正太 「そう。一日のうちで、心の乱れたときがチェックできたら、まず、その理由を追及してみるんだ。
心が波立ったのは、たいてい、その池の中に小石が投げ込まれたからなんだね。小石にあたるものが何かというと、「他の人との間に起きた事件」だったり、「他人から投げかけられた言葉」だったり、「自分の自己評価」だったりするわけだよ。
心が揺れた原因がわかれば、それを取り去ることは難しくないんだ。そうした心の揺れが、自分の間違いによって起きたことなら「ああ、これは自分の間違いだった、直接、間接を問わず、以後こういうことをしないようにしよう」と思っただけで、その心の波立ちは穏やかになって治まってくるんだよ。
もし、心の波立ちが、自分の責任によって起きたわけでじゃなくて、他人の誤解とかで起きたことだったとしても、「このなかで、自分にとって学べるものがあったら学んでおこう。そして教訓の部分を取り去った後は、あまりクヨクヨしないで、心の平らかさをとってゆこう」と思うことが大事なんだ。
こんなふうに、心をすぐに穏やかな状態に戻そうと努力することが大切なんだよ」
勇二 「なるほどな。その日につくった「心の赤字」「心の借金」は、その日のうちに反省して、きっちり修正しておくことだね。
もっとも、「今、間違った思いが出ちゃったな」と思ったら、その場で修正を入れて、プラスの思いに差し替えていけば、もっといいわけだもんね」
正太 「心の平静さを維持するには、「反省」の他に、もう一つ「瞑想」というものがあるんだ。怒りを鎮めて、心の平静をキープしていくには、「反省行」と「瞑想行」の二つが大切なんだよ」
勇二 「ほーお、瞑想ね」
正太 「瞑想には、心を鎮めて、波長を整えていくための入り口として、まず呼吸法があるんだ。
どんなにカッカした人でも、呼吸を整えると、怒りが薄らいで、心が安らいでくるんだね。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、…というふうに、ゆっくりゆっくり呼吸を整えていくと、身体の緊張がほぐれてくるんだ。身体の緊張がほぐれてくると、いろんな想念が入り乱れていた心の中が、だんだんと澄んでくるんだよ。
そうすると、さっき、霊界のたとえとして、「コップの中で泥水をかき混ぜて、しばらくおくとどうなるか」という話をしたけど、心の中もそれと同じような状態になるんだ。つまり、粗雑な粒子が下のほうに沈んでいって、だんだん上澄み液が上のほうにできてくるんだね。この上澄み液の部分が、人間が本来持っている高級な精神の状態のことなんだよ」
勇二 「逆に、カッカしたりイライラして、心の中がグチャグチャになってるときっていうのは、泥水みたいな状態なわけだ。心の水質が、そういう濁った状態が多いようだと、死んだ後、「ドロドロの世界」、つまり地獄に行くことになっちゃうんだな。
澄んだ心の状態を、いかにキープするか、いかに素早く回復させるかが大事なんだね」
正太 「もう一つ言っておくと、「怒る前に深呼吸する」という方法もあるんだね。カッとなって、キレそうになる前に一呼吸すると、怒りが収まってしまうんだよ。手を振り上げた瞬間に、「はい、深呼吸」と言われたら、やっぱり怒れなくなるんだね」
勇二 「そうか。でも、キレそうになった上司に「はい、深呼吸」なんて、やるわけにはいかないしね(笑)。自分向けにやってみることだね」
正太 「こういう不思議な現象があるんだけど、呼吸法というのも一つの慈悲なんだね。「呼吸によって心をととのえる方法が神様から与えられている」ということなんだよ。
呼吸法を入り口にして瞑想に入っていくんだけど、一口に瞑想と言っても、実はいろいろな種類のものがあるんだね。
怒ったときの「心の波立ち」を静めるものとしては、「心の調和を保つ瞑想」というのがあるんだ。これは、瞑想としては第一段階のもので、その目指すところは、「この世的な悩み事から離れることによって、心の安らぎを回復させること」にあるんだ(この瞑想は、初心者にとっては七割近くを占めるもので、昔からよく「無念無想」という言葉でよばれてきたんだ。禅の瞑想の大部分もこれにあたるんだよ)。
心の雑念を払って、不純な思いを出さない状態にすること。「不純な思い」っていうのは、怒りや憎しみや嫉妬のような、「心を乱す思い」のことだね。
ただ、「マイナスの思い」というのは、それを「消そう。消そう」とだけ努力しても、実際は難しいんだね。そこで、どうするかというと、「人間の心は、同時に二つのことを考えることはできない」という特性を使って、マイナスの思いを「プラスの思いに差し替える」という作業を行なうんだ。
