死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

なぜ、マスコミ関係者で地獄に堕ちる人が増えているのか? ③  

2007-11-18 | プロローグ
正太 「それと、マスコミの問題点としては、「暗黒思想の強力な発信源」になっている点も指摘しておかなきゃいけないね」

勇二 「ふーむ、「暗黒思想」というと?」

正太 「暗黒思想というのは、前に説明した光明思想の逆。つまり、人間や世の中の暗黒面ばかりクローズアップしたり、否定的に物事を捉えていく考え方のことなんだ。マスコミには、暗黒思想を垂れ流すことによって、人々の暗い気持ちを増幅したり、不安や疑いといったネガティブな思いを煽っていく傾向があるんだよ。
 たとえば、テレビや新聞は、殺人事件とか暴力や犯罪を、昼となく夜となく流し続けているよね。その結果、人々の心にどれほど暗い犯罪の影を色濃く落しているか、ということを根本に立ち返って考えてみなくてはいけないんだよ。
 家族の楽しい団欒の時間である夕食時のテレビで、殺人現場が生々しく報道されたりするけど、こういう非常識なことが当然のようにまかり通っているんだ」

勇二 「本当だな。テレビのニュース番組なんか見ていると、心が暗くなってくるよね。世の中には、いい出来事や善意の行為もいっぱいあるはずなのに、ニュースで流したり、クローズアップするのが、なぜ一握りの犯罪や事故ばかりなのか、よくわからないよね。まるで「犯罪や事故じゃなきゃ、ニュース・バリューはない。報道する価値はない」と言わんばかりだよね。
 むごい犯罪が一件起きることもそりゃ悪いことだけど、その一件の凶悪犯罪を朝から晩まで日本中に流し続けて、人々を暗い気持ちにさせていくのも、バランス感覚を欠いてるっていうか、そのこと自体どこかおかしいんじゃないかと思うな。マスコミの人たちは「起きた以上、自分たちには報道の義務がある」とか言うだろうけど、報道する内容の「取捨選択」とか「ウェイトづけ」には、やっぱりバイアスがかかってるんじゃないのかね」

正太 「世の中全体をみれば、悪い事件や事故はいくらでもあるんだけど、問題なのは、「それをどう扱うか」ということにあるんだよ」

勇二 「同じ犯罪にしても「人を殺して首をちょん切った」とか「遺体をバラバラにした」とか、猟奇的なものやスキャンダラスなものほど大きく取り上げるよね。それで何日か大騒ぎするけど、次に何か起きると、「今までのは何だったの?」というくらい、パタッと取り上げなくなって、次のに移っていくんだね。
 「事件が重大だから」とか言うんだろうけど、結局は「どれだけ刺激が強くて目を惹けるか」が報道の基準になってるんじゃないのかね。視聴率をどれだけ取れるか、とかさ」
 
正太 「日本に一億人以上の人が住んでいれば、殺人のようなこともどこかで起きるだろうし、悪い事件というのはいつの時代にもあるんだよ。
 問題なのは、それをセンセーショナルに大きく取り上げて、さも「世の中は悪い事件ばかりで狂乱している」かのように印象づけることなんだ。マスコミの報道を見ていると、同じニュースを繰り返し報道するから、だんだん洗脳されてしまって、「世の中は犯罪や悪人ばかりが満ち満ちている」という暗黒思想が染みこんでしまうんだ。
 これに負けてしまうと、暗黒思想がもっと強くなってそれに支配されてしまい、「他人を見れば泥棒と思え」といったことになりかねないんだよ」

勇二 「なるほどね。暗黒面ばかりクローズアップして、「どうです皆さん。世の中こんなに暗いですよ。こんなに悲惨ですよ。こんなに悪人たちが闊歩してるんですよ」とやるわけだね。そういうエグいアプローチで読者や視聴者の心を刺激して、商売につなげていくわけだ」

