死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

他人を怒りの炎で焼き焦がした人が堕ちる「火焔地獄」 

2007-12-31 | プロローグ
正太 「「怒りの毒」が原因で堕ちる代表的な地獄には、もう一つ「火焔地獄」というところがあるんだよ」

勇二 「とにかく、名前からして凄いよね。こんなところには、絶対、お世話になりたくないな」

正太 「この地獄は、この世に生きていたときに、「怒りの炎で他人を焼いてきた人」が堕ちる地獄なんだ。他の人たちを焼き焦がした怒りの炎によって、自分自身が焼かれている地獄なんだよ。
 地獄っていうところは、よく言われるように「暗い」世界なんだけど、それ以外の一般的な特徴は「寒い」ということなんだね(だから、地獄霊がやってくると、たいてい寒気がして鳥肌が立つんだ。悪霊がいると実際に部屋の温度が下がるようなこともあるんだよ)。
 ところが、この火焔地獄は全く逆なんだ。全身火だるまになりながら、焼ける苦しみで人々が絶叫している世界なんだよ」

勇二 「うーん。自分の怒りの炎で、自分自身が苦しんでるわけだね。生前、他の人に対して出した思いが、そっくり自分自身に返ってきてるわけだ、しかも十倍になって。
 こんな世界が待ってるんじゃ、怒る気も起きなくなるよね。何十年も、何百年も、地獄の業火の中で絶叫する日々を送るくらいなら、怒りを鎮めるくらい朝飯前に思えてくるな」

正太 「「火焔地獄」というのは、「阿修羅地獄」よりも深いところにあるんだよ。同じ「怒りの毒」でも、もっと程度の激しかった人が堕ちている地獄なんだ。
 前に、総理大臣であったにも関わらず、他人に対する怒りの心、カーッとくる衝動的な怒りが収まらなくて地獄に堕ちている人のことを話したよね。でも、そういう人は政治家だけじゃなくて、宗教家の中にもいるんだよ。
 たとえば、ある教団の二代目の会長で、闘争と破壊の「折伏(しゃくぶく)大行進」というのを全国に繰り広げた人がいるんだけど、この人はこの「火焔地獄」に堕ちているんだよ」

勇二 「折伏大行進?」

正太 「そう。もう何十年も前になるけど、「日蓮宗以外は全部邪教だ」と主張して、神棚や他宗派の仏壇を捨てさせるような強引な布教を展開したんだね。
 当時、この二代目の会長の指導のもとに活動した人たちのほとんどは、怒りのもとに行動して、死後「阿修羅地獄」に堕ちてしまったんだ。でも、会長だったこの人は、単に阿修羅地獄で止まらずに「火焔地獄」まで堕ちて、毎日、阿鼻叫喚の生活を送っているんだよ」

勇二 「うーむ。宗教家なら、それこそ「正しい心のあり方」を人々に説かなきゃいけない立場なのにね」

正太 「根本に、ほんとうの意味での「愛」の教えがないまま、「戦い」だけをやったら、「闘争と破壊」の世界が展開してくるんだね。「愛を広め、ユートピアを創ろう」という目的がなく、自分の団体の「拡張欲」だけで戦いを繰り広げると、そこに地獄が出現してくるんだよ」

