Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

何度目?

2006年02月19日 22時59分09秒 | 日記、雑感
またまた風邪を引いてしまいました。もう、この冬何度目か分かりません。
インフルエンザにいくつも型があることは有名ですが、(だからワクチンは当て
にならないわけです。もっとも、それだけにとどまらず強い副作用の懸念もある
ので、私はワクチンに反対しています。)夏風邪の一種で子どもたちの間で
よく流行る、手足口病も原因となるウィルスが3種類くらいあるそうです。咳や
喉の痛み・くしゃみ・鼻水・熱などの症状が出ると、十把ひとからげに「風邪」
と呼んでますが、本当はいろんな病気があって、その原因も様々なんでしょう
ね。だから「一度引いたら免疫ができるから、もう大丈夫」とはいきません。
でも、最近は引き過ぎだなぁ。体の抵抗力が落ちてるのかな。夜更かしの
し過ぎかも。
だから今日は、布団の中からPHSでの書き込みです。もう寝ます。


「日韓論争」に一石

2006年02月18日 23時26分51秒 | 時事・社会
保護領化、銃剣で強制=ロシアで新資料-1905年の日韓協約

【モスクワ16日時事】日露戦争後、日本が韓国の外交権を奪い、朝鮮半島
併合につながった1905年11月の第2次日韓協約は、日本が銃剣の圧力に
より強制したもので、韓国外相のなつ印を日本側が代行したとするロシア
情報機関の機密公電がモスクワの帝国外交資料館で見つかった。
過去の日韓論争では、韓国側が日韓協約は非合法で無効と主張、日本側
は当時の国際法では合法的で有効だとして対立したが、第三国による観察
は論争に一石を投じる可能性がある。この公電はロシアの歴史学者、
ドミトリー・パブロフ無線・電子工科大教授の調査で発見された。
ソウルからの情報を基に、上海の情報拠点からロシア外務省に送られた
公電(05年11月24日付)は、11月17日の協約締結の状況について「14日
から日本軍の多くの歩兵部隊、騎兵隊、砲兵隊が邦人保護を口実に昼夜
ソウルの路上にあふれ、宮殿を包囲した」「伊藤博文特使は将軍や部隊を
引き連れて宮殿に乗り込んだ」と伝えた。
17日の締結に関しては「韓国閣僚が署名に抵抗したため、日本側は強権を
発動。朴斉純外相の自宅に憲兵隊を送り、用意した条約文に署名を強要し
たが、外相が拒むので、日本側が自らなつ印した。伊藤特使は『これで保護
領協定が締結されたと見なす』と宣言した」「高宗皇帝は『条約を認めるなら、
死んだ方がましだ』として拒んだが、日本の憲兵隊は宮殿内にもあふれ、
抵抗できない状況に追い込まれた」としている。 
                       (時事通信) - 2月17日7時1分更新


日露戦争が終わったのが1905年9月5日ですから、終戦直後なのですね。
「竹島併合」は戦争遂行上の必要からなされたようですが、一連の流れの
中で「対露勝利」をてこに一気に事を進めたのでしょう。
(もっとも日露戦争が本当に日本の「勝利」だったかは疑問ですが。)
朝鮮半島の覇権を争った相手の情報ですし、ロシアのスパイが調印の場に
同席できる筈はなく「又聞き」でしょうから、真偽のほどは何とも言えません
が、こうした情報が存在したということ自体、「朝鮮人も日本による統治を
望んでいた」とか「国際社会も韓国併合を認めていた」などという、歴史を
「修正」しようとする人々の主張を突き崩すものといえるでしょう。
こういう「新事実」が出てきたことについて、「後世が明らかにしてくれる」と
歴史認識を明確にすることを避けてきた人たちは何と答えるのでしょうか。