正太 「マスコミには「事故好き」「犯罪好き」という地獄体質があるんだね。そうしたものばかり好んで取り上げたがる嗜好があるんだよ。
 悪い出来事についての情報も「人生でつまずかないための注意や警告」という意味での知恵の部分はあるから一概には否定できないけど、やはり公平な取り扱いとトータルのバランスが必要なんだよ。
 というのも、職業の本質というのは「ユートピア建設への貢献」にあるからなんだね。マスコミの人たちは、「積極的に世の中を明るくし素晴らしくしていく報道とは何なのか。言論とは何なのか」ということを、価値判断の基準に据えて仕事をするべきなんだ」

勇二 「なるほどな。「人生の目的」は「魂の修行(魂を磨き高めること)」だけど、「人生の使命」は「ユートピア建設」だからね。「職業」っていうのは、その具体化なわけだ。単に「お金が儲かりゃいい」ってわけじゃなくて、「ユートピア建設」に貢献することが、仕事の本質だからだよね。
 メーカーに勤めてる人も、お店屋さんをやってる人も、お百姓さんも、漁師さんも、みんな職業を通して「人々の幸福増進」「理想社会の建設」に貢献してるわけだ。
 じゃあ、マスコミの人たちは、一体どんな仕事をすることが「人々の幸福増進」「理想社会の建設」につながるのか。この原点にいつも立ち返らないといけないよね。ここを外していくら売り上げだけ上げても、地上人生という試験には合格できないよね。
 他人のゴシップやスキャンダルをほじくったり、中傷記事を垂れ流すことが、自分たちの使命じゃないはずだよね。マスコミの人たちにだって、生まれてくるときに誓ってきた、あるいは、あの世に還ったときに「自分はこういうことをしてきました」と胸を張って誇れるような、もっと尊い使命があるはずだよね」

正太 「それから、マスコミの暗黒思想についてもう一つ代表的なものをあげておくと、「政治家イコール悪人」という「政治家性悪説」もそうなんだね。マスコミは、お金の問題にからめて「とにかく政治家は汚い」というイメージを中心にキャンペーンを展開してるんだけど、これも一種の「暗黒思想」なんだよ」

勇二 「テレビの街頭インタビューなんか見てても、政治家っていうと「自分たちの金儲けのことしか考えていない」とか「腐りきったどうしようもない連中だ」みたいなコメントが多いよね(局側の編集もあるんだろうけど)。バラエティ番組に政治家が出てきても、「うかつに共感しちゃいけない、いかがわしい人たち」って扱いだよね、芸能人たちからも。
 まあ、マスコミ自体がそうした方向で報道してるし、テレビなんか見てたらそうした見方に染まっちゃうだろうね」

正太 「お金儲けがやりたくて政治家になる人はいないんだね。これは自民党から共産党まで同じなんだよ。政治家になる人というのは、党派や理想の違いはあっても、「国をよくしていきたい」という思いを持って、政治の世界に入ってきていることは事実なんだ。お金儲けがやりたければ、もっと違う世界があるわけで、政界というのはそうした世界じゃないんだよ。
 昔から「井戸塀議員」といって、たいていの場合は、選挙に出て大金を使ってしまい、井戸と塀だけが残るような議員が主流であって、それは今でも変わらないんだ。落選した場合は借金を返せない状態になるのが普通なんだよ。
 政治にお金がかかることは事実だし、選挙や事務所の運営、秘書等の雇用を含めると億単位のお金がかかるものなんだ。だから国からの歳費だけでは足りない面があるんだけど、そうした事実を公平な視点でマスコミが報道したり国民に問題提起することはまずないんだね(最近マスコミは政治資金に関しては「入り」のほうはつつきづらくなってきたので、「出」のほうをしきりに問題にしてきてるけどね。政治家とお金の問題については、別途テーマを設けて論じる必要があるだろうね)」

