死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

「瞋(カーッとくる怒り)」に対する処方箋は、「平静な心」②

2008-03-30 | プロローグ
正太 「そう。一日のうちで、心の乱れたときがチェックできたら、まず、その理由を追及してみるんだ。
 心が波立ったのは、たいてい、その池の中に小石が投げ込まれたからなんだね。小石にあたるものが何かというと、「他の人との間に起きた事件」だったり、「他人から投げかけられた言葉」だったり、「自分の自己評価」だったりするわけだよ。
 心が揺れた原因がわかれば、それを取り去ることは難しくないんだ。そうした心の揺れが、自分の間違いによって起きたことなら「ああ、これは自分の間違いだった、直接、間接を問わず、以後こういうことをしないようにしよう」と思っただけで、その心の波立ちは穏やかになって治まってくるんだよ。
 もし、心の波立ちが、自分の責任によって起きたわけでじゃなくて、他人の誤解とかで起きたことだったとしても、「このなかで、自分にとって学べるものがあったら学んでおこう。そして教訓の部分を取り去った後は、あまりクヨクヨしないで、心の平らかさをとってゆこう」と思うことが大事なんだ。
 こんなふうに、心をすぐに穏やかな状態に戻そうと努力することが大切なんだよ」

勇二 「なるほどな。その日につくった「心の赤字」「心の借金」は、その日のうちに反省して、きっちり修正しておくことだね。
 もっとも、「今、間違った思いが出ちゃったな」と思ったら、その場で修正を入れて、プラスの思いに差し替えていけば、もっといいわけだもんね」

正太 「心の平静さを維持するには、「反省」の他に、もう一つ「瞑想」というものがあるんだ。怒りを鎮めて、心の平静をキープしていくには、「反省行」と「瞑想行」の二つが大切なんだよ」

勇二 「ほーお、瞑想ね」

正太 「瞑想には、心を鎮めて、波長を整えていくための入り口として、まず呼吸法があるんだ。
 どんなにカッカした人でも、呼吸を整えると、怒りが薄らいで、心が安らいでくるんだね。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、…というふうに、ゆっくりゆっくり呼吸を整えていくと、身体の緊張がほぐれてくるんだ。身体の緊張がほぐれてくると、いろんな想念が入り乱れていた心の中が、だんだんと澄んでくるんだよ。
 そうすると、さっき、霊界のたとえとして、「コップの中で泥水をかき混ぜて、しばらくおくとどうなるか」という話をしたけど、心の中もそれと同じような状態になるんだ。つまり、粗雑な粒子が下のほうに沈んでいって、だんだん上澄み液が上のほうにできてくるんだね。この上澄み液の部分が、人間が本来持っている高級な精神の状態のことなんだよ」

勇二 「逆に、カッカしたりイライラして、心の中がグチャグチャになってるときっていうのは、泥水みたいな状態なわけだ。心の水質が、そういう濁った状態が多いようだと、死んだ後、「ドロドロの世界」、つまり地獄に行くことになっちゃうんだな。
 澄んだ心の状態を、いかにキープするか、いかに素早く回復させるかが大事なんだね」

正太 「もう一つ言っておくと、「怒る前に深呼吸する」という方法もあるんだね。カッとなって、キレそうになる前に一呼吸すると、怒りが収まってしまうんだよ。手を振り上げた瞬間に、「はい、深呼吸」と言われたら、やっぱり怒れなくなるんだね」