勇二 「拡張欲だけで戦いをやると、地獄が現れる…、うーん」

正太 「それと、(これは今取り上げているテーマからは脱線しちゃうんだけど)「日蓮宗以外はすべて邪教だ」という教えは間違いなんだね。
 お釈迦様の教えというのは、禅宗の中にも、浄土宗の中にも、それ以外の真言宗やいろいろな宗派の中にも、部分的にではあっても流れているんだよ。それだけじゃなくて、キリスト教にも、あるいはイスラム教の中にも真実なる仏の教えの流れは入っているんだ。
 だから、「日蓮宗以外はすべて邪教だ」という教えは真実に反しているし、教勢を広げるための方便にすぎなかった、というのが真相なんだ。方便を本質と見誤ってはいけないんだよ。
 それと、「『南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)』という題目さえ唱えれば救われる」という教えも真実じゃないんだ。
 そもそも「南無妙法蓮華経」とはどういう意味かというと、南無というのは「帰依する」という意味、妙法というのは「妙なる教え」「正法」「正しい教え」、蓮華というのは「泥沼に咲く蓮の華」、経は「教え」 ― 。
 要するに、「南無妙法蓮華経」というのは、「泥沼に咲くあの蓮の華のような、清らかな正しい教えに帰依します」という意味なんだ。毎朝、「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」と唱えるということは、「正しい法に帰依します」「正しい法に帰依します」と言ってるのと同じことなんだよ。
 じゃあ、「正しい法に帰依します」という言葉を口に出して言えば、地獄に堕ちている人はポンと天国に上がってこれるのか。この世に生きている人は、それだけで地獄に堕ちなくてすむのか、と言えば ― そんなことは全くないんだね。
 真相はどうかというと、― お釈迦様が説かれた「正しい法」の内容を理解して、実践していかなければ、救われることはない ― ということなんだ」

勇二 「そりゃ、そうだろうね。いくら「よいことをします」って何百回唱えても、実際によいことをしなければ意味がないのと同じだね。これじゃあ「「チチンプイプイ」とおまじないを唱えれば、天国にいけますよ」と言ってるのと同じになっちゃうよね」

正太 「結局、「南無妙法蓮華経さえ唱えていれば成仏できるんだ」という「免罪符」をつくると、「じゃあ後は何をやってもオッケーなんだな。許されるんだな」という堕落のほうに流れていくんだね。お釈迦様が説かれた戒律も反省もいらなくなっちゃうんだよ。
 「脱会すれば罰が当たる。祟りが起きる」と言って脅迫したり、悪口や暴力沙汰という仏教徒として恥ずかしい行為をしても平気でいられるのは、こうした都合のいい免罪符があるからなんだ」

勇二 「なるほどね。「これさえ口の中で唱えれば、天国行きバッチリです」なんていう、虫のいい免罪符はないわけだよね。あの世っていうのは、地上数十年のその人のトータルの「思いと行ない」で分かれてくるわけだからね」

正太 「ただし、日蓮その人に関しては、生前の思想と行動には功罪両面があったし、「他宗排撃」等のやりすぎた部分についてはあの世に還ってから反省を余儀なくされたけれど、やはり高級霊界に還っていることは事実なんだ。このことは、誤解がないように指摘しておかないといけないね。
 同様の問題は、「『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』という念仏を唱えれば救われる」と説いている浄土宗系統についても言えるんだね。ただ、こうした教えを説いた親鸞や法然といった人たちの本意は、「学問もできず、字も読めないような人たちに、最低限の信仰心を持たせよう」ということにあったんだね。当時の貧しく無学文盲の人たちに、何とか救いのきっかけだけでも差し伸べたい ― そうした深い人間愛が、背後にあったことは事実なんだ(親鸞や法然、唯円、蓮如といった人たちは菩薩界の方なんだよ)。
 念仏を唱えただけで救われることはないんだけど、(難しいことはわからなくても)念仏を唱えるような信心のある生活をしてゆくうちに、だんだんいい人になって天国への道が開けることはあるんだよ。
 しかし、これも題目同様、「無反省な人間を数多くつくってきた」という面は否定できないんだね。「念仏を唱えてるんだから、何をやろうが万事オーライなんだ」と安易に考える人たちが大勢出てきたことも事実なんだ。
 実際、念仏宗が説かれて以降、「念仏地獄」という新しい地獄ができたんだよ」

