死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

胎児や脳死患者に「合法的」に死を与えている日本の医療 

2007-03-31 | 堕胎は一種の「生命を奪う行為」
勇二 「じゃあ女性の場合、どのみち子育ての仕事からは逃れられないってことだね」

正太 「そのとおり。今世でするか、来世でするか。同じ仕事をするなら、今世で自分が産んだ子供を育てるほうが楽しいに決まってるし、幸福に決まってるんだね。だから、女性というのは、結婚して二人以上の子供を産んで育てる楽しみを持ったほうがいいんだよ」

勇二 「へーえ、だったらそれを教えてあげれば、「少子化対策」にもうってつけだね。…えーと、何の話をしてたかというと、中絶されると胎児の魂にも傷がつくことが多いし、せっかくのこの世での人生計画が挫折してしまう、ということだね」

正太 「そうそう。だからそういう役割の女性もいたりするけれど、余りにも中絶の数が多くなってきて、霊界でもたいへんな混乱が起きているんだ。中絶というものは、そうした性格のものである以上、やはりできるだけ避けるべきものなんだね。
もっとも、どうしてもやむをえない事情、たとえば女性の体が弱くて子供を産めば死ぬかもしれないような場合、母体を守るという意味での中絶もあるだろうから、必ずしも許されないことではないけれども、それでも子供に対して「すまなかった。ごめんなさい」「あの世で間違いなく成熟していけるように」「心に傷が残らないように」という念を送ってあげることが大切なんだ。それが、人間としての最低限の義務なんだね。
ただ、水子供養みたいなものは商売でやっている人もいっぱいいるので、あまりそれにとらわれてもいけない、ということなんだ」

勇二 「ふーむ」

正太 「こんなふうに、今の日本では、胎児に対して、非常に多くの人工死が「合法的」に行われているんだね。人間が生まれるてくる段階で、平気で死を与えているというのが、日本の医療の現状なんだ。だから脳死臓器移植、つまり「脳死体」と称して、まだ死んでもいない人を死体扱いするケースが年に数千件ほど出たとしても、百万人近い魂たちを死に追いやっている人工流産に比べれば、まだ数も少なく、不思議ではないとも言えるんだよ。
脳死状態になれば肉体的な死は避けられないとしても、人間には本来「安らかに、あの世に旅立つ権利」というものがあるんだ。その点、脳死臓器移植は、あの世の世界へのスムーズな移行を大きく妨げていると言わざるをえないんだ。
今回はこれくらいにしておくけど、中絶や水子の問題については、いずれまた詳しく説明することにしよう」


あの世で「子育ての仕事」が待っている女性とは?

2007-03-30 | 堕胎は一種の「生命を奪う行為」
勇二 「ふうむ。じゃあ8ヶ月をすぎた胎児というのは?」

正太 「この後亡くなった魂は、霊界に還っても、大人の霊人に戻ることが難しくなるんだ。この月数で早産して亡くなった子供は、霊界に還っても赤ちゃんのままなんだよ。だから、子供からまたやり直さなきゃいけないんだ。もちろん、この世に生れ落ちてから亡くなった子供も同じだね」

勇二 「子供からやり直すって、どうやり直すんだい」

正太 「うん、誰かに引き取ってもらって、赤ちゃんの時点から霊界で育ててもらうことになるんだ。地上でいうと、やはり20年くらいかかるんだね。その役目を担うのは、その子供の母親の「魂の兄弟」の場合もあるし、特殊な使命を帯びた女性霊たちの場合もあるんだよ」

勇二 「特殊な使命を帯びた女性っていうと?」

正太 「あの世でも、この世にいた時に子育てをしなかった女性がたくさんいて、そうした女性霊たちが自分のしなかったことを勉強するために、水子とかそうした子供の霊を育てているんだ」

勇二 「へーえ、あの世で子育してるのかい」

正太 「これは地上の人にはいろんな考えがあるだろうけど、霊的な面、魂の観点から言うと、女性が地上で十分にその使命を果たしたと言えるためには、二人の子供を産まなければならないことになっているんだ。二人の子供を産まないと女性として十分ではない、つまり、その使命を果たしたとは言えないんだよ」

勇二 「おいおい、そんなこと言ったら、フェミニズムだとか昔のウーマンリブの人たちなんかは猛反発するんじゃないか」

正太 「でも、これが真実なんだね。だから二人の子供を産んでいない女性の場合は、それに代わることを必ず何かしなければいけないんだね。子供が一人の場合や子供がいない場合は、子供二人を育てたのに匹敵するような献身的な愛にあふれた仕事を何かしないと、この世を去ったときに、来世でカルマ(業)の刈り取りが必要になるんだ。つまり、今言ったように、あの世でいわゆる水子だとか、子供の霊としてあの世に還ってきた人たちを育てるという仕事が待っているんだよ」