勇二 「マスコミにすれば、政治家っていうのは、「悪役」としての配役がカッチリ決まってるんだろうね。「金儲けしか念頭にない悪代官たち」というイメージから外れるような報道はやりたくないんじゃないのかな」

正太 「「日本の国自体が悪人たちに占拠されて、いいように壟断されている」という報道ばかり流して、国民がそう信じ込み始めたら、日本という国は絶対に悪くなっていくしかないんだよ。
 たとえば、自分の子供に「おまえはダメな子だ」というような悪いことばかり言ったら、その子は良い子にはならないし、「おまえの学校の先生は悪人しかいない」ということばかり子供に吹き込んだら、勉強ができるようにならないのと同じなんだね。
 ましてや、国民が投票によって選んでいる政治家たちが、悪人や盗賊の集まりなら、そんな国に住んでいること自体が恥だし、そういう人を選んでいる国民自身が大きな恥なんだね。
 こうした見方は根本が間違っている、ということから認識しないといけないんだよ」

勇二 「悪人たちに国の中枢を乗っ取られてるなんて思うと気持ちもめげるし、国民のほうも「上はもっと悪いことをやってるじゃないか」なんて、自分の悪を正当化したり棚上げしやすくなるかもしれないね」

正太 「今言っていることは、現代の政治家をことさら美化しようとか持ち上げてるわけじゃなくて、「政治家に対するマスコミ報道は、最初からバイアスがかかっている」「公平さが欠けている」ということなんだね。
 政治家の中にも、金塊をためこんでたような人はいたし、死んでフタをあけたら、国の政治を曲げながらごっそりお金を儲けていたため地獄に堕ちているような人もいるけど、そうしたことはあくまでも個々人の問題であって、その点は一般の人と事情は変わらないんだね。ことさら、「政治家という人種」イコール「悪人」というレッテルを貼るのはおかしいということなんだ(まあ、地獄に堕ちている比率は一般の人よりはちょっと高めのようだけど、これには、軍人なんかもそうだけど、職業的に天国・地獄の振幅が激しくなりやすいという面もあるし、それでもマスコミ関係者ほど高くはないこともはっきりしているんだよ)。
 マスコミがやらなきゃいけない大切なことは、政治家を単に「悪く見る」ということじゃなくて、「個々の政治家の実績判定をフェアにやる」ということなんだ。その際、大事なことは「国益にどれだけ寄与したか」という観点から判定することなんだよ」

勇二 「ふーむ。「この議員は、こういう法律の立法化に努力した。その点は評価できる」とか「この政治家はこういう外交を展開したが、この点で国益を損なった」とか、あくまでも政治家としての活動実績を評価するわけだね」

正太 「今は、政治家の仕事自体に対する判定は少なくて、仕事以外の「スキャンダル系統の追求」が多いのが現状で、ほんとに情けない限りなんだよ。その主たる原因は、記事を書いているマスコミ人に政治についての勉強や知識が足りないということ。結局、自分たち自身が「よく分からない」ので、どうしてもワイドショーのような論調や切り口でやらざるをえなくなるんだよ」

勇二 「「要するに金に汚い人たちなんです」という定番メニューでやるわけだね。結論がそれなら国民にも一番わかりやすいしね」

正太 「それと、マスコミは政治課題の重要度についての判定ができないから、どうしても枝葉末節のほうに走っていく傾向があるんだね。国家として喫緊の課題、優先順位の高い問題をなおざりにして、瑣末なことで大騒ぎしていく傾向があるんだ(これについては、政権の打ち出す方向性が自分たちの考えに沿わない場合、意図的に論点をスリかえて騒ぐ場合もあるんだけどね)。これなんかも国政の運営にきわめて大きなダメージを与えているんだよ。
 いろいろ述べてきたけど、マスコミは、犯罪や事故ばかり拡大視して報道したり、「自分たちの国は悪人たちに牛耳られている」という歪んだ見方を流すことによって、国民の不安や不信を煽っているんだね。こうした「暗黒思想からの決別」も、マスコミに課せられた大きな課題なんだよ」