勇二 「そうか。でも、キレそうになった上司に「はい、深呼吸」なんて、やるわけにはいかないしね(笑)。自分向けにやってみることだね」

正太 「こういう不思議な現象があるんだけど、呼吸法というのも一つの慈悲なんだね。「呼吸によって心をととのえる方法が神様から与えられている」ということなんだよ。
 呼吸法を入り口にして瞑想に入っていくんだけど、一口に瞑想と言っても、実はいろいろな種類のものがあるんだね。
 怒ったときの「心の波立ち」を静めるものとしては、「心の調和を保つ瞑想」というのがあるんだ。これは、瞑想としては第一段階のもので、その目指すところは、「この世的な悩み事から離れることによって、心の安らぎを回復させること」にあるんだ(この瞑想は、初心者にとっては七割近くを占めるもので、昔からよく「無念無想」という言葉でよばれてきたんだ。禅の瞑想の大部分もこれにあたるんだよ)。
 心の雑念を払って、不純な思いを出さない状態にすること。「不純な思い」っていうのは、怒りや憎しみや嫉妬のような、「心を乱す思い」のことだね。
 ただ、「マイナスの思い」というのは、それを「消そう。消そう」とだけ努力しても、実際は難しいんだね。そこで、どうするかというと、「人間の心は、同時に二つのことを考えることはできない」という特性を使って、マイナスの思いを「プラスの思いに差し替える」という作業を行なうんだ。
 マイナスの思いを取り去ることに専念するよりも、「もっと高次な心のあり方」に、心の針を合わせていくことが、心を調和させていくためのコツなんだよ」

勇二 「ははーん。前に聞いた「慈悲観」ていうのも、それにあたるわけだ。怒りや憎しみのような「奪う愛」の思いを、反対の「慈悲(与える愛)」の思いに差し替えるわけだからね。そうすれば、自分の心の波長が、地獄界の波動とは同調しなくなるよね」

正太 「こうした瞑想をマスターできるようになってくると、他人から投げ込まれた小石で、心の中に波紋が起きても、すぐに消し去れるようになるんだね。これのできない人は、小石の波紋が、まるで嵐の夜の大波みたいに広がっちゃうんだよ。
 人から気に障ることを言われたとしても、そのことで一生悩むのも自由だし、一年間悩むのも自由だし、一日中悩むのも自由なんだけど、一瞬で消し去ることも自由なんだね」

勇二 「その違いっていうのは、その人の「心のコントロール能力」にかかっているわけだ。心の波立ちを一瞬で断ち切れるような人は、「心の達人」と言ってもいいね」

正太 「そう。どの段階で、その波紋を収束できるかは、まさしく、その人の「心のコントロール能力」にかかっているんだ。ただ、その能力というのも、心の修行によってアップしていけるものなんだよ」

勇二 「なるほどな。人から言われた言葉で、一生悶々としたり、一年間悶々とするのも、バカらしいからね。「心のマネジメント能力」っていうのは、単なる道徳論じゃなくて、自分の幸福をキープするためにも必要なんだな」

正太 「ただ「瞑想」一般について一つ注意をしておくと、瞑想というのは、反省しながら入っていったほうがいいんだね。というのも、瞑想というのは精神統一を伴う場合が多いんだけど、カッカしてたり、不平不満がたくさん溜まってる状態のまま精神統一の状態に入ると、地獄霊なんかが簡単にかかってきやすくなるからなんだ。
 だから、自分自身を反省しながら、次第しだいに心を静め、穏やかにし、精神をリラックスさせる中で、精神統一の状態に入っていく「反省的瞑想」というのが、危険度がとても少ないんだよ。
 瞑想の具体的方法等については、もう少し詳しい説明が必要なんだけど、その辺は別途テーマを設けてやることにしよう」




「瞋(カーッとくる怒り)」に対する処方箋は、「平静な心」 ① 

2008-03-05 | プロローグ
勇二 「結局、「瞋(じん)」つまり「カーッとくる怒り」は、「奪う愛」だからいけないってことだよね」

正太 「うん。また別な面から言えば、「怒りは心の平静を乱すからいけない」「心の波長を乱すからいけない」とも言えるんだよ。
 消極的に聞こえるかも知れないけど、「人間は心が乱れていない」ということ自体が、幸福を保証している面があるんだね。心が波立っていないと、イライラしたり、いろんな悪い思いが心の中を駆け巡ったりしなくなるんだ。
 そういう穏やかな心、澄み切った水面のような心を経験した人は、幸福の本質をかなり垣間見たといっていいんだよ」