うさぎ! その2

2006年02月17日 23時39分42秒 | 趣味
『子どもと昔話』に連載中の小沢健二の小説「うさぎ!」の第2話を
読みました。
第1話は「大人の童話」という感じでしたが、第2話になると何だか
急に話がリアルになって、子ども向けの「よくわかる世界の矛盾」
みたいな内容でした。しかし日本にいない筈なのに、「小泉改革」
を痛烈に批判してる辺り、さすがだなぁと感心してしまいます。
今回、きららという女の子と、うさぎという男の子が登場します。
どうやらタイトルの「うさぎ!」は、この男の子の名前のようです。
長編にするつもりが無くて先を急いでるのかも知れませんが、この
うさぎくんが出てくるなり、「灰色」のことも社会の矛盾もほとんど
お見通しという展開には、ちょっと途惑ってしまいました。それを
だんだん暴いていく冒険譚かと思ってましたので・・・。
「自由鳥への手紙」という手法は、かつての名曲の中にしばしば
「手紙」が出てきたのを思い出させてくれて、嬉しくなりました。
余談ですが、私が一番好きな彼の曲「天使たちのシーン」にも、
「当ての無い手紙 書き続ける彼女を守るように 僕はこっそり祈る」
というフレーズがあります。
さてさて、次回は4月。その前に、アルバムはちゃんと出てくれる
のでしょうか?

心の問題? その3

2006年02月16日 15時26分05秒 | 時事・社会
憲法第20条「信教の自由」は何故、第19条「思想・良心の自由」とは
別に独立した項目として設けられているのでしょうか。
前回、「戦争遂行の精神的支柱となった国家神道=国家による宗教
統制から国民を解放するために設けられた」と書きました。これはこれ
で大変重要なことで、日本が今後も国際社会において「平和国家」を
標榜して歩んでいくつもりならば、過去の歴史の総括であるこの条文
を外すわけには行きません。
しかしこの条文の意味するところは、それだけに留まりません。

フリー百科事典『ウィキペディア』には「信教の自由」をこう定義づけて
あります。
1.個人が自由に好むところの宗教を信仰し、内面の平穏を保つ権利。
2.そもそも宗教を信仰するかしないかを自由に決める権利。
3.特定の宗教を信仰していたり、していなかったりすることによって、
 いわれのない差別を受けることのない権利。
4.上記の権利を確保するために、国家が特定の宗教について信仰の
 強制・弾圧・過度の推奨などを行う事を禁ずる制度を構築すること。
5.4について、特に政教分離を行うこと。
日本国憲法第20条のモデルとなったアメリカ合衆国憲法修正第1条
は、「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を
禁止する法律、または言論あるいは出版の自由を制限し、または
人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する
権利を侵す法律を制定してはならない」となっています。
欧州17世紀における市民革命の多くが宗教的自由の獲得・擁護を
背景とする性格をも持っていたこともありますが、ここにはキリスト教
的人間観・世界観が反映されています。
まず第一に、王権神授説だろうと社会契約説だろうと、国家もまた
神の被造物であるということです。それゆえに国家は人と神の間に
立つことはできません。古代イスラエルは「政教一致」だと言われ
ますが、王(政治)と祭司(宗教)は明確に区別されていましたし、
「さばきつかさ(士師)」の流れを汲む預言者は在野の個人でした。
聖書は、政治が宗教を利用することを認めてはいません。
第二に、「救いはイエス=キリストを救い主と信じる信仰によってのみ
与えられる」ものであるから、それ以上のものを国家が要求すること
は認められません。
そして第三に、自由は神が与えたものであるという理解です。