なぜ、マスコミ関係者で地獄に堕ちる人が増えているのか? ② 

2007-11-12 | プロローグ
正太 「ジャーナリストや言論人の中でも、地獄に堕ちているのは、マルクス主義系統の人が多いんだよ。ひたすら世間の悪口、政府の悪口、人の悪口を並べ立てて、自分以外のもののせいにして、自らを正当化してきたような人は、だいたい阿修羅地獄系統の地獄に行ってることが多いんだ。
 マルクス主義的な考えというのは、煎じ詰めれば「あなたたち(私たち)が貧しいのは、豊かな人が搾取しているからだ。貧しい人はいつも正しく、豊かな人はいつも悪いことをしようとする。だから豊かな人たちに対しては、暴力や革命を起こしてでも引きずりおろさなくてはいけない。そして、貧しい人たちによる平等な共同体をつくらなくてはならない」―こういった考え方だね。革命や暴力をストレートに唱える人は、最近はあまりいなくなったけど、マスコミのお家芸である「強い者叩き」には、こういう左翼的な考えが根っこにあることが多いんだよ。
 マルクス主義的な思想から、どういうメンタリティが出てくるかというと、自分がうまくいかない理由、成功できない理由を外部に求めるようになるんだね。たとえば「政府が悪い」「大企業が悪い」「環境が悪い」「時代が悪い」「誰それが悪い」というように、「自分以外の原因によって自分はこうなっているんだ」という被害妄想的なメンタリティがでてくるんだ(もちろんこれは、薬害エイズ事件みたいに、実際に国の失政が原因であるようなケースは別だから誤解しないでね。ここで言っているのは、「自分がうまくいかない場合、その原因をすぐに自分以外のものに転嫁したがるメンタリティが出てくる」ということなんだ)。
 これは、人情としてはもっともなことなんだけど、こういう考え方を信奉する人が増えてくると、「自分自身まじめに努力しよう」とか、「世の中のために貢献していこう」といった積極性はゼロになっていくんだね。そして、自分の不平不満や嫉妬心というものが合理化されていくんだ。他人に対する嫉妬というものが合理化されて、「成功している人というのは、要するに悪いことをして成功しているのだから、みんなでやっつけようじゃないか」という考え方になるんだよ」

勇二 「ははーん。そこから阿修羅地獄への道が開くわけだね。「そういう連中はみんなでリンチにかけて、スカッとしようじゃないか」という心だね」

正太 「ただ、マスコミの中でも極端に指導力のあるような人とか、言論人、思想家などは、阿修羅地獄ではとどまらずに、もっと下に堕ちているんだよ。地下一階じゃなくて、もっと深いところに行くんだね。ここにあるのは「無間地獄」といって非常に深い地獄なんだ。リーダー格の人はここにストーンと堕ちるんだよ。
 この「無間地獄」に堕ちるとほとんど一人きりになるんだ。つまり、他の人と全然会わないようなところに隔離されているのといっしょなんだね。大して危険でなければ、阿修羅地獄でお互いに傷つけ合っていればすむんだけど、その人が煽動すると周りへの影響が大きくて危険すぎる人は、こういう深いところに堕ちて隔離されるわけなんだ」

勇二 「ふーむ」

正太 「マルクス主義というのは、冷戦が終結してソ連等が崩壊したことで、思想的な影響力はかなり後退したんだけど、日本では、若い頃にマルクス主義の洗礼を受けた人たちが、マスコミに限らず官界や政界なんかにまだ数多くいて、「隠れサヨク」という形で影響を及ぼしているんだ。
 だから、少し脱線するんだけど、マスコミのバックボーンにもなっている、このマルクス主義の問題点についても触れておこうと思うんだ」