勇二 「ふーむ。たしかに、悩んでる時って、心が揺れてるもんね。心が割れたり、千々に乱れてるときっていうのは、ほんとに苦しいよね」

正太 「そういう穏やかな心が、実に幸福に近いものなんだ、っていうことを知らずに生きている人が多いんだよ。
 いつも怒鳴り散らしている人、いつも他人の悪口を言う人、いつも不平不満や愚痴を言う人…。こういう人たちは幸福から実に遠い心の状態にあるんだ。心が滑らかであるということ、穏やかであるということ、平静であるということの幸福を、こういう人たちは捨て去っているんだね。というよりも、それが幸福感にきわめて近いものであるということを、知らないままに生きているんだよ。
 この心の穏やかさというものは、とてもとても大切なもので、仏の光という、目には見えないけど、実在世界の高級霊たちを通して投げかけられる光は、「穏やかな心」というものがなければ受けることができないんだね。
 心が穏やかであるときに、幸せな感覚、幸福感というものが降ってくることがあるんだ。それはある意味で、仏の光が入ってきているんだよ。そのときに穏やかな光が入ってきて、心がまーるくなって、自分が生かされていることの感謝のようなものが、ふつふつとこみ上げてくるんだ」

勇二 「あの世っていうのは「心の平和」を維持する能力で、世界が分かれているわけだよね。「心の平和」を維持する能力が、あの世の次元の壁をつくっているわけだ。
 そういえば、仏像とかを見ても、仏様っていうのは、おだやかーな顔をされてるよね。柔和で平和そのもののお顔だね」

正太 「何度も繰り返すけど、あの世というのは、「波長の世界」「波動の世界」なんだね。波長の精妙さによって、世界が分かれているんだ。上の世界に行くほど波長が精妙で、下に行くほど粗雑な波長の世界になっているんだよ。
 つまり、地獄というところは「波長の乱れた世界」なんだね。地獄も深いところに行くほど、波動が乱れているんだよ。
 地獄界というのは、価値基準から言えば、生前の「思いと行い」において「善よりも悪のほうが多かった人」が行く世界なんだけど、物理学的な面から言えば、生きていたときに「心の波長の乱れていた人」が行く世界なんだ。
 そういう乱れた波長の世界、粗雑な波動の世界を、もしテレビで受信できたら、地獄という映像が映し出されるんだね。ラジオでその波動を受信できたら、地獄の呻き声が聞こえてくるんだよ。
 ふだん使っているテレビだって、電波が乱れていると、画面がジャージャー雨が降ったようになって、いい映像が映らなくなるよね。どんな美人女優やアイドル歌手だって、電波が乱れてるとすごい顔になって映っちゃう。
 地獄っていうところは、そういう世界なんだ。乱れた波長、「乱れた想念」の世界なんだね。音楽で言えば、間違った旋律を演奏している世界なんだ。聞くに堪えない不調和な旋律を奏でている世界なんだよ。
 いっぽう、精妙な波動をテレビに映したら非常に美しい天国的な映像が映し出されるんだ。ラジオで受信すれば、天使のコーラスが聞こえてきたりするんだよ。
 あの世というのは、そうした世界なんだね」

勇二 「ほーお、霊界を映すテレビか。SFとかに出てきそうだね。液晶やプラズマもいいけど、そんなテレビがあったら面白いだろうね(笑)」

正太 「いや、単なるSFの世界ではないんだよ。実際、発明王のエジソンも「霊界通信機」の開発に取り組んでいたんだね。エジソンという人は、「魂というものが存在する」ということはわかっていたし、「霊界からの霊波も一種のエネルギー波である以上、それを感知する機械を発明すれば音声に変換できる」ということに気づいていたんだ。
 エジソンの試みじたいは、技術的に時期尚早だったんだけど、今後、物理学の発展によって、霊界という異次元世界の解明が進んでいけば、再びこうした装置の開発が研究俎上に上がってくることは間違いないんだよ」

勇二 「へーえ。てことは、今は一部の霊能者しかできないような、あの世の霊との交信が、機械によって可能になる時代がくるわけ?」

正太 「そうなんだよ。そう遠くない将来、百年くらいすれば、そうした時代が訪れてくるんだね。ただ、こうした話をやりだすと脱線するから(笑)話を戻すけど、こんなふうにあの世というのは「波長の世界」なんだね。
 霊界は、物理学的な法則にしたがって、ふるい分けられているんだ。物理学的な法則に基づいて、住み分けがなされているんだよ」