「堕胎天国」が引き起こした霊界の混乱

2007-03-29 | 堕胎は一種の「生命を奪う行為」
正太 「そうだね。現代の日本というのは「堕胎天国」で、毎年百万人近くもの胎児が人工流産をされているとも言われるけど、これが、あの世からこの世への生まれ変わりを阻害していて、霊界に大きな混乱を引き起こしているんだよ」

勇二 「霊界の混乱?」

正太 「うん。日本でも百万人近い魂たちが、この世での人生計画に大きなダメージを受けているんだ。明確な人生計画を立てて生まれてこようとしていた者が、結婚を予定していた相手と結びつくことができなくなってしまったり、予定していた職業での目的を断たれたりすることが、数多く起きているんだよ」

勇二 「結婚を予定していた相手というのは、いわゆる「赤い糸」で結ばれた相手ということ?」

正太 「そうそう。たいていは、両親が霊界にいた時、子供になる魂と「親子の約束」をしてきていることが多いんだ。そして、親が結婚して子供を産む時期になると、霊界での約束どおり、子供の魂が入ってくるんだけど、親が約束を違えて堕してしまうわけなんだ。こうした経験をすると、子供の魂には傷が残るんだね。安全なところにいたのを、いきなり氷か何かが割れて海に落とされたような、いきなり殺されたような、そうした痛みや恐怖心があって、次の生まれ変わりの際にも恐怖心が出たりするんだよ」

勇二 「中絶された子供というのは、その後どうなってしまうんだい。よく言われる「水子の霊」みたいな存在になってしまうのかい?」

正太 「これはいろんなパターンがあるんだね。胎児の霊体と肉体が完璧にドッキングして、魂が肉体から抜けられなくなるのが8ヶ月目ぐらいなんだけど、これ以前、つまり、7ヶ月目ぐらいまでに堕胎や流産されてしまった魂というのは、本人の霊格、意識レベルにもよるけれど大人の魂に戻ることが可能なんだ。
 たとえば6次元(光明界)以上の目覚めた魂の場合には、すぐに大人に戻るんだ。また、5次元(善人界)ぐらいの魂だと、本人の意識レベルにもよるけど、守護霊などの力を集めて大人に戻すことは可能なんだ。しかし、4次元(幽界)ぐらいの魂で、肉体と霊の関係を十分に理解していない魂の場合には「さまよえる魂」になることが多いんだよ。なかなか霊界に還ってこられずに、ふわふわと浮遊していたり、母親にしがみついて離れなくなったりすることがあるんだ。意識の目覚めの鈍いこういう魂には、ある程度、天上界からの助力が必要なんだね」


堕胎は一種の「生命を奪う行為」

2007-03-28 | 堕胎は一種の「生命を奪う行為」
勇二 「今、聞いた話だと、医学も、魂の問題については無知な部分が多いということになるね」

正太 「うん、肉体と魂の関係が解き明かせない限り、医学も最先端の科学どころか、まだまだ未開の状態にあると言わざるをえないし、どうしても「五割医療」を超えることはできないんだ。臓器移植は人間の死に関わる問題だけど、反対に人間の誕生についても、同様のことがいえるんだよ。…うーんと、今回は「死んだ後」どうなるかがテーマだから、「生まれる前」の話まで始めると収拾がつかなくなりそうだな…」

勇二 「いいじゃないか。たまには「脱線アリ」でいこうよ」

正太 「「たまに」がけっこう続いたような気もするんだけどね、ま、いいか。これはとても重大なことだからね。えーと、人間が生まれる時、つまり母親のおなかの中に胎児の魂が宿るのは、妊娠後、満9週目に入ったときなんだね。満9週目になると、確実に魂が胎内に宿るんだ」

勇二 「満9週目に? 魂が宿ったっていうのは自分でもわかるのかね?」

正太 「これは、つわりの始まった頃に宿ったと思っていいんだよ。なぜつわりが起きるかというと、これは自分の身体の中に他の魂が入ってこようとしているから、最初その魂と波長が合わない場合、それを合わせようとして起きてくるんだ。お母さんの魂と胎児の魂の波長が合わず、うまくドッキングできなくて、そうした現象がおきるんだよ」

