勇二 「うーむ。まあ、「今の若い人は…」なんて言うほど、僕もオッサン、オッサンした歳じゃないけど、世の中で起きていることや、ふだん自分が見聞きすることからしても、これじゃあ、さすがにマズイんじゃないかと思うよね。
学科を教えるだけじゃなくて、学校でも家庭でも、何か精神的な規範になるようなものも、少しは教えていかないと、どんどんおかしくなっちゃうんじゃないかね」
正太 「教育というのは、人間を動物的存在から進化させるたいへん文化的な作業なんだけど、経済大国であり教育大国であるはずの日本の中で、青少年はむしろ動物的な存在に近づいているんだね。
性の乱れ、極端なふしだらさ、あるいは、肉体欲のままに行動する、非常に刹那的な快楽に走るとか、また、いじめにしても一昔前には考えられなかったほど残忍さ、凶悪さが増しているんだけど、霊的に見ても、「悪霊憑依の低年齢化」という現象が起きているんだ。つまり、「地獄霊の憑依が起きる年齢が、以前より下がってきている」という現実があるんだよ」
勇二 「ほーお、「悪霊憑依の低年齢化」ねえ。憑依といっても、地獄霊のほうが一方的に取り憑いてくるわけじゃなくて、あくまでも心の波長が一致しているから憑依が起きるわけだよね。それだけ、子供たちの心の状態が荒んでいる、悪化しているってことだよね。
まあ、あの、「クラス全員で一人の生徒を自殺するところまでいじめぬく」なんていう最近はやりのいじめの手口を見ても、そんな気はするね。「いじめに参加しないと、自分がいじめのターゲットになる。それが怖いからいじめに加わる」なんていうのは、地獄そのものじゃないか。君の話だと、この世がだいぶ地獄化してきているということだけど、そういう学校現場こそ、あの世の「地獄界」がはっきり現われてる気がするな」
正太 「昔は大人にならないと起きなかったような悪霊憑依が、小さいうちから始まっているんだね。今は、十歳くらい、小学校の高学年から、地獄霊に憑依されだしているんだ。これが中学生や高校生になると、悪霊に憑依されているのはいっぱいいるんだよ。
とにかく、今くらい、家庭や学校教育のなかで「人間の正しい生き方を教える」ということ、倫理教育、道徳教育、宗教教育が必要なときはないんだね。
宗教教育なんていうと、日本人は「ペーっ」ていうかんじで拒否反応を示すけど、倫理や道徳の一番大きな源泉は宗教だし、宗教教育を全く行っていない国というのは、日本を除けば世界中で共産主義国くらいしかないんだね。日本人は、これをとても進んだ、文化的なことだと思っているんだけど、仏の目から見たら、神様の目から見たら、たいへん恥ずかしいことなんだよ。文明国の国民の目から見ても、とても恥ずかしいことなんだね。
たしかに、現代の日本では、人の心を狂わすような邪教の数は多いし、「戦前に国家神道にもとづいた教育をして、戦争をし、負けた。だから、宗教はよくない」という論理もあるかもしれないけど、そうした宗教アレルギーのようなものは払拭しなきゃいけないんだよ。
会社の中には、成功する会社もあれば、失敗して倒産する会社や、中には悪いことをする会社もあるかもしれないけど、だからといって「会社という存在そのものが悪い」という結論にはいかないよね。ところが、日本では、宗教に関してはそうなっているんだね」
勇二 「道徳教育だとか倫理教育なんて言っただけで風当たりが強いのに、宗教教育なんていったらスゴイ反発があるだろうね。ミッション系の学校とかならともかく、公立校ではね」
正太 「日本という国がなぜこうなっているかというと、その大本には、敗戦後、日本に進駐してきたアメリカをはじめとする連合国の占領政策があるんだね。彼らは、戦争中に体験した日本の強さというものが、とてもコワかったんだね。「これは何とか封じ込めなきゃいけない」と思ったんだ」
勇二 「神風特攻隊だとか、「なんでそんなことをするのか」やたら怖かった、っていうね」
正太 「だから、日本が二度と自分たちに戦いを挑んだりすることがないように、知恵を絞ったんだよ。
その方法の一つは「軍備を全廃すること」。これは当然だよね。軍隊がなければ歯向かいようがないからね(もっともその後、自衛隊ができたんだけど)。もう一つが何かというと、「精神性の部分を骨抜きにすること」だったんだね。彼らは、日本人が戦争中に発揮した強い精神力の背景には、戦前に、日本人の精神的な柱になっていた「国家神道」の存在があったことを突き止めていたんだ。だから、戦後の日本の針路を決めるに当たって、「この宗教の部分をどう取り去るか」ということに腐心したんだよ。