勇二 「マルキシズムねえ。僕はノンポリできたからイデオロギーとかは苦手なんだよね。できるだけお手やわらかに頼むよ」

正太 「マルクス主義の間違いの根本は何かというと、「唯物論」「無神論」を思想の土台に持ってきたことにあるんだ。それから、「目的達成のためには暴力を使っても構わない」という、「暴力革命」を肯定する思想を説いたこと。
 ソ連や中国にせよ、ポル・ポトが支配したカンボジアにせよ、共産主義を奉じた国ではどこでも大量の粛清や虐殺が起きるんだけど、その理由は、マルクスが説いた「唯物論思想」と「暴力革命思想」の二つにあるんだよ。
 唯物論というのは、結局、人間を「モノ」や「機械」としか見なさなくなるんだね。人間の尊厳といっても、「労働価値を生み出すロボット」としての尊さしかないわけだけだから、役に立たなくなったり、思想的にマルクス主義に反対する人間は「スクラップ」にしても構わない、という結論になるんだ。「人間は物質でしかない」「神様なんかいない」と考えているから、人間を殺すことに罪悪感や抵抗感が出てこなくなるんだよ。
 宗教を「アヘンである」と言って追い出した後に来たものは、「この世の地獄」でしかなかったことを忘れてはいけないんだ」

勇二 「そういえば、日本でも、昔、「連合赤軍事件」なんてのがあって、「総括」なんてことをやってたよね。スケールは小さくても、「同じ思想」からはやっぱり「同じ行動」が出てくるんだね」

正太 「それと、共産主義というのは「平等」の実現を熱心に主張するんだけど、共産主義の説く「平等」というのは「結果の平等」であって、これはいわゆる「悪平等」なんだね。各人の努力に関わりなく、結果だけ切りそろえて同じにすると、みんなが努力しない方へ流れていくんだよ」

勇二 「ふーむ。努力した人も努力しなかった人も、全員が同じ給料や待遇なら、できるだけサボるほうにみんな走っていくだろうね。共産圏が貧しくなって最後に潰れたのも、それが大きな原因なんだな」

正太 「また、ちょっと想像すればわかると思うけど、「結果の平等」というのは、そうとう抑圧的なシステムを敷かないと達成できないんだね。人間というのは、自由にやらせたら各人の間に自然に差がつくんだけど、それを平らにならすというのは、そうとう強権的で抑圧的な政治体制を敷かないと実現できないんだ。マルクスは「プロレタリアートの独裁」を主張したけど、共産主義を実現しようとすれば、否も応もなく、自由も民主主義もない「独裁国家」にならざるをえないんだよ」

勇二 「なるほどね。全員を統制下において強制的にやらないと、「平等の実現」なんてムリだろうしね。それに、選挙なんてやったら「共産主義なんてやーだ」っていう人たちに体制を引っくり返されちゃうだろうからね。
 となると、やっぱり「平等」っていうのは良くないものなのかね?」

正太 「いや、そんなことはないんだよ。「平等」の尊さというのは、あくまでも「機会の平等」「可能性の平等」にあるんだね。生まれたときの身分や財産に関係なく、「選択の自由」が保障されていて、本人の努力しだいで発展の可能性が開かれている社会であることが大事なんだ。自由主義国のほうは、こうした「機会の平等」に基づいた社会なんだよ」

勇二 「そうか。平等っていうのは、結果のほうじゃなくて、「チャンス」や「可能性」のほうに求めるべきなんだな」

正太 「そう。もちろん、弱者を保護したりセーフティネットを設けることは必要だけど、自由主義の基礎には、「機会の平等」と「結果の公平」という大きな原則があるんだね。
 ちなみに、この原則というのは、政治や経済制度の問題以前に、実は、人間の魂修行のしくみ自体がそうした原則に基づいているんだよ。
 人間の魂の本質というのは「仏性(神性)」といって、ダイヤモンドみたいに光り輝いたものなんだ。本質がダイヤモンドである点で、人間は全員が「平等」なんだね。「磨けば光る」という可能性において平等だし、「磨く機会は等しく与えられている」という点において、全員が平等なんだよ」