こう書くと、「日本はキリスト教国ではないから、私はクリスチャンで
はないから、そのような条文は要らない(認めない)」という人も出て
くるでしょう。しかしこれは、欧米社会ではごく一般的な認識です。
共産主義国やイスラム国は別ですが。西側諸国の一員を自認し、
「自由」を広めるために戦争までする国の「盟友」でありながら、
その「自由」を受け入れないのはちょっと虫が良すぎる気がします。
それに、伝統・文化でも悪いものは排除し、良いものは外からでも
積極的に取り入れるのが、本来の文化のあり方ではないでしょうか。
最近、「文明の衝突」ということが盛んに言われ、「寛容な国・日本」
などという自己宣伝もまかり通ってますが、敗戦後こそ米国の陰に
隠れておとなしくしてますが、それまで「衝突」を繰り返してきたのは
どこの国でしたっけ? またそれを止められなかった伝統文化・宗教
の責任はどうなんですかね?(キリスト教会の責任も否定しません。)
だから「信教の自由」は欠かせないのです。
決して「お国のために死んだ者たち」を祀るためではないのです。

歴史をどう伝えるか

2006年02月15日 15時50分43秒 | 日記、雑感
ゴシップ的な記事は書かないようにしていますが、ちょっと興味深い
話を小耳に挟んだので。

14日の読売ジャイアンツのキャンプに、OBの金田正一氏と広岡達朗
氏が視察に訪れた際、原監督が近くを通りかかった3年目の左腕・
内海哲也投手に「この人、誰か知っているか?」と訪ねると、内海は
「金村さんです」と名前を間違え、慌てた監督が助け舟を出すつもり
で「何勝したんだ?」と聞くと、今度は「300何勝ですよね」と答えた
とか。
さすがのカネやんもこれには唖然とし、顔面蒼白の原監督は「教育し
直します」と言うや否や、内海の頭をポカリとやったそうですが、激怒
した広岡氏が2軍練習を中断させてナインを一喝、「巨人軍の歴史」
を説いて聞かせたのだそうです。

400勝投手のカネやんは、確かに球史に残る人物ですが、野球好き
だからって野球のことは何でも知ってるわけじゃないですよね。
プロだったら自分の球団の歴史ぐらい知っておけ、と言うのも一理
ありますが、自分の会社の概要や沿革を知らない社員も少なくない
世の中ですし、まして内海投手は23歳。生まれた時にはONも引退
していた世代ですからね。
それより、金田氏は国鉄スワローズのエースとして「300何勝」した
人で、晩年400勝を達成するためだけにジャイアンツに移籍したよう
な人です。そんなんで「OB」として持ち上げるのも何だかね、という
気がします。同じ移籍組で、ジャイアンツでの実績は上でも、野手で
しかも在日の被爆者であるため疎外されている張本勲氏と扱いが
違いません?

それはともかく、この一件を採り上げても「歴史」とか「伝統」の継承
は大変難しいことが分かります。ジャイアンツという「官製」「体制側」
の歴史においてさえ、こうですからね。

ちょっとひと休み

2006年02月14日 23時53分26秒 | キリスト教
今日は書くことをじっくり考える時間が取れなかったので、
神学者のマルティン=ニーメラーの言葉を引用してお茶を
濁したいと思います。
明日と明後日は仕事が早く終わる予定なので、「心の
問題」シリーズの続きを書きますね。
一応、このニーメラーの言葉は、今後書こうと思ってること
とつながってるはずですので、予告編だと思って下さい。

ナチが共産主義者を襲ったとき,
自分はやや不安になった.
けれども結局自分は共産主義者ではなかったので
何もしなかった.
それからナチは社会主義者を攻撃した.
自分の不安はやや増大した.
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった.
そこでやはり何もしなかった.
それから学校が,新聞が,ユダヤ教徒が,
というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり,
そのたびに自分の不安は増したが,
なおも何事も行わなかった.
さてそれからナチは教会を攻撃した.
私は教会の人間であった.
そこで自分は何事かをした.
しかし,そのときにはすでに手遅れであった.
                (マルティン=ニーメラー)


心の問題? その2

2006年02月13日 19時54分11秒 | 時事・社会
靖国参拝について小泉首相はしばしば、「小泉にも思想信条の自由、
表現の自由はある」と反論しています。
これを聞いて私は、この人は本当に憲法についても権利についても
全く理解してない人なんだな、と呆れたものですが、この点への明確
な批判にはあまりお目にかかっていません。