勇二 「へーえ、つわりってそんなものなのかい。で、魂が宿るって、あの世から宿ってくるわけ?」

正太 「もちろん。あの世では立派な「大人」として生活していた魂が宿ってくるんだね。ただし、あの世といっても、天国からだけで、地獄からは生まれ変わってこれないんだ。地獄にいる人は、十分反省して天上界に上がってからでないと、地上に生まれ変わってこれないことになっているんだよ。地獄というところは苦しい世界だし、そこにいる人は、みんなこの世に執着を持っているから、そこから赤ちゃんとしてこの世に生まれ変わってこれるなら、アッという間に地獄は空っぽになってしまうだろうけど、それは許されていないんだ」

勇二 「ほーお、人間て天国からしか生まれ変わってこれないのかい!」

正太 「そうなんだ。反省して、最低限、4次元幽界の精霊界(4次元幽界の中の地獄でない領域)まで上がってこないと、生まれ変われないことになっているんだ。
それと、地獄というのもけっこう誤解があって、「落っこちたが最後、永遠の業火に焼かれる」みたいなイメージかあるけど、そうじゃないんだね。生前の「思いと行い」の間違いを十分反省できたら天国に還ってこれるんだよ。このあたりは重要なことだから頭に入れておいてね。
 で、話を元に戻すと、魂が胎内に宿る満9週目以降、その胎児に対して人口流産(人工妊娠中絶)をすることは、一種の生命を奪う行為であることは間違いないんだよ」

勇二 「はっきり言えば、殺人と同じということ?」



欧米で臓器移植が盛んなことの宗教的(思想的)背景

2007-03-27 | 脳死臓器移植の問題点
勇二 「でも、臓器移植は日本じゃ結構議論になっているけど、欧米なんかじゃ、抵抗が無いというか、何十年も前から進められているじゃないか。これはどういうことなんだろう?」

正太 「まず、基本的に、「霊肉二元」という現在のキリスト教の考えが大きく影響しているんだね。キリスト教圏では「霊と肉、霊体と肉体は全く別のものだ」と考えているんだよ。「霊は神が息を吹き込んだもの、肉体は神が塵や土をこねてつくったもの」として、「霊体と肉体は全く関係ない。霊は認めるけれど、肉体は切ってもかまわない」と理解しているんだ」

勇二 「実態は、死んだからって、そんなにスパっと分けられないということだよね。」

正太 「そうそう。また、こうした考え方には近代思想の祖となった哲学者デカルトの「精神と物質」の二元論も強く影響しているんだ。西洋医学のもともとの出発点は、デカルトの霊肉二元論あたりから始まっているといえるんだよ」

勇二 「デカルトの二元論?」

正太 「デカルトも、霊そのものがあることは認めていたんだけれど、現実的にはよくわからないので、これは神学や哲学のほうに委ねてしまって、この世的な肉のほう物質のほうは科学が対象にするというふうに分けたんだ。分けたために、結局、もう片方(霊)のことを考慮しなくなってきたという流れがあって、その中に西洋の医学もあるんだよ」

勇二 「自然科学に担当させた物質の研究は進んだけど、霊とか魂はうっちゃってきたような形なのかな」

正太 「そう。西洋の医学をやっている人たちは、あの世のことを知っているかといえば、霊界、あるいは霊があるということ自体はかなりの人が知っているんだ。ただ、「それは学問が対象とするものではないから、自分たちは肉体を治す研究だけに専念している」ということなんだよ。要するに、西洋医学というのは、あの世を知っている人の霊肉二元論で「霊と肉は違う。肉(物質)には肉(物質)の法則があるんだから、その中でどんどん進めていこう」という考えなんだね。

勇二 「霊は否定しないけど、そういう割り切った世界観があるから、臓器移植なんかにも積極的というわけか」

正太 「うん。でも、こうした見方もやはり間違っていて、実態はどうかといえば、むしろ仏教でいう「色心不ニ(しきしんふに)」という考えのほうが正しいんだね」

勇二 「色心不二?」

正太 「これは「色(肉体)と心は二つに分けられず、両者は互いに影響を及ぼしあっている」という意味で、実際人間というのは、肉体が病めば、霊体にも大きな苦痛が生じることがあるし、霊体が驚愕したり病んだりすると肉体に異常な変化が表れることもあるんだ」

勇二 「ふうむ。生きているうちは互いに影響しているし、心臓の鼓動が止まったからといって、お互いすぐに「はい、バイバイ」とはならないということだね」

正太 「そうそう。この点で、キリスト教圏では未熟な理論が通用している、といわざるをえないんだ。一方、日本の場合はどうかというと、医学のほうは、形だけ西洋医学をすっと取り入れたんだけど、霊とか魂はどこかに飛んでしまって、唯物的な医学そのものになりきっている面があるんだね」

勇二 「ははーん、同じ西洋医学といっても西洋と日本じゃ、そこらあたりで違いがあるんだな。ということは、日本の場合、医学以外のところで臓器移植への反発が強いということになるね」

