Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

信教の自由を守る日

2006年02月11日 23時52分48秒 | 時事・社会
2月11日は「建国記念の日」です。「建国記念日」ではない、とのこと
ですが、それならばなぜ2月11日でなければならないのか、はなはだ
疑問です。
まあ、キリスト教会も元は異教徒の祭にも由来する「クリスマス」を
キリスト降誕を祝う日としていますが、昨年12月22日記事「冬至」
書いた通り、それは異文化のキリスト教的再解釈を経てのことです。
「建国神話」の一解釈(しかも計算の正確性にも疑問符が付く)に
基づくかつての「紀元節」を取り入れるのならば、それが「民主国家」
においてどう位置づけできるのか、政府は明確に示す必要があります。
「紀元節」の復活ではない、と強弁するだけでは説明になりません。
現憲法は形式上明治憲法の「改正」であり、明治憲法の制定をもって
「建国」とする、という考え方も一応できるかも知れませんが、1889年
2月11日は公布日であって施行は翌年11月29日なんですよね。
現在の「憲法記念日」が施行日の5月3日であることからすると、この
説は成り立ちません。
そういえば、明治憲法も、現憲法に取って代わられるまでの57年間、
一度も改正されてないんですよね。「欽定憲法」を議会が変えるのは
恐れ多い、というのもあったのかも知れませんが、日本人自らが明治
憲法を「不磨の大典」にして後生大事に持ち続けた歴史を批判する
こと無しに、現在の護憲思想を批判するのは自己矛盾かと思います。
話が大きく逸れましたが、形式上は明治憲法の「改正」でも、実質は
全く新しい憲法の「制定」(人によっては「革命」とまで言います)です
から、いずれにせよ憲法や政治体制との絡みでは、2月11日は全く
根拠を持ちません。
強いて挙げるならば、日本人の好きな「伝統」ということでしょうか。
しかしその「伝統」も本当に古来のものではなく、明治政府が天皇の
威を借りて国民を統治するために創り上げたものに過ぎません。
そして「天孫降臨」神話に基づく国家神道=靖国・護国神社体制が
国民の思想・表現・信教の自由を奪い、戦争遂行の原動力となり、
最後には「亡国」に導いた歴史を省みる時、その安易な復活は厳に
慎むべきだと言わざるを得ません。
キリスト教会は2月11日を「信教の自由を守る日」と定めています。
かつて国家の宗教への介入・支配に屈し、「神道は宗教に非ず」と
いう詭弁を受け入れて国内はもとよりアジア各国の信者に強要し、
戦争に進んで協力した歴史への反省を込めて。