死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

「天国に還れるか、地獄に堕ちるか」を分ける基準

2007-04-09 | この世の人生は一種の「試験」でもある
正太 「そうそう、そこなんだね。そこが今回大きなテーマの一つにしたいところなんだよ。これからじっくーり、あの世のこと、たとえば地獄でも実に様々な地獄があって、昔、仏教で説かれていたような地獄が、実際にそのまま全部あるんだね。もちろん地獄もずいぶん近代化したところもあるんだけど、そうした地獄界から始まって天上界の上のほうの世界まで詳しーく紹介することによって、そのへんを、心行くまで説明していこうと思っているんだよ…」

勇二 「君の熱意には頭が下がるし、おっしゃりたいことが山ほどあるのはわかるんだけど、とりあえず、そこのところだけ、ざっくりしたことでいいから予習しておきたいんだなー」

正太 「おっと、これは失礼。少し興奮しちゃったね。えーと、天国と地獄のどちらに行くかの基準。これは実に単純なことなんだ。
「その人が、生きていたあいだに、思ったこと、行ったことを、一つひとつ上げてみて、善いことが多かった場合には天国に還ることができ、悪いことが多かった場合には地獄に堕ちる」こういうことなんだ」

勇二 「へーえ、要するに「思いと行い」の両方を見て、善のほうが悪よりも多ければ、天国に還れるわけだね」

正太 「そうです」

勇二 「何だか、昔聞いた「死んであの世にいくと、エンマ様の前で善悪がハカリにかけられる」って話を思いだすな。…いやあ、これが条件なら僕でも何とかなりそうだなー」

正太 「…あのー、せっかくの自信に、水を差すつもりでは決してないんだけど…」

勇二 「はあ?」

正太 「現代人の場合、じゃあ蓋を開けたらどうなっているかというと、半分以上が地獄に堕ちているという現実があるんだよ」

勇二 「えーっ! …半分以上が…、地獄に…」

正太 「そうなんだ」

勇二 「そりゃまたどうして!?」


地上人生で「テスト」される内容とは?

2007-04-08 | この世の人生は一種の「試験」でもある
正太 「今、君が言ったように、この世の人生というのは一種の「試験」でもあるんだ。試験である以上、「不合格」があるんだね。「全員合格」「何をしても構わない、自分勝手で構わない」ということじゃなくて、「やはり失敗はある、認められないレベルがある」ということで、その部分が地獄なんだね。もちろん、この世の入学試験なんかとは違って、「定員」があるわけじゃないんだけど、一定レベルをクリアできていないと、そうした世界にいかざるをえないんだよ」

勇二 「試験中にパニクった夢を、今でも見るのになあ。まだ「受験中」だったのかい…。じゃあ、この世の人生で、いったいどういうことがテストされるわけ?」

正太 「この世には天国からしか生まれ変わってこれない、ということは前に話したよね。たとえ地獄に堕ちていた人でも、反省して最低限4次元幽界の精霊界というところまで上がってこないと、この世には生まれ変わってこれない、ということをね」

勇二 「うん」

正太 「天国にいる人というのは、住んでいる次元は様々だし、悟りの高い低いはあっても、いずれも皆「天上界の住人」としての悟りは得ているわけだよ。じゃあ、その悟りは本物ですか? 本物かどうか、地上に生まれ変わって果たしてそうした生き方ができるかどうか試してみましょう。と、こういうことなんだよ」

勇二 「ふーむ。この世の厳しく難しい環境の中に生まれてきて、天国にいたときのような生き方が本当にできるかどうかがテストされる、ということなんだね」

正太 「そうなんだ。この世という世界は、そういうふうに、自分の霊性、仏性(神性)、あるいは自分の霊的な覚醒が、はたして本物かどうかが徹底的に試される場なんだね。霊的に目隠しされて、あの世のこともわからなくしてあるこの物質世界の中で生きながら、どれだけ霊的な人生観を手に入れることができたか。物質に束縛された難しいこの世の中で、仏あるいは神という存在を信ずること。また「愛」とか「善」とか「正義」とか「勇気」とか「理想」とか、そうした目に見えない、手でさわれない尊い価値を、この物質界の中でどれだけ学びとり、実践できたか。そうしたことを試されているんだよ」