正太 「うん。今言ったように、仏教を中心とした宗教的土壌があって、西洋的な「霊肉二元」という割り切った考えがなじまないこと、またお通夜とか、魂が安らかに離れるために配慮した風習も根強くあって抵抗感があることが大きいね。じゃあ実態はどうなのかといえば、霊的にはこちらのほうが正しいといわざるをえないんだよ」


臓器移植は本当の人助けになっていないことが多い

2007-03-26 | 脳死臓器移植の問題点
正太 「今言ったような霊的な事実を深く理解した上で、それでも「他の人に役立ちたい」という思いから臓器提供するなら、愛の行為になる場合もある。霊的な事実を理解した上で臨めば、ある程度痛みにも耐えられるし、(今君に言っても笑っちゃうかもしれないけど)介添えの天使なんかも来てくれて「あなたは、よいこと、立派なことをしたんだ。肉体的生命は終わったけれど、魂は完全なのだから、今は傷ついたように見えても、すぐまた元に戻るよ」と言って、なぐさめてくれるんだね」

勇二 「天使が…ねえ。まあそのへんも聞きたいのは山々だけど「ここで話すと長くなる」んだろうから(笑)、先の楽しみにとっておくよ。ところで、今、君は、愛の行為に「なる場合」もある、と言ったけど、「ならない場合」というのは、拒絶反応が起きてすぐ死んでしまったり、憑依によって人格変化が起きたりする場合という意味かい?」

正太 「うん。そうならないようにするためには、臓器を提供する側が今言ったような心がけを持つと同時に、臓器の提供を受ける人も、感謝の心を持たなくてはいけないんだね。
 拒絶反応などを抑えるためには、「ありがたい」という気持ちをもって移植された臓器と調和しなくてはいけないんだ。感謝しないで、物だけ貰ったように思っていると、大変なことになって、その人も遠からず死ぬことになってしまうんだよ。
 また臓器を提供してくれた人に対しても、ほんとうに成仏してくれるように、一生懸命、お祈りをしておく必要があるんだ。もし、その人が苦しんでいて、「痛い、痛い」と言っていたら、臓器のほうにも影響が出て必ず不調和を起こすんだよ」

勇二 「なるほどね」

正太 「それに外科医自身もこうした事実をしっかり認識して、臓器を提供する側、される側に説明や指導もできなくてはいけないんだ」

勇二 「まあ、でも、いくら「霊的事実を知った上でなら痛みも克服していける」と言われたって、生身の身体から内臓を切り出されるのと同じなんでしょ。僕なんか、どう言われたって絶対ゴメンだな」

正太 「実際、現在の日本のように、まだまだ唯物論がはびこっていて、「霊はない、あの世もない。そうしたことは全て迷信ででたらめである」という論調が主流の所では、愛の行為に見える臓器提供であっても、残念ながら本当の救いになっていないことが多いんだよ」


死んで何十年も病気をやっている人たち

2007-03-25 | 脳死臓器移植の問題点
勇二 「ただ、「霊的な自覚」といっても、現代では「人間はしょせん物質の固まりだ。死んだらすべてオシマイだからいいだろう」と考えて、臓器提供する人も多いよね。そういう人なんかはもっと大変なんじゃないかい?」

正太 「そうなんだ。唯物的な考えを持っていて「死ねば、全部終わり」と思って内臓を提供した人の場合は、あとが大変で、そういう人は実際七転八倒しているんだ。「内臓を抜かれた」ということで「痛い、痛い」と言って苦しんでいるんだよ」

勇二 「いつまでも苦しんでいるのかい?」

正太 「うん。これは臓器移植に限らず病気や事故で死んだ場合にも共通することだけど、死んで何十年も経つのに、まだ病気でウンウン苦しんでいる人とかが結構いるんだね。あるいは交通事故で亡くなってだいぶ経つのに、それこそ「血みどろの幽霊」の姿でずーっとやっている人とかもいるんだよ。こうした人たちは「人間というのは肉体だ。肉体以外の自分はない」という見方から離れられなくて、死んだときの肉体の状態が自分自身だと思い込んでいるんだね。そして、自分が死んだことすらわからないまま、何十年も同じ状態でいるんだよ」

勇二 「肉体を脱いで霊体になっているのに、まだそんな状態なのかい」

正太 「うん。霊っていうのは、「思っていることがすべて」の存在で、自分が思い描いているとおり、思い込んでいるとおりに現象化してくるんだ。だから、こうした人たちに必要なのは「霊的な自覚」、つまり「肉体は乗り物であって人間の本質ではない。自分は本来霊的存在なんだ」「霊体と肉体は違うんだ」ということをしっかり認識することなんだね」

