死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

あの世に還ると、「照魔の鏡」に、自分の一生をすべて映し出される 

2008-06-08 | プロローグ
正太 「一つめは、通常のパターンだね。ほとんどの人は、死ぬといったん、あの世の収容所に連れて行かれて、そのあと天国と地獄に行き先が分かれるんだよ」

勇二 「ほーお」

正太 「昔から、人が亡くなると「お迎え」が来るっていうよね。実際、ほとんどの人は、そうした「導きの霊」に連れられて、四次元の「幽界」にある収容所へ行くんだ。
 そこで、自分の一生をスクリーンのようなものに映されるんだね。そのあと、「あの世のどういう世界に行って、どういう生活をするか」ということが決まるんだよ」

勇二 「そのスクリーンは、たしか「照魔(しょうま)の鏡」っていったね」

正太 「そう。この「照魔の鏡」に自分の過去を映されるときは、何一つ、ウソも言い訳もできないんだ。洗いざらい、本人が忘れていたことまで画面に出てくるんだよ。
 それも、行った行為だけじゃなくて、心の中で思ったことも丸映りになるんだ。たとえば、会社の上司を一生懸命ヨイショしていても、内心は「このヤロー、お前なんか仕事もできないくせに」なんて思っていたら、その思いが漫画のセリフみたいにパーッと出てきちゃうんだね。口から風船みたいのがプーっと出てきて、そこに言葉が書いてあるんだよ」

勇二 「えっ、そこまでご丁寧にやってくれるの(笑)。こりゃ、逃げ道なしだな。もう「お白州」に上がるようなもんだね」

正太 「そうなんだよ。しかも、この映画を上映するときは、自分より先に亡くなっている両親だとか、友人・知人、昔の学校の先生といった人たちが大勢見に来るんだ(ただし地獄に行ってる人は来れないんだけどね)。そうした人たちの前で、「自分はどういう人間なのか」「どんな生涯を送ったのか」ということが、全部明らかにされるんだよ。
 この世で生きている間は、人目はいくらでもごまかせるし、結構わからなくできるんだけど、「あの世へ行ったらすべて公開される」ということなんだ」

勇二 「昔、「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」って言葉を習ったけど、本当だったんだな。いいことも悪いことも、最後は全部バレちゃうわけだ」

正太 「たいていの人は、スクリーンを見ているうちに、だんだん自己評価ができてくるんだ。映画の上映が終わる頃には、「自分が天国に行けるような一生を送ったのかどうか」が、ほぼ判定できるんだよ。
 地獄へ行く人は、自分の過去を映されていくと、もう居ても立ってもいられなくなるんだね。足はガタガタ震え、顔から火が出るぐらい恥ずかしくなってきて、その場にいたたまれなくなるんだよ。上映が終わって幕が下りても、パラパラっとしか拍手が起きない。そして、顔を真っ赤にしてうつむいたまま、大勢の人たちの視線を感じて、自分が行くべきところを悟るわけなんだ。
 よく誤解されてるんだけど、地獄に行く人は、実際は、自分から進んで地獄に堕ちていくんだね。というのも、「自分がどういう人間であるか」がみんなにわかってしまったら、恥ずかしくて天国には住めないからなんだ(物理学的にいうと、霊的な波長が粗雑で、ほかの人の精妙な波長と合わないんだね)」

勇二 「そうかあ。「アイツ、心の中で、いつもあんな汚いこと思ってたのか」とか「人目のつかないところで、こんなことやってたのか」なんて、全部バレちゃったら、お手上げだろうしね。こっぱずかしくて、天国の仲間入りなんかできないわけだ。「どのツラ下げて天国に還れるか」って、感じなんだろうな」