勇二 「ふーん、そうなのか。じゃあ「Aさんの魂の本質はダイヤモンドだけど、Bさんの魂の本質は石っころだ」というわけじゃなくて、全員がダイヤモンドなんだね」

正太 「そう。ところが、ダイヤモンドの原石である魂を「実際にどこまで磨いたか」という「努力の結果」に対しては、各人が「公平」に評価されるんだ。努力して、仏性を「どこまで磨き出したか」という点については、平等じゃなくて、その違いが公平に評価されるんだよ。
 燦然と輝いたダイヤモンドの部分、あるいはそれに近い部分まで磨き出した人は如来界・菩薩界のような高級霊界に住んでいるし、まだ磨きが足りなくて平凡な石ころのような光しか放っていない人は幽界や善人界のような世界にいるし、磨くどころか泥まみれにして真っ黒にしている人は地獄界にいるんだよ」

勇二 「ほーお。それが「結果の公平」というわけだね。たしかに、「どんなに立派な生き方をしても天国。どんなにメチャクチャな生き方をしても同じ天国」っていう「結果平等」じゃ、アホらしくなって、誰もまともに努力しなくなるだろうしね。
 反対に、「ガンバッたらガンバッただけ進歩・向上できる。サボったらサボっただけ転落する、自分が苦しくなる」っていうなら、「よーし、がんばるぞー」っていう向上心が湧いてくるよね。
 神様っていうのは、やっぱり教育的効果というのを考えて法則を組んでいるんだな」

正太 「このあたりは、とても根源的なテーマだから、いずれ魂の性質について説明する際に詳しくするとしよう。だけど、今は、「マスコミの問題点」がテーマだから、これ以上の深入りはやめとかないとね(笑)。
 えーと、もう一度マルクス主義のところまで話を戻すけど、マルクス主義というのは、戦前から戦後にかけて、インテリ層を中心に一世を風靡したんだね。なぜそんなに流行ったかというと、マルクス思想の中には「ユートピア建設」という理想があったからなんだ。資本主義のほうは、必ずしもそういう理想を謳っていなかったんだけど、共産主義はその点を明確に打ち出したので、インテリ層を強烈に惹きつけたんだよ。
 ただ、理想はよかったんだけど、理想を実現する手段・方法のところで、今言ったような大きな間違い(「唯物論・無神論」、「暴力革命の肯定」、「結果平等思想」)があったんだね。思想という種に間違いがあれば、当然、そこからは悲惨な結果が出てくるんだよ。共産主義国が、粛清につぐ粛清、暴力による権力闘争、血で血を洗う恐怖政治という「この世の地獄界」になったのは、土台となる思想に大きな誤りがあったからなんだ」

勇二 「そうか。そういう共産主義に若い頃染まった人たちが、マスコミにも多いわけだね。だから、ソ連や北朝鮮、中国なんかをひいきにしてきたんだな。結局、そういう人たちって、日本をソ連や北朝鮮みたいな国にするために努力してきたようなものだね」