勇二 「ふうむ、霊というのは「思い描いているとおりの自分になる」か…。えーと、そうそう、臓器移植に話を戻すと、要は臓器移植はやるべきじゃない、ということだね」

正太 「全否定まではできないけどね」

勇二 「というと?」


心臓移植後の人格変化は臓器提供者の「憑依」が原因

2007-03-24 | 脳死臓器移植の問題点
正太 「憑依というのは、霊が取り憑くことをいうんだ。心臓移植を受けた人が、移植手術の後に、人格がガラッと変わってしまうことがあるんだけど、こうした現象は、心臓を取られた側の人が、移植された側の人に憑依することによって起きるんだよ」

勇二 「心臓を取られた人の人格が、乗り移ってきてしまうわけか」

正太 「そうそう。臓器を取られた人の「まだ生きたい」という執着の念と、臓器をもらう人の「まだ死にたくない」という執着の念がピタッと重なった場合、「波長同通の法則」によって完全に憑依現象が起きてしまうんだ。
霊的な事実も知らないまま臓器を取られて、あの世への旅立ちを妨げられた人たちは、たいていの場合、不平不満やこの世への執着から、不成仏霊といわれる存在になっていて、さまざまな障りを起こす力、悪い出来事を起こす力を持っているんだね。それが原因で、臓器を移植された人の家庭のなかで、次々と不幸が起きたりすることがよくあるんだよ。これは昔からの言葉で表現すれば「祟り」といわれるものなんだね」

勇二 「ひゃー、怖いなあ。まだ春先なんだから。お盆の頃にでも企画すりゃ良かったな。まあ、臓器移植とかは、単に機械のパーツでも取り替えるように、唯物的に考えちゃいかんということだな」

正太 「そうなんだ。脳死状態での臓器移植は、今言ったように臓器の提供を受けた人の霊障を促進することになるし、そうならなかった場合でも、臓器提供者に、あの世への旅立ちにおいて、大変なハンディを与えることになってしまうんだ」

勇二 「そうした人もいずれは回復していくのかい?」

正太 「うん。これは霊的な自覚に応じて、つまり「人間は霊的存在なんだ」「霊体と肉体は違うんだ」ということをしっかり自覚して痛みを克服しようとする人ほど、その痛みも早く治まっていくんだね。ただそうは言っても、心臓の部分が空洞になった形であの世にわたっていくことになるので、たいへん情緒不安定な状態だし、中には取り乱している人もいるんだ」

勇二 「その心臓の部分の空洞もふさがっていくわけ?」

正太 「うん。というか、あの世での生活が長くなるにつれて、霊的存在として純化していくので、内臓とかの肉体的な属性の意識じたいが霊体から消えていくんだね。ただ、死後二、三年の人間は、あの世でもまだ内臓器官があるような気持ちでいるんだよ。もちろん5次元以上の世界に還っていくときには、幽体を脱ぎ捨てることになるから、臓器の意識の部分もいっしょに脱ぎ捨てることになるんだけどね」


臓器移植で拒絶反応が起きる霊的な理由

2007-03-23 | 脳死臓器移植の問題点
勇二 「いくら新鮮な臓器が欲しいからといって、死の線引きじたいを前倒しにするというんじゃ本末転倒だな」

正太 「また、臓器移植では、よく「拒絶反応」というのが起きるんだけど、これにも霊的な原因があるんだね」

勇二 「ほう、それはどんな?」

正太 「臓器というのは単なる物質じゃなくて、意識を伴っているんだ。臓器にも霊的意識があるんだね。だから他人の肉体に移植されると、意識に違いがあるから、元の魂に戻りたがって拒絶反応などを起こすんだよ。
 移植されたほうも、他人の魂が体の中に入り込んできた形になるので、それを拒もうとするんだ。そのため、臓器を移植された人はあまり長く生きられずに死んでしまうこともあるんだ」

勇二 「臓器にも意識がある?」

正太 「ここらへんは突っ込んだ説明をしだすと長くなるので詳しくは後に譲るけど、魂というのは、金太郎飴みたいに一様な存在じゃなくて、タマネギみたいに多重構造になっているんだね。西洋の「神智学」なんかでも、「アストラル体」だとか「メンタル体」だとか名前がつけられているけど、要するに、魂というのは、中心、中核の部分があってそのまわりを何層にも取り巻いている構造になっているんだ。その一番外側の部分を「幽体」というんだけど…」