正太 「もちろん、そのスクリーンを見てから天国に行ける人もいるんだよ。そのときは、両親だとか、友人・知人たちが来てくれて、「よかったね。よかったね」と喜んでくれるんだ。そして、「じゃあ、いっしょに行こうか」と、その人たちが住んでいる世界まで連れて行ってくれたりするんだよ。
 最初のうちは懐かしいから、昔の家族や友人といっしょの生活をしばらくしたりするんだけど、だんだんそぐわなくなってくるんだね。「昔は両親といっしょの家族団欒がとてもよかったのに、いまひとつ合わないな」っていう、何か合わない感じがしてくるんだよ。
 この「しっくりこない」という感じが、まさしくその人の霊格の問題で、それを低く感じるか、高く感じるかはその人次第なんだけど、そういう感じがしてくると、また次の導きの霊が来て、「じゃあ、次のところに連れて行こうか」となるんだね。こんな具合に、だんだんと元いた世界に移行していくんだよ」

勇二 「なんとか、そっちのコースに行きたいもんだなあ。
 ところで、今の話だと、「天国・地獄のどちらに行くか」は、閻魔大王が決めるわけじゃない、ってことになるよね」

正太 「そうなんだよ。あの世で、自分を裁くのは、実は自分の中にある「良心」なんだ。自分の中にある善なる心、「仏性(ぶっしょう)」が、自分の数十年の「思いと行い」を許すことができなくて地獄に行く、というのが真相なんだよ」

勇二 「自分の中の「良心」が自分を裁く…、ふーむ。てことは、閻魔様っていうのは存在しないわけ?」

正太 「閻魔様というか、審問官みたいな役割をしてる人が、いちおうその場にいることはいるんだ。上映が終わると、その人が「どうだった?」ということを聞いてくるんだね。
 地獄に行く人は、それこそ穴があったら入りたいような気持ちで、「ダメでしょうね」とか答えるんだけど、そうすると「あなたは一応、こういう予定になっているから、ここへおいでなさい。このコースを進みなさい」と、道が示されるんだよ。
 これも、コース別に、ダストシュートのような穴にストーンと落ちたり、洞窟みたいなところを歩いて下りたりするんだけど、そうやって地獄での生活がスタートするわけなんだ(これも、客観的な目で見たら、一つのエネルギー体が、自分の波長とピッタリ合う世界へ移動していくだけなんだけどね)。
 これが地獄に行く場合の、一般的なパターンだね。つまり、生前を反省するチャンスが与えられて、「自分の人生は落第点だった」「自分の魂にとって必要な学習は何なのか」ということを確認させられた上で、「それにふさわしい修行場に行く」ということなんだ」

勇二 「いやあ、改めて聞くと、やっぱり厳しいな。でも、今の時代は、半分以上の人がそんなことになっちゃってるわけだよね。
 これなんか、「天国・地獄なんて、昔のホラ話だ」と思ってる人が多いことと、相当関係があるんじゃないの?」

正太 「そうなんだよ。「あの世なんかない」とか「善い生き方をすれば天国に行けるなんて、子供だましのたわ言だ」とか、そうしたことを言う人が常識人とされてるような世の中は、とても危険なんだよ」

勇二 「「無明」が当たり前になっちゃってるわけだからね」

正太 「だから「死んだら、自分の一生をみんなの前で映される」―このことを、普段から言い聞かせておくだけでも、全然違ってくるんだよ。
 だいたい、悪いことっていうのは、「誰も知らない」と思ってるからできるんだね。「最初から全部バレてる」「心の中まで丸見えだ」とわかっていれば、できなくなってくるものなんだ」

勇二 「全部バレバレじゃあ、ぐうの音も出ないよね。昔の人は、「神様が全部見てるから、誰もいない所でも、悪いことをしちゃいけないよ」って言ってたけど、本当だったんだな。」

正太 「「今、思ってること、やってることは、あの世に還ったとき、スクリーンに全部出てくるんだな」と思って生活していれば、そんなに悪いことはできないし、反省の土台になるんだよ」

勇二 「そうだよね」

正太 「地獄に堕ちる原因は「執着」だってことは、これまで何度も話してきたよね。じゃあ「自分の執着は大きいのか、小さいのか」を知りたいと思ったら、「自分のその日一日をスクリーンに映されて、どう感じるか」をチェックしてみればいいんだね。
 朝から晩までの間に、行ったこと、心の中で思ったことを、全部スクリーンに映されたとして、人々の視線に耐えられるかどうか。耐えられるようなら、その人は、心の中がだいぶきれいになっているんだ。執着が少ないといえるんだよ」