マイナスの思いを取り去ることに専念するよりも、「もっと高次な心のあり方」に、心の針を合わせていくことが、心を調和させていくためのコツなんだよ」
勇二 「ははーん。前に聞いた「慈悲観」ていうのも、それにあたるわけだ。怒りや憎しみのような「奪う愛」の思いを、反対の「慈悲(与える愛)」の思いに差し替えるわけだからね。そうすれば、自分の心の波長が、地獄界の波動とは同調しなくなるよね」
正太 「こうした瞑想をマスターできるようになってくると、他人から投げ込まれた小石で、心の中に波紋が起きても、すぐに消し去れるようになるんだね。これのできない人は、小石の波紋が、まるで嵐の夜の大波みたいに広がっちゃうんだよ。
人から気に障ることを言われたとしても、そのことで一生悩むのも自由だし、一年間悩むのも自由だし、一日中悩むのも自由なんだけど、一瞬で消し去ることも自由なんだね」
勇二 「その違いっていうのは、その人の「心のコントロール能力」にかかっているわけだ。心の波立ちを一瞬で断ち切れるような人は、「心の達人」と言ってもいいね」
正太 「そう。どの段階で、その波紋を収束できるかは、まさしく、その人の「心のコントロール能力」にかかっているんだ。ただ、その能力というのも、心の修行によってアップしていけるものなんだよ」
勇二 「なるほどな。人から言われた言葉で、一生悶々としたり、一年間悶々とするのも、バカらしいからね。「心のマネジメント能力」っていうのは、単なる道徳論じゃなくて、自分の幸福をキープするためにも必要なんだな」
正太 「ただ「瞑想」一般について一つ注意をしておくと、瞑想というのは、反省しながら入っていったほうがいいんだね。というのも、瞑想というのは精神統一を伴う場合が多いんだけど、カッカしてたり、不平不満がたくさん溜まってる状態のまま精神統一の状態に入ると、地獄霊なんかが簡単にかかってきやすくなるからなんだ。
だから、自分自身を反省しながら、次第しだいに心を静め、穏やかにし、精神をリラックスさせる中で、精神統一の状態に入っていく「反省的瞑想」というのが、危険度がとても少ないんだよ。
瞑想の具体的方法等については、もう少し詳しい説明が必要なんだけど、その辺は別途テーマを設けてやることにしよう」
心が波立ったのは、たいてい、その池の中に小石が投げ込まれたからなんだね。小石にあたるものが何かというと、「他の人との間に起きた事件」だったり、「他人から投げかけられた言葉」だったり、「自分の自己評価」だったりするわけだよ。
心が揺れた原因がわかれば、それを取り去ることは難しくないんだ。そうした心の揺れが、自分の間違いによって起きたことなら「ああ、これは自分の間違いだった、直接、間接を問わず、以後こういうことをしないようにしよう」と思っただけで、その心の波立ちは穏やかになって治まってくるんだよ。
もし、心の波立ちが、自分の責任によって起きたわけでじゃなくて、他人の誤解とかで起きたことだったとしても、「このなかで、自分にとって学べるものがあったら学んでおこう。そして教訓の部分を取り去った後は、あまりクヨクヨしないで、心の平らかさをとってゆこう」と思うことが大事なんだ。
こんなふうに、心をすぐに穏やかな状態に戻そうと努力することが大切なんだよ」
勇二 「なるほどな。その日につくった「心の赤字」「心の借金」は、その日のうちに反省して、きっちり修正しておくことだね。
もっとも、「今、間違った思いが出ちゃったな」と思ったら、その場で修正を入れて、プラスの思いに差し替えていけば、もっといいわけだもんね」
正太 「心の平静さを維持するには、「反省」の他に、もう一つ「瞑想」というものがあるんだ。怒りを鎮めて、心の平静をキープしていくには、「反省行」と「瞑想行」の二つが大切なんだよ」
勇二 「ほーお、瞑想ね」
正太 「瞑想には、心を鎮めて、波長を整えていくための入り口として、まず呼吸法があるんだ。
どんなにカッカした人でも、呼吸を整えると、怒りが薄らいで、心が安らいでくるんだね。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、…というふうに、ゆっくりゆっくり呼吸を整えていくと、身体の緊張がほぐれてくるんだ。身体の緊張がほぐれてくると、いろんな想念が入り乱れていた心の中が、だんだんと澄んでくるんだよ。