「思想・良心の自由」は憲法第19条、「表現の自由」は第21条です。
小泉首相はなぜ、肝心の第20条「信教の自由」を持ち出さないので
しょうか? 「靖国訴訟」において政教分離規定(20条3項)違反を
指摘する判決が出ているので、わざと避けたのでしょうか。それとも
「靖国参拝は宗教行為ではない」と考えているのでしょうか。
「思想・良心の自由」「表現の自由」はいずれも、主として政治的な
権利の保障です。権力者に都合の悪い思想を持つこと、主張をする
ことも認める(弾圧させない)というのが本旨です。もちろんそれだけ
に留まらず、もっと幅広い権利として解釈されていますが、いずれに
せよ、靖国神社参拝がこれらの権利の行使に当たるという主張には
相当無理があります。
小泉首相が意識して(自覚して)避けているのかどうか分かりません
が、日本国憲法の第20条は、単なる権利規定としてだけではなく、
戦争遂行の精神的支柱となった国家神道=国家による宗教統制
から国民を解放するために設けられた条文でもあります。ですから、
たとえ靖国が一宗教法人となり、首相も一個人であると強弁しても、
靖国と政治の蜜月(癒着?)は、憲法の意図するところからは遠い
と言わざるを得ませんし、中韓両国のみならず、アジア各国にも、
米国にも、そして国内の他の宗教の信者にも不快感と警戒心を
抱かせる行為なのです。

また、憲法とは、国民の権利を守るために、国民が国家権力に守ら
せるものです。ここでいう権利とは「少数者=弱者」の権利です。
なぜなら、民主主義社会における権力者は多数者の代表であり、
多数者=強者の権利はわざわざ保障しなくても守られるからです。
もちろん首相も一国民ではありましょう。しかし公的立場にある者の
公私の峻別は極めて困難です。しかも小泉首相自身、公務の合間
に(休暇を取ってではない)、公用車で護衛付きで参拝し、わざわざ
「内閣総理大臣」と肩書き付きで記帳するなど、せめて私人らしく
見せる努力すら怠っているとしか思えません。(それらをやれば認め
られるってわけじゃないですけど。)
そういえば、小泉首相も加わってたかどうかは定かでありませんが、
「ニュースステーション」の久米宏を自民党は目の敵にしてました
よね。あれこそ「思想・良心の自由」「表現の自由」の侵害だと思う
のですが、首相はそのことを反省しているのでしょうか。

心の問題?

2006年02月12日 01時44分22秒 | 時事・社会
小泉首相が「靖国参拝は心の問題」と繰り返すたびに違和感を覚えます。
一つは、多くの人が指摘していますが、彼自身が'01年の総裁選で8月
15日の靖国神社参拝を公約にし、遺族会などを支持基盤としていた橋本
元首相を破ったことに顕著に表われている通り、この問題は政治的要素
を多分に含んだものであるからです。
また、「公人」と「私人」とはそう簡単に峻別できるものではない、という
問題もあります。本人の意識に関わらず、見ている他者がどう受け取るか
というのが大きいですから。「私人」であれば普段言ってることとは違う
「個人的見解」を好き勝手言っても何ら責任を問われないなんてことは
無いですよね?
さらに、首相をはじめ政治家のセンセイ方がこの「心の問題」という言葉を
どういう意味で使っているのか?と考えた時に連想したのが、不祥事や
疑惑が持ち上がるたびに連発される、一つの言葉です。
「政治家の出処進退は、自分で決めることですから。」
一見正論のようですが、総理・党総裁としての見解や責任を問われた時
にもこの言葉しか語らないのは、公的立場にある者の責任問題を本人の
自覚や倫理観の問題にすり替えてごまかす、無責任な態度です。
不祥事や疑惑も「心の問題」なら、彼がこだわる靖国参拝もその類のこと
と捉えることすら可能になります。
そして決定的な点は、「心の問題」であるならば個人の自由であるはず
にも関わらず、「一国の総理が国のために命を捧げた人達に感謝と哀悼
の意を表すのは当然」「日本人ならば自然な感情」だと言わんばかりの
発言を、彼自身も周りの人間も繰り返していることです。
つい先日(1日)も国会で、「それ(中韓両国の批判)に同調する日本人が
大勢いる。私は理解できない」と答弁しています。
靖国については無知で、首相になるまで一度も参拝しなかった人だから
仕方の無いことかも知れませんが、この答弁は全くの事実誤認です。
中韓両国が靖国参拝への抗議を公式に行なったのは'85年が最初です
(と言っても、それまで容認していたのを転換したのではなく、我慢の
限界を超えた、ということです)が、それ以前から国内では靖国を問う
声は少なからずありました。だから、政府・自民党による靖国神社国家
護持の目論見は何度も阻まれてきたのです。外国からの批判をかわす
方便ではなく実際に、ずっと以前から「国内問題」として存在しているの
です。それを無視して、首相の胸三寸で済ませられるような事柄では
ありません。

