Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

心の問題?

2006年02月12日 01時44分22秒 | 時事・社会
小泉首相が「靖国参拝は心の問題」と繰り返すたびに違和感を覚えます。
一つは、多くの人が指摘していますが、彼自身が'01年の総裁選で8月
15日の靖国神社参拝を公約にし、遺族会などを支持基盤としていた橋本
元首相を破ったことに顕著に表われている通り、この問題は政治的要素
を多分に含んだものであるからです。
また、「公人」と「私人」とはそう簡単に峻別できるものではない、という
問題もあります。本人の意識に関わらず、見ている他者がどう受け取るか
というのが大きいですから。「私人」であれば普段言ってることとは違う
「個人的見解」を好き勝手言っても何ら責任を問われないなんてことは
無いですよね?
さらに、首相をはじめ政治家のセンセイ方がこの「心の問題」という言葉を
どういう意味で使っているのか?と考えた時に連想したのが、不祥事や
疑惑が持ち上がるたびに連発される、一つの言葉です。
「政治家の出処進退は、自分で決めることですから。」
一見正論のようですが、総理・党総裁としての見解や責任を問われた時
にもこの言葉しか語らないのは、公的立場にある者の責任問題を本人の
自覚や倫理観の問題にすり替えてごまかす、無責任な態度です。
不祥事や疑惑も「心の問題」なら、彼がこだわる靖国参拝もその類のこと
と捉えることすら可能になります。
そして決定的な点は、「心の問題」であるならば個人の自由であるはず
にも関わらず、「一国の総理が国のために命を捧げた人達に感謝と哀悼
の意を表すのは当然」「日本人ならば自然な感情」だと言わんばかりの
発言を、彼自身も周りの人間も繰り返していることです。
つい先日(1日)も国会で、「それ(中韓両国の批判)に同調する日本人が
大勢いる。私は理解できない」と答弁しています。
靖国については無知で、首相になるまで一度も参拝しなかった人だから
仕方の無いことかも知れませんが、この答弁は全くの事実誤認です。
中韓両国が靖国参拝への抗議を公式に行なったのは'85年が最初です
(と言っても、それまで容認していたのを転換したのではなく、我慢の
限界を超えた、ということです)が、それ以前から国内では靖国を問う
声は少なからずありました。だから、政府・自民党による靖国神社国家
護持の目論見は何度も阻まれてきたのです。外国からの批判をかわす
方便ではなく実際に、ずっと以前から「国内問題」として存在しているの
です。それを無視して、首相の胸三寸で済ませられるような事柄では
ありません。