勇二 「うーむ。この物質の世界っていうのは、目に見えるし、手でさわれる世界だよね。そうした物質世界の中で、愛とか善とか、目に見えない、手でさわれない尊い価値に基づいて、どこまで生きていくことができたか、か…。なるほどねー」 

正太 「反対に、あの世の世界、霊界では、人間が魂であり、仏や神が存在することを信じることは難しくないんだね。というか、そうしたことは事実そのものであって、単なる事実の確認にしかすぎないんだ。また、よいことをすること、他の人に対して愛を与えることが大切なんだということも、はっきりわかる世界なんだね。そうしたことが、目隠しされてしまって、はっきりはわからなくしてあるこの世の中で、あなたは一体どういう生き方を選び取るんですか、ということが問われるんだよ」

勇二 「そうかあ。…じゃあ、次に、これは僕にとっちゃ、というか誰にとっても問題だと思うんだけど、人間どうすれば地獄に堕ち、どうすれば天国に還れるんだい? そのボーダーラインというか、合否の基準はどうなっているの?」


この世の人生は一種の「試験」でもある

2007-04-07 | この世の人生は一種の「試験」でもある
勇二 「理想社会の建設かあ。そうすると毎日やっている仕事、職業っていうのも、そうした「使命」の具体化なんだろうね」

正太 「そうだね。職業というのは、ユートピア創りの原点でもあるんだ。仕事をとおして、人々の幸福増進や社会の進歩、発展に貢献するという使命を果たしていけるんだよ。だから、仕事じたいがユートピア創りに反するもの、暴力団とかドロボーをはじめいろいろあるだろうけど、そうしたものは当然ながら、人間がこの世に生まれてきた「使命」そのものに反しているわけだね」

勇二 「じゃあ、女性なんかも手に職をつけて、どんどん社会で活躍していったほうがいいんだろうな」

正太 「世の中にはまだまだ誤解があるんだけど、主婦業というのも、立派な職業なんだ。ひと頃は、新聞の投書欄とかに「主婦と書くのが恥ずかしい」なんて意見がよく出ていたけど、これはとんでもない間違いなんだね。「家庭ユートピアの建設」という主婦の仕事は、女性にとっていちばん大切な仕事であり、聖なる使命なんだ。これは神様の目から見てそうなんだね。
 実際、女性でサラリーマンをやっていて、天使や菩薩といわれる境涯まで進化した人というのは、ほとんどいないんだね(まあ、サラリーマンという職業じたいが非常に新しいという面もあるんだけど)。逆に、聖母マリアのような方をはじめとして、妻業、母業に生きた女性の天使、菩薩というのは非常に多いんだよ。このあたりのことは、いずれ詳しく話そうと思うけど」

勇二 「主婦業も立派な職業か…ふうむ。まあ、ここまでの内容を要約すると、この世が密度の濃い魂修行の場で、だからこそ、あの世じゃ果たせないような魂の進化も可能だということ、それと人生には「目的と使命」がある、ということだね。ここまでは、それなりにわかったつもりだけど、ただ、あの世に還ったときに、地獄に堕ちちゃう場合もあるんだよね?」

正太 「うん。あの世の天上界で暮らしていて、そこから地獄へ落っこちることも可能ではあるけれど、地獄という世界は、必ずといっていいほど、地上生活を経て堕ちているんだね」

勇二 「つまり、地獄に堕ちるというのは一種の「落第」みたいなものだよね。ということは、この世での一生っていうのは、ある意味で「試験」か何かを受けているようなものなんじゃないかい?」

正太 「そのとおりなんだよ。鋭いねー。さすが」

勇二 「さすが二回も落第しただけのことはある(笑)、なんて言わないでね」