勇二 「プッ、念仏地獄? 地獄でも念仏を唱えてるわけ?」

正太 「うん。冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、本当なんだ。地獄の岩陰に何百人も固まって「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とやっているんだよ。心を真っ黒にしたままね。
 問題なのは、この人たちのところに、天使(菩薩)が行って「自分が過去に思ったこと行なったことを、一つひとつ思い出して反省しなさい。反省することによって、罪が拭われ、心が清くなれば、天国に還れるんですよ」と説得しても、「念仏さえ唱えれば全部チャラになるはずだ。天国に行けるんだ」と思い込んでいるから、受け付けないんだね。「反省なんて言われてない」とはねつけるし、逆に「きっと悪魔が唆しにきたんだ」「もっと深い地獄に連れ去ろうとしてるんだ」なんて思われちゃうんだよ。
 こんなふうに、他力門系統の教えというのは、「人々に初歩的な宗教心を教える」という意味で大事な役割を果たしてきた反面、陰の部分も生んできたんだね。負の側面も決して小さくはないんだよ」

勇二 「なるほどな。いろんな面があるんだろうけど、霊界の真相に照らせば「題目や念仏を唱えただけでは、天国に還れない」ということは、はっきりしているよね。ここのところは、きちっと腑に落としておかないといけないね」

正太 「そうなんだ。ただ、これ以上話を続けるとドンドン脱線していきそうだから、そろそろ…」

勇二 「「本題に戻らないとね」。このセリフもほとんど「題目」みたいになってきたね(笑)」




地獄霊の憑依を受けるかどうかは、頭の良し悪しとは関係がない

2007-12-22 | プロローグ
正太 「マスコミの問題点については説明し足りないことも多いんだけど、そろそろ本題に戻らないといけないね」

勇二 「そうそう。えーと、阿修羅地獄の説明の途中だったんだよね。そこから「マスコミ関係者で、この地獄に堕ちる人が多い」という話に進んで、そこから脱線しちゃったんだな。
 でも、現代のマスコミがとても大きな問題を抱えていることがよくわかったよ」

正太 「で、阿修羅地獄の説明に戻るけれど、阿修羅霊に憑かれる人というのは、「頭の良し悪し」とは関係がないんだね。これは、阿修羅霊に限らず、悪霊(地獄霊)全般に共通することなんだけど、「悪霊に憑依されるかどうか」というのは、頭の良し悪しとは関係がないんだよ(「心の三毒」の三番目に、「癡(ち)」、つまり「愚かさ」というのがあるけど、この「愚かさ」というのは、この世的な頭の良し悪しとは、また別のことなんだね。これについては後で詳しく説明するけど)」

勇二 「頭も切れるけど、性格のほうも「よくキレる」という人は結構いるしね(笑)。「頭はいいけど、欲が深い」なんて人もザラだろうしね」

正太 「一例を挙げると、以前、あるタレントが某中央省庁の官僚三人との対談本を出したことがあるんだけど、ここに出てくるキャリア官僚というのが、三人とも阿修羅霊に取り憑かれているんだよ」

勇二 「へーえ、キャリア官僚というとエリートだよね。そういう人でも霊障になってるわけか」

正太 「この人たちは、忙しく仕事をしているうちに霊障になってしまったようなんだね。いくら頭脳が優秀でも、心のほうが非常に波立って攻撃的になっていると、「波長同通(同類相集まる)の法則」によって、阿修羅霊に取り憑かれてしまうんだ。
 地獄霊と守護霊のどちらから霊的影響を受けるかは、この世的な頭の良し悪しとは別の問題なんだね。そこに関係するのは、主として「人柄」なんだ。言い換えれば、「いかに感情が安定しているか」「いかに人生観が安定しているか」ということなんだよ」