正太 「そう。それと、戦後の日本では、「無神論」「唯物論」、それに「無宗教礼賛」という風潮が人々の間に広まったんだけど、こうしたものを広めた主役は、マルクス思想の流れをくむ左翼ジャーナリズムだったんだね。
 敗戦とGHQによる占領政策をきっかけに「宗教否定」という土壌ができたんだけど、その後、言論を通してこういう悪い種をまいていったのは、左翼マスコミだったんだよ。
 ただ、これははっきり言っておかなくちゃいけないけど、「人々に唯物論や無神論を声高に叫んできた人たちは、死後あの世で厳しい試練が待っている」ということなんだ。これだけは、覚悟しとかなきゃいけないんだよ。
 たとえば、ニーチェというドイツの哲学者がいるよね。この人は、「神は死んだ」と主張したことで有名だけれど、その言葉が、あの世に還ってから、数限りない霊人たちの嘲笑の的になったんだね。そのため、ニーチェの超人思想を自分が体現しようとして、第二次大戦を引き起こしたヒトラーといっしょに、地獄の最深部で、ヘドロの沼にもだえているんだ。両手両足には、非情にも重い鉄球がぶら下がっている鎖がつけられているんだよ。
 あるいは、仏教学者なんかでも、仏教でいう「無我説」というのを「無我とは、死んだら魂がなくなることだ。だから釈迦は魂を否定したんだ」と唯物論的に解釈して、無間地獄に堕ちている人もいるんだね。東大で仏教学の教授をしていた人でもそんな人がいるんだよ。
 それとか、この世にいたときは、「マスコミ天皇」だとか「戦後民主主義の旗手」だとかオピニオン・リーダーとして華やかに持ち上げられていても、死後、無間地獄に堕ちて苦しんでいる人がいるんだよ。
 神仏を否定して、自分をこの世の巨人のように思っていた人は、あの世に還ると小人になるんだね。その結果、素朴な信仰心を持ちながらお百姓さんとして一生を送ったような人よりも、はるか下方の暗黒世界で苦しんでいるんだ。「あの世だ、霊だなんていうのは、知的レベルが低い人間の迷信だ。無知な大衆を自分が啓蒙しなきゃいけない」なんて考えて唯物思想を吹き込んでいる人たちは、そういう過酷な運命が待っていることを知らなきゃいけないんだね。
 というのも、真実に反した思想や言論を発表して、この世の人々を迷わせた罪というのは、本人が償わなきゃいけないことになってるからなんだ。その影響が大きければ大きいほど、その責任は免れがたいんだよ。
 唯物思想が間違いだということは、あの世に還れば、誰も否定できない真実なんだ。「人間の本質が霊であり、あの世がある」ということは、「科学が発達していなかった時代の迷信」でもなんでもなく、厳然たる事実なんだよ。
 この世の人たちは、こうしたことに早く気づかなくちゃいけないんだね」

勇二 「うーん、そんなに厳しいのか。左翼ジャーナリズムとか左翼マスコミというのは、そうした無神論や唯物論の音頭とりをやってきたわけだね」

正太 「唯物論というのは大昔からあったんだけど、メジャーになったのはここ百数十年くらいなんだね。でも、「そうした現象は、時代の逆流現象に過ぎなかった」ということは、今後の歴史が証明していくんだよ。というのも、あの世、つまり霊界という異次元世界にも自然科学による探求のメスが入っていくからなんだ。
 それと、現代では、唯物論を信じている人がかなり増えているんだけど、これについては「地獄界からの悪影響がそうとう働いている」という事実があることも指摘しとかなきゃいけないね」

勇二 「地獄からの影響? てことは、地獄霊っていうのは、唯物論に肩入れしてるわけ?」

正太 「そうなんだね。これは、こういうことなんだ。
 「あの世があって、天国・地獄がある」そして「この世で善なる心をもち善なる行いをして生きれば天国に行き、その反対の生き方をすれば地獄に行く」ということは、天国に住んでいる霊なら、「それはごく当然のことだし、この世にいる人にはみんな知って欲しい」と願っていることなんだ。
 ところが地獄に行っている霊はどうかというと、そうしたことをこの世の人に知られたら大変マズいことになるんだよ」