勇二 「幽体離脱の「幽体」のことかい」

正太 「そうだね。ちょうど、この世、つまり3次元の地上界で魂修行するのに「肉体」という衣をまとうように、あの世の入り口である4次元の「幽界」という世界の住人は、この「幽体」を使って生活しているんだ(あの世に還らずに、この世で「幽霊」として徘徊している霊なんかもそうなんだね)。そして、死んであの世に還るときに、肉体を脱ぎ捨てて「幽体」という姿になるように、4次元幽界の住人の心境が進んで5次元世界に上がるときは、この「幽体」を脱ぎ捨てて、その下にある「(狭義の)霊体」という姿になるんだ。そして5次元から6次元に進んでいくときは、今度はこの「霊体」を脱いでその下の「光子体」という身体になる、という具合に進んでいくんだよ」

勇二 「ほー、次元を上がるにつれて、一枚ずつ服を脱いでいくような感じだね」

正太 「そうそう。で、今説明したように、この幽体というのは魂の中でも一番外側、つまり最も肉体に近い部分で、この中に心臓の意識とか肝臓の意識といった臓器の意識があるんだ。たとえば心臓というのは、主に人間の意志や感情を司る中枢なんだけど、この心臓の部分を本人が十分に納得していない段階で取り出して他人に移植すると、霊体の一部も他の人に移植されることになるんだね」

勇二 「うんうん。それで」

正太 「するとその人の魂は、自分の心臓に吸い寄せられるようにして、移植された他人の肉体のほうに移動してしまって、ここで「憑依」という現象が起きるんだよ」

勇二 「憑依?」



脳死臓器移植の問題点

2007-03-22 | 霊子線が切れるには心臓停止後一日はかかる
正太 「昔は、死体を焼かずに土葬にする習慣もずいぶんあったんだ。これは「死んで、すぐに火葬にすると、魂が痛みや熱さを感じることがある」ということを、昔の人が知っていたからなんだ。ただ、伝染病の防止とかの衛生上の問題などから、日本では土葬は行われなくなったんだけどね」

勇二 「昔の人っていろいろと知ってたんだな。侮っちゃいけないね。結局のところ、霊子線が切れていないうちは、魂は肉体の痛みを感じるということだね」

正太 「そのとおり。霊子線が切れていないと、肉体の意識が魂に伝わるんだ。これが切れると、肉体に何をされても、魂のほうは全く感じなくなるんだけど、これが切れていないときに、肉体をいじられると、魂のほうは、それを感じるんだね。死んだように見えていても、それを感じるわけなんだ」

勇二 「それじゃあ、死んですぐ献体だとか、ましてや、今議論になっている脳死臓器移植なんていうのは論外じゃないか」

正太 「そうなんだよ。心臓が停止した時点でも魂はまだ肉体から離脱していないのに、それをさかのぼる脳死状態では、「魂はまだ肉体と完全に密着した状態にある」ということなんだ。「まだ心臓が動いていて、血流があり、体が温かい状態では、魂は肉体から離れておらず、生きようと努力している」というのが真相なんだ」

勇二 「当然、痛い、わけだよね」

正太 「生きたまま、麻酔もなしにメスで切り裂かれて、内臓を取り出されるのと全く変わらないんだ。生体解剖のようになっているんだね。その際の恐怖と驚愕と苦痛たるや想像を絶するもので、その人の成仏を妨げてしまうんだよ」

勇二 「うわあ。安易にドナー登録なんかできないな」

正太 「内臓の取り出しは、死後一日たってからやってもらうなら構わないんだ。だけど、それだと内臓が古くなってしまって、移植を受けた人が助からないという事情があるんだね。心臓なんかは、心臓が止まってから取り出しても間に合わないということで、現在では「人間は脳死の状態で死んだことにしよう」という動きが出ているわけなんだ。でもこれは完全な間違いなんだよ」



魂が肉体から抜け霊子線が切れるのは、心臓停止から平均約24時間はかかる

2007-03-21 | 霊子線が切れるには心臓停止後一日はかかる
正太 「察しのいい君のことだから、もうおわかりだと思うけど、なぜ死ぬとすぐ焼き場に持っていって焼いてしまわないかというと、今説明したように、魂が抜けて霊子線が切れるまでにふつう丸一日くらいはかかるからなんだね。死にたくないなんて暴れている人の場合は、もう少しかかる場合もあるんだ。だいたい一日から二日近くはかかるんだよ」

勇二 「だから、それまで通夜だとか葬式をやるわけかい?」

正太 「そうなんだ。通夜をする理由は、魂が抜けるまでの「時間を稼ぐ」ことにあるんだ。もちろん、遺族が集まって通夜や葬式をすることによって、本人に「あなたは死んだんですよ」という自覚を与える意味もあるんだけどね。昔から伝統的に「魂が離れていない間は肉体を焼いてはいけない」ということが知られていたから、通夜という習慣があるんだよ」