勇二 「なるほど。こりゃ、わかりやすいね」

正太 「心の中を全部映されても平気な人っていうのは、悪いことを思ったとしても、「すぐに反省ができるタイプ」の人なんだ。実際、あの世の上映会でも「あっ、いけない。悪いことをしたな」っていう反省のシーンが映ると、本人もホッとするし、見てるほうの観客も「ほお、感心なところがあるんだな」と思うんだね。
 ところが、そういうシーンが全然出てこなくて、心の中で腹黒いことばかり考えていたり、「誰も見てないからいいだろう」なんて、人に見せられないようなやましいことをしてるシーンが次々に出てくると、映されるほうは耐えられなくなってくるんだよ」

勇二 「だろうなあ」

正太 「だから、自分の今日一日、あるいはこれまでの人生をスクリーンに映されたとして、「ヤバい」「恥ずかしい」「隠したい」と思うシーンが多ければ多いほど、その人は「地獄的な生き方をしてきた」ということなんだね。これは、わりとチェックしやすい基準なんだよ。
 厚かましくて平気な人は別だけど、普通の感性を持っている人で、「心の中を全部公開されたら困る」という人は、きわめて危険な領域に入っていると言わざるをえないんだ」

勇二 「なるほどな。天国・地獄の境目を、「犯罪をやった人は地獄へ行き、犯罪をやらなかった人は天国へ行く」みたいに考えてる人が多いけど、そんな二分法じゃないわけだ。
 実際は、自分の中にある「良心」に反する「思いと行い(動機と行動)」が多かった人は、地獄に行かざるをえないわけだ。言い換えれば、心の中を全部他人に見られたとして、「恥ずかしい」「隠したい」っていう記録の多かった人は地獄に行く、ってことなんだな。心が透き通しで、何もかも見通されたら、恥ずかしくてとても人前に出られないような生き方をしていた人が、地獄へ行くわけだ」

正太 「そうなんだよ。「こういうことを心の中で考えてるシーンを見られたら恥ずかしいけど、こういうことを考えているシーンは誇らしく思う」っていう判断の基準が、一人ひとりの心の中に、ちゃんと入ってるんだね。
 そうした「判断のモノサシ」が、「良心」とか「仏性」と呼ばれるものなんだ(この良心がどれだけ目覚めているかは、人によって程度の差があるんだけど、全く同じものがすべての人に入っているんだよ)。
 なぜかというと、(「分霊(わけみたま)」という言葉が神道にもあるように)人間の「魂」というものが、もともと大宇宙を創った神様から分かれて来たものだからなんだ。元をたどると、根本の仏から枝分かれしてきたものだから、「その本質において、根本の仏と全く同一のものを持っている」ということなんだよ。
これが魂の真実なんだ。―このへんについては、いずれ詳しく話そうと思うけど」 

勇二「ふーむ。それが「人間は神の子(仏の子)」っていう言葉の意味なんだな。
まあ、でも、天国に還るためには、「公明正大」っていうか、「誰から見られても恥ずかしくない生き方をする」ってことだよね」

勇二 「そのとおり。だから、あの世に還っていちばんトクするのは「ガラス張りの心」で生きた人なんだね。裏表がなくて、生地のままで善い心、美しい心で生きてきた人なんだ。
 というのも、あの世の世界というのが、そもそも「ガラス張りの世界」だからなんだね。思っていること、考えていることが、他人から全部丸見えで、何一つ隠し立てができない世界なんだよ。」