信教の自由を守る日

2006年02月11日 23時52分48秒 | 時事・社会
2月11日は「建国記念の日」です。「建国記念日」ではない、とのこと
ですが、それならばなぜ2月11日でなければならないのか、はなはだ
疑問です。
まあ、キリスト教会も元は異教徒の祭にも由来する「クリスマス」を
キリスト降誕を祝う日としていますが、昨年12月22日記事「冬至」
書いた通り、それは異文化のキリスト教的再解釈を経てのことです。
「建国神話」の一解釈(しかも計算の正確性にも疑問符が付く)に
基づくかつての「紀元節」を取り入れるのならば、それが「民主国家」
においてどう位置づけできるのか、政府は明確に示す必要があります。
「紀元節」の復活ではない、と強弁するだけでは説明になりません。
現憲法は形式上明治憲法の「改正」であり、明治憲法の制定をもって
「建国」とする、という考え方も一応できるかも知れませんが、1889年
2月11日は公布日であって施行は翌年11月29日なんですよね。
現在の「憲法記念日」が施行日の5月3日であることからすると、この
説は成り立ちません。
そういえば、明治憲法も、現憲法に取って代わられるまでの57年間、
一度も改正されてないんですよね。「欽定憲法」を議会が変えるのは
恐れ多い、というのもあったのかも知れませんが、日本人自らが明治
憲法を「不磨の大典」にして後生大事に持ち続けた歴史を批判する
こと無しに、現在の護憲思想を批判するのは自己矛盾かと思います。
話が大きく逸れましたが、形式上は明治憲法の「改正」でも、実質は
全く新しい憲法の「制定」(人によっては「革命」とまで言います)です
から、いずれにせよ憲法や政治体制との絡みでは、2月11日は全く
根拠を持ちません。
強いて挙げるならば、日本人の好きな「伝統」ということでしょうか。
しかしその「伝統」も本当に古来のものではなく、明治政府が天皇の
威を借りて国民を統治するために創り上げたものに過ぎません。
そして「天孫降臨」神話に基づく国家神道=靖国・護国神社体制が
国民の思想・表現・信教の自由を奪い、戦争遂行の原動力となり、
最後には「亡国」に導いた歴史を省みる時、その安易な復活は厳に
慎むべきだと言わざるを得ません。
キリスト教会は2月11日を「信教の自由を守る日」と定めています。
かつて国家の宗教への介入・支配に屈し、「神道は宗教に非ず」と
いう詭弁を受け入れて国内はもとよりアジア各国の信者に強要し、
戦争に進んで協力した歴史への反省を込めて。