勇二 「ふーむ。情緒不安定だったり、人生観がすぐに悲観的になっちゃうとかフラフラしてると危ないんだね」

正太 「人間というのは、「感情」の部分で地獄をつくっていることが多いんだよ。「自分の感情をコントロールできない」「感情の統制がきかない」というのが地獄霊の特徴なんだ。悪霊というのは、感情に翻弄された生活をしているんだよ。
 この世の人でも、何かあると、感情が押さえられず、すぐ自分を失ってしまうような人。たとえば、女性でも、自分よりきれいな人が前を通っただけで、「ああ、悔しい」「ああ、ムカつく」とギラギラした気持ち、悶々とした気持ちがすぐに出てくるようなタイプの人は、悪霊になると思って間違いないんだね。
 それから、気がつくと、いつも「妬ましいな」と思っているとか、いつも「チキショー、あれがあれば。悔しい、悔しい」と思っているとか、何かあると、すぐに「キレたり」カッとなってしまうような人。こうした人たちが、地獄に堕ちる候補生なんだよ」

勇二 「うーむ。魂修行っていうのは、結局「心のコントロール」が中心だ、って聞いたけど、中でも「感情のコントロール」が大事だということだね」

正太 「そうなんだよ。車の運転と同じで、心の運転技術さえしっかりしていれば、地獄になんか行かなくて済むんだよ。
 大切なことは「まず心を正して、次に能力を高めていく」ということなんだ。心が天国的な人は、能力の向上によって仕事の成果が大きくなるから、ますます評価が上がって、天国でも重要な人物になるんだけど、心が地獄的な人は、頭がいいほど悪魔的なものへの影響力を増大させてしまうんだよ。
 だから、天国に還れる生き方をするためには、能力以前にまず「心を正す」ということ、「自分の感情をコントロールできるようにする」ということ。これが大事なんだ」

勇二 「「怒り」だとか「妬み」「恨み」「愚痴」といった「奪う愛」の感情じゃなくて、「愛を与える」方向に心の針を向けていくことだよね。これが天国に還れる生き方をするための基本だよね」



なぜ、マスコミ関係者で地獄に堕ちる人が増えているのか? ④  

2007-12-08 | プロローグ
勇二 「「魔女狩り体質」「唯物思想」「暗黒思想」 ― マスコミの問題点としてこの三つが上がったけど、これ以外に「乱れた性表現」も大きな問題だって前に聞いたね」

正太 「うん。これについては「色情地獄」のところで詳しく話したけど、もう一度簡単に説明しておいたほうがいいね。
 人間の身体とか、この世のものごとを、全部「物質」として考えれば、「どんなにワイセツな表現をしようが、何の問題もない」ように見えるかもしれないけど、決してそうではないんだよ」

勇二 「いくら過激な性表現、性描写を世の中に流そうが、「人を殺したわけじゃなし、ものを盗んだわけじゃなし、誰にも迷惑はかけてないから悪くないじゃないか」と考えるマスコミ人がいるけど、それは「違う」ということだね」

正太 「そう。というのも、(根本的なところから説明すると)人間というのは、肉体じゃなくて「魂」のほうが本質で、その魂の中枢である「心」が人間にとってすべてだからなんだね。
 この世に生きているときは、身体と魂は不可分になっているけど、死んであの世にいけば、魂だけがその人の存在になるんだ。じゃあ、その時、その人がどういう存在になるかというと、「生前に、心の中で思ってきたことの集積」がその人になるんだよ」

勇二 「つまり、この世にいたときに、しょっちゅう「エッチなこと」や「スケベなこと」ばかり心の中で思い描いていた人は、そうした世界に行かざるをえなくなる、ということだね」

正太 「そう。「善悪」っていうのは「思いと行い」に関わるんだけど、まず第一に「その人が心の中で思ったこと」の中身が問題になるんだね。
 「異性を恋い慕う」ということは人間としての本能なんだけど、「人間としての尊厳に基づくルール」というものがあって、そのルールを守っていたかどうかで、天国と地獄が分かれることになるんだよ」

