清水じょうしんぶろぐ

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心からご冥福をお祈りいたします。

2022年01月27日 05時25分36秒 | 近況報告

皆さんおはようございます。

三徳山は、曇っています。

気をつけてお出かけ下さい。

 

鳥取市立川町にある、天台宗の古刹である、大雲院のご住職が亡くなられました。

葬儀は、明日2022年1月28日(金)、10:00から、大雲院本堂で行われます。

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大雲院(鳥取東照宮・樗谿神社:別当寺院)概要: 

乾向山大雲院東隆寺は鳥取県鳥取市立川町4丁目に境内を構えている天台宗の寺院です。

大雲院の創建は慶安3年(1650)、鳥取藩主池田光仲が樗谿神社(現在の鳥取東照宮)の別当寺院として開いたのが始まりとされます。

光仲は幼少期に鳥取藩主となった為、成人になるまで江戸で待機を命じられ、19歳になり初めて持城である鳥取城に入りました。

その為、光仲の権威の強化を図る必要性があり曽祖父である徳川家康の分霊を日光東照宮(栃木県日光市)から勧請しました。

開山は上野寛永寺の公海大層正の弟子実成院公侃(松平石見守輝澄の6男、池田光仲の従兄弟)で、東照宮の祭祀を司るだけでなく歴代徳川将軍の位牌所や池田家歴代の祈願所にもなりました。

当初は淳光院と称していましたが文化11年(1814)に現在の寺号である大雲院に改称、池田家から寺領500石を安堵される等庇護された結果寺運も隆盛し境内には七堂伽藍が建ち並び内坊4ヶ寺を擁する大寺院として発展し領内の中心的な寺院となりました。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により東照宮から独立し、さらに鳥取藩が廃藩になると庇護者を失い衰微し、末寺であった霊光院の境内(現在地)に移っています。

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大雲院のご住職である田尻光照師は、非常に勤勉な方で、

いろいろなところに講師に出かけておられたり、

長年にわたり天台宗の人権委員もされていました。

心からご冥福をお祈りいたします。

 

一番左が、田尻光照師です。

2011年12月1日、天台宗全国一斉托鉢を三朝温泉で行ったときの写真です。

 

以前から、病気入院を繰り返しておられたと聞いていました。

必ずや元気になられると思っていましたのに、大変残念です。

今後は、大雲院護持のために山陰教区一丸となり、協力していきます。

 

では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。

ツイテル。ツイテル。

ありがとう。感謝。感謝。

喜べば、喜び事が、喜んで、喜び連れて、喜びに来る。


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