その結果が、(事実上、占領軍がこしらえた)憲法の中で「日本は軍隊を持たない、交戦権もない」という規定になったし、「国の行事として宗教活動をしちゃいけない、国はどんな宗教教育もしてはダメ」という規定になっていったんだね。だから、憲法に規定された宗教への扱いというのは、根本において「日本に対する善意ではないものに基づいていた」ということを認識しておく必要があるんだよ。
占領軍による、こうした「日本弱体化」を意図した宗教追放の政策と、「「天皇陛下のために」という国家神道の教育を受けて、ひどい目に合わされた」っていう「宗教はコリゴリ」という国民感情があいまって、戦後日本の宗教アレルギーが形成されていったんだね。戦後の宗教否定、あるいは無宗教礼賛の風潮は、第二次大戦における日本の敗戦がもたらした「負の遺産」というわけなんだ。これが霊的な目から見た真相なんだよ。
じゃあ、そういう連合国、って言うと古いけど(笑)、他の文明国はどうかというと、大統領が就任する際に、聖書に手をざして宣誓するアメリカを見てもわかるように、公的なものから宗教をすべて排除しているような国などないんだね。また、仏教国はもちろん、キリスト教国だって、カトリックであれプロテスタントであれ、子供の人格形成の基盤としてキリスト教的倫理に根ざした宗教教育を行っているわけなんだ。「教育において宗教は一切ご法度」という日本人の常識のほうが、世界の中では非常識なんだよ。だから、こうした偏見やトラウマは卒業しなきゃいけない性質のものなんだね。
特定の宗教となると、いろいろ支障がでてくるかもしれないけど、「他の人を慈しむ」「感謝の心を持つ」「悪いことを思ったり、行ったりしたら、しっかり反省する」ということは、正しい宗教のエッセンスだし、仏教やキリスト教のような世界宗教でも共通して説かれていることなんだね。だから、こうしたことを、子供たちにしっかり教えていくことは、できるはずなんだ。
まあ、「貪欲」というテーマからは、だいぶ話がそれたけど、いじめ問題や子供たちをめぐる霊的環境とかについては、いずれまた、じっくり話をすることにしよう」
学科を教えるだけじゃなくて、学校でも家庭でも、何か精神的な規範になるようなものも、少しは教えていかないと、どんどんおかしくなっちゃうんじゃないかね」
正太 「教育というのは、人間を動物的存在から進化させるたいへん文化的な作業なんだけど、経済大国であり教育大国であるはずの日本の中で、青少年はむしろ動物的な存在に近づいているんだね。
性の乱れ、極端なふしだらさ、あるいは、肉体欲のままに行動する、非常に刹那的な快楽に走るとか、また、いじめにしても一昔前には考えられなかったほど残忍さ、凶悪さが増しているんだけど、霊的に見ても、「悪霊憑依の低年齢化」という現象が起きているんだ。つまり、「地獄霊の憑依が起きる年齢が、以前より下がってきている」という現実があるんだよ」
勇二 「ほーお、「悪霊憑依の低年齢化」ねえ。憑依といっても、地獄霊のほうが一方的に取り憑いてくるわけじゃなくて、あくまでも心の波長が一致しているから憑依が起きるわけだよね。それだけ、子供たちの心の状態が荒んでいる、悪化しているってことだよね。
まあ、あの、「クラス全員で一人の生徒を自殺するところまでいじめぬく」なんていう最近はやりのいじめの手口を見ても、そんな気はするね。「いじめに参加しないと、自分がいじめのターゲットになる。それが怖いからいじめに加わる」なんていうのは、地獄そのものじゃないか。君の話だと、この世がだいぶ地獄化してきているということだけど、そういう学校現場こそ、あの世の「地獄界」がはっきり現われてる気がするな」
正太 「昔は大人にならないと起きなかったような悪霊憑依が、小さいうちから始まっているんだね。今は、十歳くらい、小学校の高学年から、地獄霊に憑依されだしているんだ。これが中学生や高校生になると、悪霊に憑依されているのはいっぱいいるんだよ。
とにかく、今くらい、家庭や学校教育のなかで「人間の正しい生き方を教える」ということ、倫理教育、道徳教育、宗教教育が必要なときはないんだね。