勇二 「そうした「ガラス張り」の天国で暮らしていたときのような、善い心、美しい心でもって、どこまでこの世の人生を生ききれるか ― これが試されるわけだよね」

正太 「そう。だから「テスト会場」であるこの世で生きていたときに、「他人には、どうせわかりゃしない」と思って、心の中で醜いことばかりを考えていた人は、あの世に還ったとき、天国に居場所がなくなるんだね。
 それどころか、「心の借金」が山のように積み上がっていた事実に気づくんだ。その額の大きさに、あの世で呆れ返っちゃう人が多いんだよ」

勇二 「まさか「心の中で思っていたことの中身が問題になる」なんて、夢にも考えなかったんだろうな。
 ポイントは、「全部が丸見えだ」ってことを念頭において、生きていくことだよね。一日を反省するときも、思ったこと、行ったことをスクリーンに映されたとして、「こりゃ恥ずかしい」「このシーンはみんなには見せられない」と思う部分を反省していけばいいわけだ。これならわかりやすいよね。
 ところで、地獄にいる人っていうのは、そんなふうに、自分の悪かった点を確認させられた上で行ってるわけだよね。なのに、さっきの話だと、天使(菩薩)が一から説教しなくちゃいけないくらい、わからなくなってるわけ?」

正太 「そう。これはなぜかというと、長い間、地獄にいるうちに、そのときのことを忘れちゃってる人が多いからなんだ。地獄に行く時点では「今の自分じゃ、とても天国の住人にはなれない。まだまだ修行が必要だ」と思って行くんだけど、苦しい地獄の世界で七転八倒しているうちに、「自分は納得した上で、この世界に来たんだ」という事実を忘れちゃうんだよ。
 地獄に足を踏み入れると、そこはもう「がーん」という感じの世界で、ショックで口もきけないような状態になるんだけど、そうした地獄での生活がいざ始まると、「なんで自分がこんな目に合わされなきゃいけないんだ」って気持ちになるんだね。
 だから、地獄にきたばかりの人ほど、「悪い、悪い」とさかんに言っているんだよ。「あいつが悪かったからだ」とか「あいつのせいでこうなった」「貧乏な家に生まれたから、こんなことになったんだ」とか、家族から始まって、友人・知人、親類縁者、それから世間の人たち、神、仏…。そうしたもの全部を恨む気持ちになっているんだ。
 何年か何十年か、人によって差があるんだけど、こうした段階をひととおり経過してからでないと、なかなか自分を振り返るような心境にまでならないんだね」

勇二 「ふーむ。その、「自分のことを振り返り出すキッカケ」というのが、「自分とソックリな周囲の人間たちを見続けているうちに、自分の姿に嫌気がさす」ってことなんだよね」

正太 「そう。結局、地獄に堕ちてる人っていうのは、生前に真理を知らなかった人がほとんどなんだけど、死んで地獄に堕ちてからも、やっぱり「真理を知らない」ままなんだね。相変わらず「真理がわからない」状態のままなんだよ。
 地獄に行くときは、「反省文」を書いたり、いろんなレクチャーも受けたりするんだけど、たいてい地獄の世界に来たとたん、不幸感覚で圧倒されて、怨みつらみで心がいっぱいになっちゃうんだね。
 地獄っていうのは、たとえて言えば、虫歯の痛みで転げまわってるような、あるいは、麻酔なしでメスを入れられてるような苦しい世界なんだけど、そうした所に長い間いると、地獄に来る前に経験したことだとか、ちょっと聞いた説明なんかは、もうどこかに飛んじゃってるわけなんだ。
 それに、(「地獄に仏」じゃないけど)広大無辺な地獄の世界で、運よく救助チームの菩薩と出会って話を聞いたりしても、反発するような人が多いんだね。中には、さっき言ったように「そうだったのか」ってハッとする人もいるんだけど、聞く耳さえ持たないような人が少なくないんだよ」

勇二 「ふーむ」

正太 「いろいろ説明しても、「そんなことはない。自分は悪くない!」って、強硬に反論してくるんだね。あるいは「これが俺なんだ。こういう俺を改めるってことは、俺が俺でなくなることなんだ。そんなことできるかーっ」て(笑)、猛然と食ってかかってくる人もいるんだよ」