そうすると、さっき、霊界のたとえとして、「コップの中で泥水をかき混ぜて、しばらくおくとどうなるか」という話をしたけど、心の中もそれと同じような状態になるんだ。つまり、粗雑な粒子が下のほうに沈んでいって、だんだん上澄み液が上のほうにできてくるんだね。この上澄み液の部分が、人間が本来持っている高級な精神の状態のことなんだよ」
勇二 「逆に、カッカしたりイライラして、心の中がグチャグチャになってるときっていうのは、泥水みたいな状態なわけだ。心の水質が、そういう濁った状態が多いようだと、死んだ後、「ドロドロの世界」、つまり地獄に行くことになっちゃうんだな。
澄んだ心の状態を、いかにキープするか、いかに素早く回復させるかが大事なんだね」
正太 「もう一つ言っておくと、「怒る前に深呼吸する」という方法もあるんだね。カッとなって、キレそうになる前に一呼吸すると、怒りが収まってしまうんだよ。手を振り上げた瞬間に、「はい、深呼吸」と言われたら、やっぱり怒れなくなるんだね」
勇二 「そうか。でも、キレそうになった上司に「はい、深呼吸」なんて、やるわけにはいかないしね(笑)。自分向けにやってみることだね」
正太 「こういう不思議な現象があるんだけど、呼吸法というのも一つの慈悲なんだね。「呼吸によって心をととのえる方法が神様から与えられている」ということなんだよ。
呼吸法を入り口にして瞑想に入っていくんだけど、一口に瞑想と言っても、実はいろいろな種類のものがあるんだね。
怒ったときの「心の波立ち」を静めるものとしては、「心の調和を保つ瞑想」というのがあるんだ。これは、瞑想としては第一段階のもので、その目指すところは、「この世的な悩み事から離れることによって、心の安らぎを回復させること」にあるんだ(この瞑想は、初心者にとっては七割近くを占めるもので、昔からよく「無念無想」という言葉でよばれてきたんだ。禅の瞑想の大部分もこれにあたるんだよ)。
心の雑念を払って、不純な思いを出さない状態にすること。「不純な思い」っていうのは、怒りや憎しみや嫉妬のような、「心を乱す思い」のことだね。
ただ、「マイナスの思い」というのは、それを「消そう。消そう」とだけ努力しても、実際は難しいんだね。そこで、どうするかというと、「人間の心は、同時に二つのことを考えることはできない」という特性を使って、マイナスの思いを「プラスの思いに差し替える」という作業を行なうんだ。
マイナスの思いを取り去ることに専念するよりも、「もっと高次な心のあり方」に、心の針を合わせていくことが、心を調和させていくためのコツなんだよ」
勇二 「ははーん。前に聞いた「慈悲観」ていうのも、それにあたるわけだ。怒りや憎しみのような「奪う愛」の思いを、反対の「慈悲(与える愛)」の思いに差し替えるわけだからね。そうすれば、自分の心の波長が、地獄界の波動とは同調しなくなるよね」
正太 「こうした瞑想をマスターできるようになってくると、他人から投げ込まれた小石で、心の中に波紋が起きても、すぐに消し去れるようになるんだね。これのできない人は、小石の波紋が、まるで嵐の夜の大波みたいに広がっちゃうんだよ。
人から気に障ることを言われたとしても、そのことで一生悩むのも自由だし、一年間悩むのも自由だし、一日中悩むのも自由なんだけど、一瞬で消し去ることも自由なんだね」
勇二 「その違いっていうのは、その人の「心のコントロール能力」にかかっているわけだ。心の波立ちを一瞬で断ち切れるような人は、「心の達人」と言ってもいいね」
正太 「そう。どの段階で、その波紋を収束できるかは、まさしく、その人の「心のコントロール能力」にかかっているんだ。ただ、その能力というのも、心の修行によってアップしていけるものなんだよ」
勇二 「なるほどな。人から言われた言葉で、一生悶々としたり、一年間悶々とするのも、バカらしいからね。「心のマネジメント能力」っていうのは、単なる道徳論じゃなくて、自分の幸福をキープするためにも必要なんだな」
正太 「ただ「瞑想」一般について一つ注意をしておくと、瞑想というのは、反省しながら入っていったほうがいいんだね。というのも、瞑想というのは精神統一を伴う場合が多いんだけど、カッカしてたり、不平不満がたくさん溜まってる状態のまま精神統一の状態に入ると、地獄霊なんかが簡単にかかってきやすくなるからなんだ。
だから、自分自身を反省しながら、次第しだいに心を静め、穏やかにし、精神をリラックスさせる中で、精神統一の状態に入っていく「反省的瞑想」というのが、危険度がとても少ないんだよ。
瞑想の具体的方法等については、もう少し詳しい説明が必要なんだけど、その辺は別途テーマを設けてやることにしよう」