勇二 「この世で生きていたときの心の波動しだいで、あの世のどの世界に行くかが決まるわけだよね。その人が出してきた心の波の「平均の波長」の世界に還るわけだ。野球のバッターにたとえれば、一生を通算した「平均打率」の世界に還るんだね。
 しょっちゅうカッカしたり、イライラしたり、愚痴ったり、憎んだりして、心の波動が乱れていた人は、否応なく、そうした「波動の乱れた世界(地獄)」に行かざるをえなくなる。要するに、「怒りっぽい人」というのは、地獄の指定券を買ってるのと同じなわけだ。
 いつもいつも自分のことばかり思い悩んで、心が揺れていた人、「心の平和」が築けていなかった人。色欲とか物欲とかの「足ることを知らない欲望」で、心がいつも乱れていた人もおんなじだね。
 結局、地獄に堕ちたとしても、そこは、その人の心の波長にピッタリの世界。その人にふさわしい世界ということなんだな」

正太 「そう。こうしたあの世の世界の物理学的な性質は、「波長」だけじゃなくて、「魂の比重」という面からも説明できるんだ。
 泥水をコップの中でかき混ぜてしばらくおくと、泥んこがいちばん下のほうに沈んでいって、上にいくほど澄んだ上澄み液になるよね。
 霊界もこれと同じなんだ。下のほうのドロドロした泥んこの世界が地獄で、いちばん上の澄み切った上澄みの部分が、いわゆる高級霊界なんだね。底に沈殿している泥んこの世界から、いちばん上の上澄みの世界までの間には、何層、何十層、何百層もの心の段階差があるんだよ」

勇二 「つまり、「重いものが下に沈んでいる」ということだよね。比重の重い魂ほど、下のほうに沈んでいる。じゃあ、どういう魂が比重が重くなっているかというと、要するに「執着」の強い魂ってことだよね(執着っていうのは、「過ぎた欲望」「(この世的なものに)こだわって離れない思い」のことだね)。
 この世で生きていたときに、地上的なもの、物質的なものに執われることの多かった魂。「与える愛」よりも、「奪う愛」に生きてきた魂。「善をなそう」とか「他の人々のために尽くそう」という霊性(精神性)の目覚めが足りなくて、肉体中心の生き方をしてきた人。つまり、「欲しい、欲しい」という「取り込み型」の人生を送ってきた人ほど、魂の比重が重くなっているわけだ」

正太 「うん。地獄に堕ちる人というのは、意識体が、三次元的な、物質的なものになっていて、比重が重いから、どうしても下のほうに沈んじゃうんだね。ちょうど、池に小石を落とすと沈んでいくように、比重の重くなった魂というのは、いくら引っ張りあげたくても、どうしても下のほうに沈んでいくんだよ。
 それに対して、比重の軽い魂。つまり、執着の少ない、あの世的な魂というのは、上へ上へと浮いていくんだ。この世にいたときに、心の中で善いことを思い、善い行いを積み重ねて生きてきた人。この世的な執われの少なかった魂というのは、いくら下のほうに沈めたくても、どうしても浮いてきて、結局は天上界に還って行くんだよ。
 ちょうど、水にたらした油をいくら下のほうに沈めようとしても、結局は浮かび上がってきちゃうのとまったく同じ原理なんだね」

勇二 「ふーむ。物理学的な面から言えば、不調和な波長、乱れた波動を体現してきた魂ほど、魂としての比重が重くなってるわけだ。
 地獄に堕ちるっていっても、エンマ様が無理やり押し込めてるわけじゃなくて、やはり「その人にピッタリ合った世界に行く」っていうのが真相に近いんだな」

正太 「そう。こうした説明からだいたいわかると思うけど、一日を振り返って「反省」する際には、「悪い思い、マイナスの思いを持たなかったか」という観点から点検していく方法ももちろんOKなんだけど、「心が乱れた部分」「心が波立った部分」をチェックしていくというやり方もあるんだね」

勇二 「なるほどな。「怒り」や「妬み」「憎しみ」といった「人を害する思い」「宇宙の調和を乱す思い」を出すと、法則によって自動的に「心の乱れ」という反作用がその人にくるわけだからね。
 一日のうちで「心の波長の乱れた部分」をチェックして反省していっても、結局は、同じことになるわけだ」