勇二 「でも、臓器移植は日本じゃ結構議論になっているけど、欧米なんかじゃ、抵抗が無いというか、何十年も前から進められているじゃないか。これはどういうことなんだろう?」
正太 「まず、基本的に、「霊肉二元」という現在のキリスト教の考えが大きく影響しているんだね。キリスト教圏では「霊と肉、霊体と肉体は全く別のものだ」と考えているんだよ。「霊は神が息を吹き込んだもの、肉体は神が塵や土をこねてつくったもの」として、「霊体と肉体は全く関係ない。霊は認めるけれど、肉体は切ってもかまわない」と理解しているんだ」
勇二 「実態は、死んだからって、そんなにスパっと分けられないということだよね。」
正太 「そうそう。また、こうした考え方には近代思想の祖となった哲学者デカルトの「精神と物質」の二元論も強く影響しているんだ。西洋医学のもともとの出発点は、デカルトの霊肉二元論あたりから始まっているといえるんだよ」
勇二 「デカルトの二元論?」
正太 「デカルトも、霊そのものがあることは認めていたんだけれど、現実的にはよくわからないので、これは神学や哲学のほうに委ねてしまって、この世的な肉のほう物質のほうは科学が対象にするというふうに分けたんだ。分けたために、結局、もう片方(霊)のことを考慮しなくなってきたという流れがあって、その中に西洋の医学もあるんだよ」
勇二 「自然科学に担当させた物質の研究は進んだけど、霊とか魂はうっちゃってきたような形なのかな」
正太 「そう。西洋の医学をやっている人たちは、あの世のことを知っているかといえば、霊界、あるいは霊があるということ自体はかなりの人が知っているんだ。ただ、「それは学問が対象とするものではないから、自分たちは肉体を治す研究だけに専念している」ということなんだよ。要するに、西洋医学というのは、あの世を知っている人の霊肉二元論で「霊と肉は違う。肉(物質)には肉(物質)の法則があるんだから、その中でどんどん進めていこう」という考えなんだね。
勇二 「霊は否定しないけど、そういう割り切った世界観があるから、臓器移植なんかにも積極的というわけか」
正太 「うん。でも、こうした見方もやはり間違っていて、実態はどうかといえば、むしろ仏教でいう「色心不ニ(しきしんふに)」という考えのほうが正しいんだね」
勇二 「色心不二?」
正太 「これは「色(肉体)と心は二つに分けられず、両者は互いに影響を及ぼしあっている」という意味で、実際人間というのは、肉体が病めば、霊体にも大きな苦痛が生じることがあるし、霊体が驚愕したり病んだりすると肉体に異常な変化が表れることもあるんだ」
勇二 「ふうむ。生きているうちは互いに影響しているし、心臓の鼓動が止まったからといって、お互いすぐに「はい、バイバイ」とはならないということだね」
正太 「そうそう。この点で、キリスト教圏では未熟な理論が通用している、といわざるをえないんだ。一方、日本の場合はどうかというと、医学のほうは、形だけ西洋医学をすっと取り入れたんだけど、霊とか魂はどこかに飛んでしまって、唯物的な医学そのものになりきっている面があるんだね」
勇二 「ははーん、同じ西洋医学といっても西洋と日本じゃ、そこらあたりで違いがあるんだな。ということは、日本の場合、医学以外のところで臓器移植への反発が強いということになるね」
正太 「うん。今言ったように、仏教を中心とした宗教的土壌があって、西洋的な「霊肉二元」という割り切った考えがなじまないこと、またお通夜とか、魂が安らかに離れるために配慮した風習も根強くあって抵抗感があることが大きいね。じゃあ実態はどうなのかといえば、霊的にはこちらのほうが正しいといわざるをえないんだよ」
正太 「まず、基本的に、「霊肉二元」という現在のキリスト教の考えが大きく影響しているんだね。キリスト教圏では「霊と肉、霊体と肉体は全く別のものだ」と考えているんだよ。「霊は神が息を吹き込んだもの、肉体は神が塵や土をこねてつくったもの」として、「霊体と肉体は全く関係ない。霊は認めるけれど、肉体は切ってもかまわない」と理解しているんだ」
勇二 「実態は、死んだからって、そんなにスパっと分けられないということだよね。」
正太 「そうそう。また、こうした考え方には近代思想の祖となった哲学者デカルトの「精神と物質」の二元論も強く影響しているんだ。西洋医学のもともとの出発点は、デカルトの霊肉二元論あたりから始まっているといえるんだよ」
勇二 「デカルトの二元論?」
正太 「デカルトも、霊そのものがあることは認めていたんだけれど、現実的にはよくわからないので、これは神学や哲学のほうに委ねてしまって、この世的な肉のほう物質のほうは科学が対象にするというふうに分けたんだ。分けたために、結局、もう片方(霊)のことを考慮しなくなってきたという流れがあって、その中に西洋の医学もあるんだよ」
勇二 「自然科学に担当させた物質の研究は進んだけど、霊とか魂はうっちゃってきたような形なのかな」
正太 「そう。西洋の医学をやっている人たちは、あの世のことを知っているかといえば、霊界、あるいは霊があるということ自体はかなりの人が知っているんだ。ただ、「それは学問が対象とするものではないから、自分たちは肉体を治す研究だけに専念している」ということなんだよ。要するに、西洋医学というのは、あの世を知っている人の霊肉二元論で「霊と肉は違う。肉(物質)には肉(物質)の法則があるんだから、その中でどんどん進めていこう」という考えなんだね。
勇二 「霊は否定しないけど、そういう割り切った世界観があるから、臓器移植なんかにも積極的というわけか」
正太 「うん。でも、こうした見方もやはり間違っていて、実態はどうかといえば、むしろ仏教でいう「色心不ニ(しきしんふに)」という考えのほうが正しいんだね」
勇二 「色心不二?」
正太 「これは「色(肉体)と心は二つに分けられず、両者は互いに影響を及ぼしあっている」という意味で、実際人間というのは、肉体が病めば、霊体にも大きな苦痛が生じることがあるし、霊体が驚愕したり病んだりすると肉体に異常な変化が表れることもあるんだ」
勇二 「ふうむ。生きているうちは互いに影響しているし、心臓の鼓動が止まったからといって、お互いすぐに「はい、バイバイ」とはならないということだね」
正太 「そうそう。この点で、キリスト教圏では未熟な理論が通用している、といわざるをえないんだ。一方、日本の場合はどうかというと、医学のほうは、形だけ西洋医学をすっと取り入れたんだけど、霊とか魂はどこかに飛んでしまって、唯物的な医学そのものになりきっている面があるんだね」
勇二 「ははーん、同じ西洋医学といっても西洋と日本じゃ、そこらあたりで違いがあるんだな。ということは、日本の場合、医学以外のところで臓器移植への反発が強いということになるね」
正太 「うん。今言ったように、仏教を中心とした宗教的土壌があって、西洋的な「霊肉二元」という割り切った考えがなじまないこと、またお通夜とか、魂が安らかに離れるために配慮した風習も根強くあって抵抗感があることが大きいね。じゃあ実態はどうなのかといえば、霊的にはこちらのほうが正しいといわざるをえないんだよ」