勇二 「貪る思いのまま、淫らな欲情のままに、数十年の人生を生きたなら、死んだ後、「色情地獄」という世界が待ってるわけだ」

正太 「「恥ずかしい」という心、「羞恥心」を失ったときに、人間は動物と同じになるんだね。そういう生き方をした人は、死後、「畜生道」や「血の池地獄」に堕ちて、数百年の人生をそこで送ることになるんだ。
 一部のマスコミが洪水のように垂れ流している、ヘアヌードとかの「乱れた性表現」は、そうした地獄に人々を追い込んでいく働きをしてるんだね。自分たちの金儲けのために、「どれだけ人々の劣情をそそるか」ということで競っているんだけど、霊的に見ると、多くの人たちを色情地獄に駆り立てていく仕事をしているんだよ。
 週刊誌の編集者が、自分ひとり血の池地獄に堕ちて、そこで反省するのは構わないんだけど、他の多くの人たちを道連れにしてはいけないんだ。人間というのは、健全な良識のもとに生きていかなきゃいけないことになっているんだよ」

勇二 「霊的な面からいうと、マスコミのそうした部分に、実は、魔界からの作用も働いているわけだね。
 現代人は、「悪魔」なんていうと、「昔のおとぎ話じゃないか」と一笑に付す人が多いけど、(この世にも暴力団の親分みたいなのがいるように)地獄に堕ちている霊の中にもボスをやっているような凶悪な連中がいて、地上の人間たちを何とか地獄に引っ張り込もうと暗躍しているわけだ」

正太 「地獄に堕ちる原因は、一言で言えば「執着」。つまり「過ぎた欲望」なんだけど、悪魔が真っ先に攻めてくるのは、この「欲望」の部分なんだね。「人々の欲望を煽ってかきたてる」というのが悪魔の常套手段なんだ。この世の人たちを地獄に引きずりこんでいくのに、いちばん簡単なのはこのやり方なんだよ。
 そうした欲望のなかでも、最も攻めやすいものの一つが「性欲」なんだね。魔界の連中というのは、マスコミを使って、この部分をつついてきてるわけなんだ」

勇二 「悪魔の手口っていうのはいつも決まっていて、指導者だとか、大きな影響力を持っている人のところにやって来て、その人を迷わそうとするわけだよね。なぜそんなことをするかというと、影響力のある人を狂わせてしまえば、大勢の人たちを間違った方向に引っ張っていけるからだ。地上を混乱させるのに、いちばん効率的なやり方を心得ているんだね。
 現代だと、人々に対する影響力の点では、マスコミが絶大な力を持っているから、悪魔のほうもここに目をつけないわけがないよね」

正太 「そうした魔界からの惑わしというのは、「乱れた性表現」だけじゃなくて、ここまで上げた「魔女狩り体質」「唯物思想」「暗黒思想」のどれにも及んでいるんだよ。
 悪魔が狙っていることの大きな柱には、「この世の価値観を混乱させて、何が正しくて、何が間違いなのかを分からなくさせたい」ということがあるんだ。昔から「善悪を知ることが智慧の始まり」と言うけど、裏返して言えば、地上の人たちに「善悪の知識」をしっかり持っていられると、地獄に引っ張ろうとする際に、どうしても邪魔になるんだよ」

勇二 「そりゃ、そうだろうね。せっかく欲望を煽って唆そうとしても、「いや、まてよ。こんな方向にのめりこんだら魂修行に失敗しちゃうな」「こんな生き方をしてたら、地獄に堕ちちゃうぞ」なんて、ブレーキを踏まれたら、パーだもんね」

正太 「そうさせないために、悪魔がいつも企んでいることは「この世における善悪の価値基準を破壊する」ということなんだ。道徳を否定し、宗教的真理をくらます、ということなんだ。あの世の悪い世界からは、「善悪をとにかく分からなくさせよう」という力が常に働いていることは知っておく必要があるんだよ」