勇二 「あー、なるほどな。要するに、地獄霊にしてみれば、「そういうことを知られてしまうと、この世の人間に憑依できなくなる」ということだよね。
 地獄っていう所はとても苦しい。その苦しい地獄の世界から抜け出すためには、地上に出てきて、生きている人間に取り憑く以外にない(もちろん、こんなことをしてたら罪が重くなってますます天国に還れなくなるんだけど、地獄霊というのは「溺れる者は藁にもすがる」思いで憑依してくる場合が多い)。
 ところが地上の人間なら誰にでも取り憑けるかというと、そうじゃなくて、「波長同通(同類相集まる)の法則」によって、「自分と心の波長が一致する人間」つまり「自分と同じような地獄的な心を持った人間」にしか取り憑くことができない。その取り憑いた相手がもし「あの世があって、正しい心をもって生きれば天国にいける」ということを知ってしまい、自分の間違った心を反省し始めたら、その瞬間から憑依が難しくなってしまう。そうなると、せっかく手に入れた「この世のすみか」を失ってしまい、もといた地獄に帰らなきゃいけなくなる。
 だから、地獄霊たちは、天国・地獄とか転生輪廻といったことを、生きている人間に知って欲しくないし、何とか知らせまいとする ― そういうことだよね」

正太 「そのとおり。地獄霊にしてみれば、生きている人間に「自分には悪い霊が憑いているんじゃないか?」と疑われるだけでも、ビクビクものなんだね。だから、霊とかあの世といった事柄には極力関心を持ってもらいたくないし、「そんなものはない」と信じ込ませておきたいんだよ。
 実に皮肉な光景なんだけど、そうした話題が出ると、取り憑いている人間に対して「そんなものはウソだ。迷信だ。関心を持つな」と、憑依霊が耳元でささやいていることが多いんだね。一生懸命、悪いインスピレーションを与えようとするんだよ」

勇二 「なるほどね。霊が、必死になって「霊の存在」を否定してるわけだ(笑)」

正太 「ちょっと考えればわかると思うけど、唯物論とか無神論には「地獄領域を広げる力」があるんだね。人間というのは「あの世があって、天国・地獄がある」ということをきちんと教えられてこそ、この世での生き方を慎むようになるし、本当の意味で、向上を目指して努力、精進していけるようになるんだね。
 ところが「そんなものはない」と信じ込まされたら、どうなるか? 「死んで全部終わりなら、やりたい放題、自分本位に生きなきゃ損だ」となっていくんだね。
 これこそが、悪魔の望むことなんだよ」

勇二 「ふーむ。この世にも暴力団やヤクザの親分がいるように、地獄に堕ちてる霊の中にも悪魔っていう頭のような存在がいて、地上の人間たちを地獄に引きずり込もうと暗躍してるわけだよね。その連中にしてみれば、「あの世なんかない。人生はこの世限りだ」という考えが地上に広がることは、まさに思うツボなわけだ」

正太 「そうなんだよ。悪魔っていうのは、いっぽうでは新興宗教の教祖なんかを迷わせて、狂った教義を説かせたり社会問題を起こさせたりしてるんだけど、いっぽうでは(というか大多数の人たちに対しては)こうした唯物思想の方向で迷わせようとしてるんだね」

勇二 「なるほどな。マスコミはそこで悪魔の提灯持ちみたいなことをやってたらいけないね。「霊」とか「神仏」っていうと、ハナから「いかかがわしい」と否定してかかるメディアが多いけど、結局は、そういう連中の片棒かつぎみたいな仕事になってるわけだもんね」

正太 「表現はキツいかもしれないけど、何十年も勉強して「神様なんかいない」と言っているのは、馬鹿になるために学問したのと一緒なんだね。
 マスコミは、国民の「知る権利」を強調するけど、人間にとって本当の知る権利というのは「あの世を知る権利」のことなんだ。人間の本質を知りたいという権利のことなんだ。死んだらいったいどこへ行って、どういう生活が待ち受けているのかを知らなかったら、この人生どう生きていったらいいかサッパリわからないんだよ
 だから自分ひとりが地獄に行くなら結構なんだけど、健全な人々の思想を曇らせて、多くの人々を地獄に連れて行くことだけは止めなくちゃいけないんだ。これだけは絶対にしてはいけないんだよ」