怪獣音楽

2006年02月10日 23時26分24秒 | 音楽
今日は通勤時のBGMに『怪獣行進曲』をかけました。
「怪獣音楽」なんてジャンルはありませんが、伊福部昭氏には
そんな呼び名がぴったりな気がします。
もちろん、彼が日本を代表するクラシック作曲家であることも、
怪獣物以外の映画でも数々の名作を手がけたこともよく知って
います。でも『ゴジラ』をはじめとする怪獣映画での功績こそ
彼を彼たらしめたというか、彼以外には誰もなし得なかったで
あろうと思います。
東宝特撮ではもう一人、佐藤勝氏も忘れてはいけませんが、
伊福部氏の『ゴジラ』での成功がなければ彼の仕事も無かった
でしょう。
最近では『ゴジラvsビオランテ』のすぎやまこういち氏が結構
よかったのですが、1作限りだったのが残念です。

伊福部氏のクラシック作品は、「タプカーラ交響曲」などを収めた
『管弦楽選曲集』と、「日本狂詩曲」や「土俗的三連歌」などを
収めた『交響作品集』の2本のテープを持っています。
あとは『怪獣行進曲』をはじめ東宝特撮物のCDが4枚ほどです。
なにせ多趣味(浮気者)なもので、伊福部氏のコレクションまで
は手が回りませんでした。
追悼アルバム出るのかな?そしたら買わなきゃ。

『ゴジラ』の生みの親、東宝の田中友幸プロデューサーが、
「怪獣という『嘘』を本当らしく見せるためには、本物の音楽が
できる人でなくては駄目だ」と伊福部氏を口説き落としたと
伝えられていますが、「ゲテモノ」「子供向け」だからといって
手を抜かず、日本映画史に残る名作に仕上げたその心意気と
力量は本当に素晴らしいと思います。(それを見抜いた田中
プロデューサーもですが。)
ちなみに『ゴジラ』は、ヒットはしましたが公開当時は各方面
からボロクソに酷評されてました。日本初の怪獣映画であり、
自衛隊が発足し、経済白書に「もはや戦後ではない」と書か
れた時代の転換期でしたから、評価が難しかったこともある
でしょうが、『東京物語』や『七人の侍』『羅生門』など、日本
映画を代表するような名作が次々作られていた時代であり、
みんな目が肥えていたから『ゴジラ』が駄作に見えたんだろう
な、と思います。

伊福部氏の「怪獣音楽」の基本は、「ライトモチーフ」と呼ばれ
る怪獣の「テーマ曲」です。ファンには「ゴジラの恐怖」として
知られる曲をはじめ、それぞれの怪獣を表現する曲があり、
それに対抗する人類側のマーチがあって、その組み合わせ
で作品が展開していきます。「ゴジラの恐怖」は『キングコング
対ゴジラ』のメインテーマとされていますが実は第一作の中で
既に使われています。『怪獣大戦争』のマーチもそうです。
同じ曲をしつこいくらい繰り返し、音楽と怪獣を一体化させて
観客にイメージを植え付けていきます。
その音楽は、迫力と同時に温かみのあるオーケストラ演奏
です。
彼は単にクラシックをやっていたというだけではなく、北海道
に生まれ育ち、森林事務所に勤めるなど、大自然に囲まれ
向き合っていました。そこで育まれた感性、そして音楽表現
が「怪獣音楽」にも遺憾なく発揮されているのです。
しかも彼は、広いスタジオにオーケストラを配し、スクリーンに
ラッシュ(編集前の映像)を映しながら演奏・録音するという
昔ながらのスタイルを晩年まで貫き通しました。「効果音」で
はなく「音楽」だということにこだわり続けた方でした。
だから「平成ゴジラシリーズ」でも、往年と変わらぬ伊福部節
を堪能することができました。

『ファイナル ウォーズ』は散々な出来でしたから、もう一度
原点に回帰した、ラストに相応しい作品を作って、伊福部氏
に音楽を担当してほしかったのですが・・・本当に残念です。