勇二 「社会的影響力の大きいマスコミの人たちこそ、「自分たちが魔界の連中の先兵になっていないかどうか」を厳しく振り返る必要があるよね。
 「魔女狩り体質」にしてもそうだろうな。実際は、単なる「批判のための批判」、あるいは「リンチにかける」「バッシングしてやっつける」という「阿修羅地獄」の心境でやっていても、「社会正義」という看板で押し通していけば、人々の「正義」に対する見方も混乱してくるよね。
 子供の世界でも、みんなで「やーだよ。やだよ」とはやして、いじめる場合があるけど、「正義って、そういう行為のことなんだ」って勘違いする人たちも増えていくだろうしね。「ニセモノの正義」を本物だと思い込んじゃうみたいな」

正太 「マスコミはよく学校のいじめを取り上げるけど、いじめが得意なのはマスコミなんだね。マスコミは、本当は学校のいじめを糾弾する資格はないんだよ。 「何か変わったものが出てきたらそれを叩いて金儲けする」というマスコミの職業原理自体が、いじめそのものなんだ」

勇二 「「唯物思想」にしても、「あの世なんか作り話だ。神だの霊だの魂だの、そんなものは昔の迷信だ」と吹き込んでいけば、いくらでも迷わせられるだろうね。「あの世がない以上、この世を楽しむ以外にないじゃないか」ということで、色欲方面から始まって、欲望なんか煽りほうだいだろうしね」

正太 「最近は、食品や製造物の品質に対する目が特に厳しくなっているけれど、メーカーが扱う「モノ」と違って、マスコミが扱う言論や情報というのは、目で見たり手で触れたりできない対象だら、あまり問題にもされないよね。でも、「情報」というのは、人間の心に及ぼす部分がとても大きいから、決して安易に扱ってはいけないものなんだよ。
 人間の心というのは非常に繊細な存在で、耳や目を通して入ってきた情報によって、明らかに善か悪かという色合いに染め上げられていくんだね。そこに心というものの無限の可能性と同時に、ある意味での怖さがあるんだよ。
 霊的に見ても、男性誌の七割ぐらいは地獄雑誌なんだね。思想としては、地獄の思想に染まっているんだよ。最初は健全な思想から入ったんだろうけど、競争の激しさから人がやらないことを始めると、だんだんエスカレートしておかしくなってくるんだね」

勇二 「ふーむ。ゴシップやスキャンダル、中傷記事やワイセツ記事で埋まっている週刊誌なんて、どう見ても天国では発行できないだろうね。やっぱり地獄がふさわしいんだろうな」

正太 「間違った言論によって、どれほどの公害が日本国中に垂れ流されているか。そのことによって、どれだけの汚れない魂が汚染されているか。幼い者たち、遅れてくる青年たちにどれほどの悪影響を及ぼしているか。その大きさたるや、とても看過できるものではないんだよ」

勇二 「やっぱり、「言論を正す」ってことが、今の日本にはきわめて大切だということだね。じゃあ、正さなきゃいけない言論の間違いが何かっていうと、「魔女狩り体質(いじめ体質)」「唯物思想」「暗黒思想」そして「乱れた性表現」ということだね」

正太 「すべてのマスコミが間違っているというわけではないけど、マスコミの問題点をなぜこれほど強く指摘するかというと、はっきり言えば、日本という国をいちばん毒しているのはマスコミだからなんだね。今、最も改革が求められているのは、他ならぬ、言論機関そのものなんだよ。
 もちろん、マスコミという職業じたいに問題があるわけではないんだ。マスコミというのは、あくまでも媒体であって、問題になるのは「そのなかに何を伝えるか」「どのような意図を持って仕事をしているか」ということなんだね。
 ここのところに問題のあるメディアが少なくないため、日本という国は一種の「国難」に見舞われている状態なんだよ」