勇二 「そうかあ。考えてみれば、単にお別れのために集まるなら、焼いてからやっても同じだろうしね。そうなってないということには意味があったんだな。じゃあ、すぐ焼き場に持っていったりしたら大変なことになるね」

正太 「うん。稀に「家族が忙しいから」とか「アパートが狭くて置いとけない」とかいって「今日中に焼いてしまおう」なんていう人がいるんだね。「死ぬなら休日の前に死んでくれ」ということで「平日に死んだから今日焼いてしまえ」なんていう人がたまにいるんだよ」

勇二 「ああ、そういう人っていそうだな」

正太 「そうすると、どうなるかというと、生きたまま火葬場で焼かれるのと同じになるんだね。ものすごい熱を加えられるから、大変な恐怖でいっぱいになり、顔が引きつって棺桶の中で暴れるんだ。実際、それによって火葬場の中で生き返るような人もたまに出るんだよ。死んですぐに焼いてしまうと、大変なことになってしまい、本人はすごく苦しむことになるから、必ず一日くらいの時間をおかなくてはいけないんだ。」

勇二 「そうかあ。心臓が止まったからなんていって、モノみたいに扱ったら大変なことになるね」





「霊子線が切れたとき」が本当の死

2007-03-20 | 「霊子線が切れたとき」が本当の死の瞬間
勇二 「霊子線でつながっているから魂が肉体に戻ってこれるということは、霊子線が切れてしまえば、もう戻ってこれないということだよね。つまり、それが「死」ということなんじゃないか?」

正太 「そのとおり! ご明察。さすがだなあ」

勇二 「おいおい、からかうなよ。話の流れからすれば、それしか結論はないだろう」

正太 「今、君が言ったように「霊子線が切れたときが、ほんとうの死」なんだ。霊子線が切れた段階で蘇生する可能性はなくなるんだよ」

勇二 「霊子線というのは、心臓が止まると同時に切れるものなのかい?」

正太 「いや。そうじゃないんだ。これは重要なことなんだけど、霊子線が切れるのは、心臓が停止してから約24時間後なんだね。人によって多少早い遅いの違いはあるけれど、平均的には、だいたい24時間くらいかかるんだよ」

勇二 「へーえ、丸一日くらいかかるのかい。じゃあ、心臓が止まってから霊子線が切れるまでの間、本人はどんな状態におかれてるんだい?」

正太 「心臓停止の段階では、魂はまだ肉体から離脱していないんだね。中には死後わずかの時間で離脱する人もいるけど、たいていの人は自分の肉体に執着しているから、なかなか肉体から離れようとしないんだ。死後2、3時間くらいだと、まだ肉体に出たり入ったりして肉体に取りついている状態が普通なんだよ」

勇二 「ふうむ、やっぱり肉体への未練が結構出るんだね」

正太 「そして、こんなことを言うと君は面食らうかもしれないけど、昔から言われているように、あの世から先に亡くなった父母や祖父母、知人友人とかの導きの霊が迎えにきて、本人を説得するという状態がしばらく続くんだ」

勇二 「あー、それもあるだろうね。ここまでくれば面食らわんよ(笑)。」



霊子線の不思議な性質

2007-03-19 | 「霊子線が切れたとき」が本当の死の瞬間
正太 「霊子線の形状だけど、魂が肉体の近くにあるときは太めになるんだね。直径が4、5センチほどの、やや太目のロープぐらいのことが多いんだ。なかを見ると、太めの毛糸を4、5本、あるいは5、6本ぐらい縒ったようなかたちになっているんだ。
魂というのは、肉体を離れて、霊界で活動したり、遠く地球の成層圏を越えて外へ出たりすることもできるんだけど、そのときは霊子線もずーっと伸びていってクモの糸のように細くなるんだ。不思議なことに、切れそうで切れずにどこまでもスーっと伸びていくんだよ」

勇二 「余計な心配かもしれないけど、夜中にみんなが眠って魂があの世に行くと、お互いの霊子線がこんがらがっちゃって、肉体に戻れなくなるなんてことはないのかね」

正太 「不思議なことに、霊子線というのは、もつれないんだね。この世の糸とか釣り糸のテグスなんかはもつれるけれど、霊子線の場合は、重なってもスッと通り抜けてしまうんだ。見事にほどけてしまって、スーッと伸びていくんだよ」

勇二 「へーえ、ずいぶん便利というかよくできてるね」

正太 「まあ、霊子線ていう「ひも付き」で来てるから、生きている人の場合、霊界でもすぐ見分けがつくんだね。また、そうした「ひも付き」で動いているから、生きている人の場合、霊界でも比較的浅いところまでしか行けない、という特徴があるんだ」

