハッとわれに返ることがあるんだよ。
「しまった。自分は間違った人生を生きてきてしまった。このままじゃいけない。これからはまっとうな生き方をしなくちゃいけない」ということに気づくことがあるんだ。
そうすると、真っ黒に見えていたその人の霊体から光が出てくるんだね。かすかで淡いんだけど、頭の後ろに後光がさしてくるんだよ」
勇二 「ふーむ。知らないから迷っているだけで、教えられれば気づくこともあるんだね」
正太 「そうなんだ。地獄に堕ちてる人を導くというのは、たいへんな苦労を伴う仕事なんだけど、教えてあげるとこんなふうにハッと気づく場合もあるんだね。
ちなみに、人間が死んでから地獄に行く場合、二通りのパターンがあるんだよ」
勇二 「ほお、二通り。それは、どんな?」