勇二 「うーむ。なんだか童話の「オオカミ少年」みたいだね。村人たちに言いたい放題言っていた本人に、実はいちばん大きな問題があった、という構図だね」

正太 「こうした話だけでは、抽象的でピンときにくいかもしれないから、少し具体的な話もしといたほうがいいね。
 日本と言う国には、天照大神をはじめとする八百万の神々、民族神の神々がおられるんだけれども…」

勇二 「民族神? それは初めて聞く言葉だね」

正太 「民族神というのは、特定の民族や国民を指導している高級霊のことなんだ。たとえば、日本なら日本の霊界があって、そこの高級霊界には日本の人々を指導している神様方がおられるんだよ。
 あの世っていうのは、天国と地獄、あるいは幽界(四次元)、善人界(五次元)、光明界(六次元)…というような上下の違い(「横割り」)だけじゃなくて、「縦割り」の構造もあるんだね。地球でも、地域や国ごとに霊界ができているんだ。アメリカにはアメリカの霊界があるし、日本には日本の霊界があるし、中国には中国の、インドにはインドの霊界があるんだよ。
 たとえていえば、高層マンションがあちこちに建っているような具合なんだ。それぞれのマンションには、地階から始まって一階、二階、三階…とあるように、それぞれの霊界も地獄(四次元下部)から始まって四次元、五次元、六次元…というように、霊層が分かれているんだね。
 マンションの住民も顔ぶれが変わっていくように、それぞれの霊界の構成員も一定不変じゃなくて変わりつつあるんだけど、マンションの住民に当たるような霊団というものができあがっているんだよ。
 また、各マンションに管理人のような人がいるのと同様、それぞれの霊界にも民族や国民を指導している責任者の方たちがいるわけなんだ」

勇二 「それが、民族神というわけ?」

正太 「そう。いわば地方自治のようなものなんだね。日本の中も、都道府県に分かれて地方自治を行っているように、地球の霊界も同じようになっているんだよ。日本だったら、日本の神様方が、「日本神道」の教えを中心に国民を指導しているんだね(もっとも教えの中身のほうは仏教や儒教の内容をかなり取り入れているんだけど)。
 ちなみに、中央官庁に相当する霊団もあるんだよ。地方自治だけで運営しているわけではないんだ。やっぱり地球全体をトータルで見ておられる神様もいるんだね。こちらはどういう存在かというと、仏教、あるいはキリスト教のような「世界宗教」を説いた仏、あるいは神様の霊団なんだね。
 それに対して、日本神道やユダヤ教のような「民族宗教」は、あくまでも地方自治を行っているローカルな神様方の宗教であることは事実なんだ。宗教にも、そうした違いはあるんだよ。
 そういうわけで、日本には日本列島を地盤にした霊域があって、そこにある高級霊界のことを、昔から「高天原(たかまがはら)」と呼んできたんだね」

勇二 「高天原って、古事記とかに出てくる地名のことだよね」

正太 「うん。ただし、高天原というのは、この世じゃなくて、あの世にあるんだね。立体的に表現すれば、日本という国の上空にそうした霊域があって、ここに数々の神々が集まっておられるんだよ。
 で、話を元に戻すと、日本という国を連綿と指導し、支え続けてこられた八百万の神々、高天原の神々が、今、どれほどの怒り、どれほどの憂国の思いをもって、マスコミの現状を見ておられるか。それは、マスコミ関係者たちがその一端でもわかったなら、全員が泡を吹いて倒れるくらいのものなんだよ。マスコミの人たちは、そうした事実があるということは知っておいたほうがいいんだ(あえて説明するまでもないけど、高級霊の怒りというのは、自我我欲からくる「私憤」じゃなくて「公憤」、つまり、日本の民草を案ずる聖なる怒りから発しているんだね)。
 戦後の日本の国民が、なぜこれほど「心の大切さ」を蔑ろにするようになったのか。なぜ、ここまで「信仰心」を嘲笑するようになったのか。日本人が古くから持っていた「美しき心情」を見失ってしまったのか。その元凶は「マスコミにある」と考えておられるんだね。