勇二 「後頭部からアクアラングのホースみたいなのが出てれば、そりゃ目立つだろうね」

正太 「睡眠中に行くあの世の世界のことを「夢幻境」というんだけど、ここは霊界のあまり深いところじゃなくていわゆる幽界(4次元世界)の入り口あたりなんだね。心境が悪くて、精神的に追い詰められているような場合には、幽界の下部である地獄界のほうにいくこともあるけれど、地獄でも底辺まではいかずに、わりに浅い所でうろうろしているんだ。そういう、すぐに戻ってこれるぐらいのところに行っているんだよ」

勇二 「…あ、そうか、わかったぞ!」

正太 「おいおい、急に何がわかったんだい?」

昔から知られていた霊子線の存在

2007-03-18 | 「霊子線が切れたとき」が本当の死の瞬間
正太 「たとえば、そうだね。古代ギリシャの有名な哲学者のソクラテスという人は、この人自身が霊能者で、幽体離脱をしてよくあの世の天上界や地獄界を見てきていたんだね(このことはソクラテスの弟子のプラトンという人がその対話編の中で詳しく書いているんだよ)。ソクラテスにはダイモンという守護霊がいたんだけど、このことについて「プルターク英雄伝」で知られているプルタルコス(プルターク)という人が評論を書いているんだ」

勇二 「へーえ、ソクラテスって霊能者だったのかい」

正太 「うん。で、その評論の中に、「魂の銀色の糸が脳のところから出ていて、それがどこまでも伸びていって、魂が出たり戻ったりできる」ということが書いてあるんだね。これは二千年近い昔に書かれたものだけど、こんなふうに、古くから霊子線の存在は知られていたんだ」

勇二 「ふうん。現代人の僕は知らなかったな」

正太 「あと古い時代では、旧約聖書の中に「伝道者の書」というのがあって、その中に「こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ…」という一節があるんだけど、この「銀のひも」というのは霊子線のことを指していたんだね。まあ、このあたりは現代のキリスト教会のほうでは理解されてないんだけど」

勇二 「ほーお、旧約聖書の中にねえ」

正太 「現代だと、アメリカの有名女優のシャーリー・マクレーンをはじめとして、幽体離脱体験をした人たちが、自身の経験に基づいて「魂と肉体を結んでいる霊子線(シルバー・コード)がある」ということを報告しているんだ」

勇二 「ああ、そういえば、そのシャーリー・マクレーンの体験談は、だいぶ前ビデオか何かで見たね。幽体離脱したとき、細い線みたいなのが、らせん状にダーッと伸びていく様子が映像化されていたよ」




魂と肉体をつなぐ「霊子線」

2007-03-17 | 「霊子線が切れたとき」が本当の死の瞬間
正太 「そうなんだ。ただ、ここで霊太陽の説明まで始めると長くなるので、これは後に譲ろう。要は、人間の肉体は食物によって養われているけれども、霊体そのものは実在界(あの世)にある霊的エネルギーで養われているということなんだね。ガソリンを補給するように必ず実在界のエネルギーを受けないと、霊的に生きていけないんだ。寝不足だときついのはこのためなんだよ」

勇二 「ああ、僕なんか最低でも6時間は寝ないと調子がでないな」

正太 「人間がもし唯物論が説くように単なる物質であるだけなら、食物だけ食べていけば生きていけるんだね。なのになぜ毎日8時間とか1日の三分の一近く睡眠をとらなきゃいけないかというと、今あげた二つの理由があるからなんだ。機械でも8時間も休ませなきゃいけないというのはあまりないと思うよ」

勇二 「でも一つひっかかるのは、睡眠時にあの世にいくにしろ一般的な幽体離脱にしろ、魂が肉体から抜け出したとき、よくきちんと戻ってこれるよね。迷子になったり、それこそ浮遊霊というのかよく知らないけど、そこらへんにいる別の霊に肉体を乗っ取られるなんてことはないのかい?」

正太 「そうそう、そこがポイントなんだ。生きている人間の場合、「霊子線(れいしせん)」というものがあって、これが魂と肉体を頭の部分でつないでいるんだよ」

勇二 「霊子線? そりゃ糸かロープみたいなものなのかい」

正太 「うん、これは銀色の細い線で、英語では「シルバー・コード(銀線)」というんだ。日本では昔から「魂の緒(たまのお)」とか「玉緒」と呼ばれてきたんだよ」

勇二 「玉緒っていうというと女性の名前みたいだね」

正太 「霊子線は実際に銀色に見えるけど、光り方によっては少しオレンジがかった銀色に見えることもあるんだ。洋の東西を問わず、これを見た人は昔から同じことを報告しているんだよ」

勇二 「へーえ、たとえば?」