宗教教育なんていうと、日本人は「ペーっ」ていうかんじで拒否反応を示すけど、倫理や道徳の一番大きな源泉は宗教だし、宗教教育を全く行っていない国というのは、日本を除けば世界中で共産主義国くらいしかないんだね。日本人は、これをとても進んだ、文化的なことだと思っているんだけど、仏の目から見たら、神様の目から見たら、たいへん恥ずかしいことなんだよ。文明国の国民の目から見ても、とても恥ずかしいことなんだね。
たしかに、現代の日本では、人の心を狂わすような邪教の数は多いし、「戦前に国家神道にもとづいた教育をして、戦争をし、負けた。だから、宗教はよくない」という論理もあるかもしれないけど、そうした宗教アレルギーのようなものは払拭しなきゃいけないんだよ。
会社の中には、成功する会社もあれば、失敗して倒産する会社や、中には悪いことをする会社もあるかもしれないけど、だからといって「会社という存在そのものが悪い」という結論にはいかないよね。ところが、日本では、宗教に関してはそうなっているんだね」
勇二 「道徳教育だとか倫理教育なんて言っただけで風当たりが強いのに、宗教教育なんていったらスゴイ反発があるだろうね。ミッション系の学校とかならともかく、公立校ではね」
正太 「日本という国がなぜこうなっているかというと、その大本には、敗戦後、日本に進駐してきたアメリカをはじめとする連合国の占領政策があるんだね。彼らは、戦争中に体験した日本の強さというものが、とてもコワかったんだね。「これは何とか封じ込めなきゃいけない」と思ったんだ」
勇二 「神風特攻隊だとか、「なんでそんなことをするのか」やたら怖かった、っていうね」
正太 「だから、日本が二度と自分たちに戦いを挑んだりすることがないように、知恵を絞ったんだよ。
その方法の一つは「軍備を全廃すること」。これは当然だよね。軍隊がなければ歯向かいようがないからね(もっともその後、自衛隊ができたんだけど)。もう一つが何かというと、「精神性の部分を骨抜きにすること」だったんだね。彼らは、日本人が戦争中に発揮した強い精神力の背景には、戦前に、日本人の精神的な柱になっていた「国家神道」の存在があったことを突き止めていたんだ。だから、戦後の日本の針路を決めるに当たって、「この宗教の部分をどう取り去るか」ということに腐心したんだよ。
その結果が、(事実上、占領軍がこしらえた)憲法の中で「日本は軍隊を持たない、交戦権もない」という規定になったし、「国の行事として宗教活動をしちゃいけない、国はどんな宗教教育もしてはダメ」という規定になっていったんだね。だから、憲法に規定された宗教への扱いというのは、根本において「日本に対する善意ではないものに基づいていた」ということを認識しておく必要があるんだよ。
占領軍による、こうした「日本弱体化」を意図した宗教追放の政策と、「「天皇陛下のために」という国家神道の教育を受けて、ひどい目に合わされた」っていう「宗教はコリゴリ」という国民感情があいまって、戦後日本の宗教アレルギーが形成されていったんだね。戦後の宗教否定、あるいは無宗教礼賛の風潮は、第二次大戦における日本の敗戦がもたらした「負の遺産」というわけなんだ。これが霊的な目から見た真相なんだよ。
じゃあ、そういう連合国、って言うと古いけど(笑)、他の文明国はどうかというと、大統領が就任する際に、聖書に手をざして宣誓するアメリカを見てもわかるように、公的なものから宗教をすべて排除しているような国などないんだね。また、仏教国はもちろん、キリスト教国だって、カトリックであれプロテスタントであれ、子供の人格形成の基盤としてキリスト教的倫理に根ざした宗教教育を行っているわけなんだ。「教育において宗教は一切ご法度」という日本人の常識のほうが、世界の中では非常識なんだよ。だから、こうした偏見やトラウマは卒業しなきゃいけない性質のものなんだね。
特定の宗教となると、いろいろ支障がでてくるかもしれないけど、「他の人を慈しむ」「感謝の心を持つ」「悪いことを思ったり、行ったりしたら、しっかり反省する」ということは、正しい宗教のエッセンスだし、仏教やキリスト教のような世界宗教でも共通して説かれていることなんだね。だから、こうしたことを、子供たちにしっかり教えていくことは、できるはずなんだ。
まあ、「貪欲」というテーマからは、だいぶ話がそれたけど、いじめ問題や子供たちをめぐる霊的環境とかについては、いずれまた、じっくり話をすることにしよう」