「唯物論、無神論の風潮を流したのは、マスコミと言われる新聞、テレビ、雑誌、こうした者どもの害悪が激しい」
「つまらない風俗雑誌が、あちらにも、こちらにも溢れて、その中に流れているのは、この世だけがすべてという考え、快楽追求の考え、物こそすべてだという考え、これが中心であり、「神」とか「霊」とかいうと一笑に付してしまう。大和の国民として、到底、座視できない恥ずべき現状にある」
「マスコミ関係者は、一体自分たちがどれほど社会に、世の中に、そして、現代から後代の人々に害悪を流しているかを知らねばならない。自らの不明を恥じ、無知を恥じ、総懺悔をして、もう一度出直すべきだ」

 これが地上のマスコミ人に対する日本の神様方のお考えなんだよ」

勇二 「うーん。日本の神様も、マスコミの人たちが知ったら卒倒して倒れるくらいの怒りをお持ちなのか。これじゃあ、いくら「オレたちは無冠の帝王だ」なんて、いきがっていても、この世限りだと思わなきゃいけないね。死んであの世に還れば、「肩身が狭い」どころの話じゃないよね。
 マスコミ関係者は、目の黒いうちに首を洗ってやり直しをしなきゃいけないね。「良心」にもとづいた言論とは何なのか。あの世に還って恥ずかしくない言論のあり方とは何なのか。これを真剣に考えて、軌道修正をしていかなきゃいけないね」

正太 「マスコミの人たちは、「言論の自由」「報道の自由」を持ち出せば、すべてを正当化できると考えているのかもしれないけど、一つ重大なことを見落としているんだよ。それは、「自由には責任が伴っている」ということなんだ。自由の背後には、「責任」というものが厳然として存在しているんだよ。「言論の自由」についても例外ではないんだね。
 仏から与えられた「自由性」をどう行使したのか。これに関しては、百パーセント本人自身が「責任」を取らされるんだ。この「責任」に相当する部分が何か、というと「あの世」なんだよ」

勇二 「これが「自己責任」の本当の意味だよね。あの世を前提にしないと、責任の本質的意味なんて、いくら考えてもわからないよね。マスコミの人たちは、「バカこけー。あの世なんてあるもんか」なんて思っているから、「無責任の自由」にあぐらをかいていられるんだろうな。「やり逃げの自由」で十分いける、と思っているわけだ。
 「公正な言論がどうの、良心に照らしてどうの。そんなことに、いくら気を遣ったところで、一文の金にもなりゃしない。そんなことより、ひたすら叩くことだ。とにかく批判してみせることだ。それで商売がうまくいくなら十分じゃないか」「ワイセツな写真や記事を載っけて部数が伸ばせるなら、御の字じゃないか」こう考えているのかもしれないけど、「それじゃあ、済みませんよ」ということだね。
 もし、その言論が多くの人たちに悪い影響を与え、間違った方向に人々の心を染め上げたなら、それだけ甚大な責任が発生するということだね。それによって生ずる「精神的な借金」の大きさというのは、田舎で自分ひとり人の悪口をブツブツ言って地獄に堕ちた場合の比じゃないということだね。
 言論機関にある人は、自分たちが負っている責任の重さに、目が眩むぐらいの自覚を持たなきゃいけないよね」

正太 「マスコミ関係者のなかにも「マスコミにも暗部があり、悪いところがある」ことをわかっている人はいるんだよ。わかっちゃいるんだけど、あまり声高に言うと、業界の利益に背くから口をつぐんでいる、という人もいるんだ。「このままじゃいけないな」と思いつつ、言えずにいる人も少なくないんだよ。
 でも、社会の公器として大きな影響を人々に及ぼす仕事に就いている以上、現状のままではいけないんだ。マスコミの中からも「維新の志士」のような人、勇気をもって改革に立ち上がる人が出てこないと、日本という国はよくなっていかないんだよ」