勇二 「そうかあ。菩薩様もたいへんなんだな。天使の仕事も楽じゃないね」

正太 「結局、「車は急に止まれない」と同じで、生前に、それが「間違った心だ」ということを知らないまま突っ走って生きてきた人が、死んであの世にきたら急に変わるかというと、なかなか変わらないんだね。「慣性の法則」というのが働いて、やっぱり生前の心の傾向性のまま走っていこうとするんだよ。
 でも、そうした性格、心の傾向性をつくったのは、その人自身の責任になるんだ。「人格形成の責任」というものが厳然としてあって、「そうした心の習慣、心の癖をつくったのは、ほかならぬその人自身である」ということが認定されて、誰一人そこから逃れることはできないんだよ」

勇二 「どんな性格をつくったとしても、それは「自己責任」だってことだよね。
 結局、地獄っていうのは、そうした人同士を集めて、教育する世界なんだよね。すぐにカッとなる人は、すぐにカッとなる人ばかりの世界に行って、互いにとことん傷つけあうわけだ。そうした苦しい体験をとおして、自分の間違いを勉強させられるんだね。
 色欲に翻弄されて生きた人は、色欲に翻弄されて生きた人同士。愚痴ばかり言ってた人は、愚痴ばかり言ってた人同士。ウソつきはウソつき同士の世界に行って、お互いにお互いを見て、嫌になるまで自分の醜さみたいなものを味わうわけだ」

正太 「そう。仏教には「冷暖自知せよ」っていう言葉があるけど、地獄というのはそうした世界なんだ。「実体験して悟っていきなさい」という世界なんだね。これは、最後の手段ではあるんだけど、こうした苦しい経験も、長い目で見れば、本人を正しい道に入らせ、進化に導くための砥石の役割を果たしていることは事実なんだよ。
 だから、地獄という修行場では、他人の力がなくても、いずれは自分で気づいて修正していけるようになってはいるんだけど、だからといって「地獄をそのままにしておいていい」というわけではないんだ。
 その間、苦しみは苦しみとしてあるから、その苦しみから脱するために、真理を教えてあげて、本人がいち早く間違いに気づけるよう指導していくのが仏の心に適ったことなんだね。実際、天使や菩薩というのは、そうした努力をしているんだよ」

勇二 「なるほどな。でも「地獄には、死んだことさえわからない人が少なくない」っていうのは、どういうことなの?」

正太 「これは、地獄だけじゃなくて、そもそも(地獄を含めた)四次元幽界という世界じたいが、「自分が死んだということについて、十分にはわかっていない人たち」のいるところなんだね。「自分は肉体じゃなくて霊なんだ」「ここは、この世じゃなくてあの世なんだ」っていう「霊と肉体」「あの世とこの世」の違いが、まだいまひとつピンときてない人たちがいる世界なんだよ。
 天国に還ることができて、幽界上段階の精霊界にやってきた人も、最初のうちは「ここは、あの世の世界なんだ」という証拠をいろいろ見せられてビックリするんだ。ただ、この世界では、(気分だけなんだけど)三度の食事をしている人がいることからもわかるように、地上とほとんど変わらない生活が展開されているんだね。だから、この世界に慣れちゃうと、「自分が肉体なのかそうでないのか」「この世なのかあの世なのか」ということが、はっきり区別できていないような意識で暮らしている人が多いんだよ。
 四次元の幽界という世界は、天国部分でさえこんなだから、地獄はなおさらなんだね。あの世にいるというよりも「苦しい世界に来て、厳しい目に合わされてる」っていう意識の人が多いんだよ。
 それと、「知らないづくし」の地獄霊の中には、これとは別のパターンで地獄に来ている人もいるんだね」

勇二 「ああ、地獄に行く場合、二通りのパターンがある、って言ってたね。もう一つのパターンはどんななの?」

正太 「数はそんなに多くないんだけど、死んだとたん、地獄へストーンと堕ちちゃう人がいるんだよ」

勇二 「えーっ! 死んだら、即、地獄行きってこと?」