Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

心の問題? その2

2006年02月13日 19時54分11秒 | 時事・社会
靖国参拝について小泉首相はしばしば、「小泉にも思想信条の自由、
表現の自由はある」と反論しています。
これを聞いて私は、この人は本当に憲法についても権利についても
全く理解してない人なんだな、と呆れたものですが、この点への明確
な批判にはあまりお目にかかっていません。

「思想・良心の自由」は憲法第19条、「表現の自由」は第21条です。
小泉首相はなぜ、肝心の第20条「信教の自由」を持ち出さないので
しょうか? 「靖国訴訟」において政教分離規定(20条3項)違反を
指摘する判決が出ているので、わざと避けたのでしょうか。それとも
「靖国参拝は宗教行為ではない」と考えているのでしょうか。
「思想・良心の自由」「表現の自由」はいずれも、主として政治的な
権利の保障です。権力者に都合の悪い思想を持つこと、主張をする
ことも認める(弾圧させない)というのが本旨です。もちろんそれだけ
に留まらず、もっと幅広い権利として解釈されていますが、いずれに
せよ、靖国神社参拝がこれらの権利の行使に当たるという主張には
相当無理があります。
小泉首相が意識して(自覚して)避けているのかどうか分かりません
が、日本国憲法の第20条は、単なる権利規定としてだけではなく、
戦争遂行の精神的支柱となった国家神道=国家による宗教統制
から国民を解放するために設けられた条文でもあります。ですから、
たとえ靖国が一宗教法人となり、首相も一個人であると強弁しても、
靖国と政治の蜜月(癒着?)は、憲法の意図するところからは遠い
と言わざるを得ませんし、中韓両国のみならず、アジア各国にも、
米国にも、そして国内の他の宗教の信者にも不快感と警戒心を
抱かせる行為なのです。

また、憲法とは、国民の権利を守るために、国民が国家権力に守ら
せるものです。ここでいう権利とは「少数者=弱者」の権利です。
なぜなら、民主主義社会における権力者は多数者の代表であり、
多数者=強者の権利はわざわざ保障しなくても守られるからです。
もちろん首相も一国民ではありましょう。しかし公的立場にある者の
公私の峻別は極めて困難です。しかも小泉首相自身、公務の合間
に(休暇を取ってではない)、公用車で護衛付きで参拝し、わざわざ
「内閣総理大臣」と肩書き付きで記帳するなど、せめて私人らしく
見せる努力すら怠っているとしか思えません。(それらをやれば認め
られるってわけじゃないですけど。)
そういえば、小泉首相も加わってたかどうかは定かでありませんが、
「ニュースステーション」の久米宏を自民党は目の敵にしてました
よね。あれこそ「思想・良心の自由」「表現の自由」の侵害だと思う
のですが、首相はそのことを反省しているのでしょうか。