皆さんこんにちは。今日もとってもいい天気です。しかし、台風5号が近づいているのが気になりますが・・・・
さて、昨日の続きを書きたいと思います。
昨日も書きましたが、お釈迦様は、「中道(ちゅうどう」)によって悟りを開いたと言われています。「中道」の言語は、「真ん中の道」と言う意味であり、いかにも苦と楽の真ん中に正解があるような印象を受けます。
昨日書いた、「弾琴の喩え」でも琴という楽器であるなら、音階の真ん中が中道だという事になり、それは一点でしかありません。しかし、がんばってがんばって一生懸命に努力し続ける事と、非常に怠慢で努力しない事との「真ん中」とは何でしょうか。確かに、バランスのとれた努力が真ん中にある事は確かではありますが、これは、人によって自分が適切と思う努力の度合いというものは、違いがあるからどこが真ん中であるかは、人によって違うのであります。
つまり、私たち人間は、有とか無とかの両極端で物事を判断する傾向に有りますが、このような考え方では、人間として非常に生きにくい生き方になってしまうという事であります。
もちろん、人間として生きていく上で、良い行いと悪い行いが有るし、ルールも規則もあります。しかし、その良い行いばかりしなくてはならないと思い、それに専念するとしたら、そこに別な雑念が起こってしまい正しい悟りは開けないという事です。
これが正しいから、絶対にそれを守らなくてはならないとしたら、それこそとっても窮屈な生き方になってしまいます。人の命を助けるためにルールを破る事もあるでしょう。もし、それが許されない社会となったらそれは、間違った方向に進んでいると思います。
中村元 師が「中道」の喩えとして
「中道とは登山道のようなもので、一直線に急坂を上がる人もいれば、ゆっくりと回って登る人もいる。しかし、みんなが納得し、歩きやすい上り道が自然と作られてくる。それが、普遍的な中道という道なのではないか。」と言っておられます。
中道とは、単なる真ん中ではなく、仏法の世界観にもとずいた考え方を言うのであり、そうであるなら自然に両極端を離れていくと思うのであります。みんなが暮らしやすい社会を作っていきましょう。
私も、あなたもこの宇宙の一部であり、一員であります。私たちの命は天命であり、つまり天から授かった命です。つまり、新しい何かを生み出すために、授かった命であると思います。
環境破壊の為に、今、地球が悲鳴を上げているといいます。地球がなければ、もちろんわれわれ人間もないわけです。私たちにも何か出来る事があると思います。地球の一部として、宇宙の一員として地球から「あなたは、何をするために生まれてきたのですか。」と問いかけられています。
こんなことを考える毎日です。
さて、昨日の続きを書きたいと思います。
昨日も書きましたが、お釈迦様は、「中道(ちゅうどう」)によって悟りを開いたと言われています。「中道」の言語は、「真ん中の道」と言う意味であり、いかにも苦と楽の真ん中に正解があるような印象を受けます。
昨日書いた、「弾琴の喩え」でも琴という楽器であるなら、音階の真ん中が中道だという事になり、それは一点でしかありません。しかし、がんばってがんばって一生懸命に努力し続ける事と、非常に怠慢で努力しない事との「真ん中」とは何でしょうか。確かに、バランスのとれた努力が真ん中にある事は確かではありますが、これは、人によって自分が適切と思う努力の度合いというものは、違いがあるからどこが真ん中であるかは、人によって違うのであります。
つまり、私たち人間は、有とか無とかの両極端で物事を判断する傾向に有りますが、このような考え方では、人間として非常に生きにくい生き方になってしまうという事であります。
もちろん、人間として生きていく上で、良い行いと悪い行いが有るし、ルールも規則もあります。しかし、その良い行いばかりしなくてはならないと思い、それに専念するとしたら、そこに別な雑念が起こってしまい正しい悟りは開けないという事です。
これが正しいから、絶対にそれを守らなくてはならないとしたら、それこそとっても窮屈な生き方になってしまいます。人の命を助けるためにルールを破る事もあるでしょう。もし、それが許されない社会となったらそれは、間違った方向に進んでいると思います。
中村元 師が「中道」の喩えとして
「中道とは登山道のようなもので、一直線に急坂を上がる人もいれば、ゆっくりと回って登る人もいる。しかし、みんなが納得し、歩きやすい上り道が自然と作られてくる。それが、普遍的な中道という道なのではないか。」と言っておられます。
中道とは、単なる真ん中ではなく、仏法の世界観にもとずいた考え方を言うのであり、そうであるなら自然に両極端を離れていくと思うのであります。みんなが暮らしやすい社会を作っていきましょう。
私も、あなたもこの宇宙の一部であり、一員であります。私たちの命は天命であり、つまり天から授かった命です。つまり、新しい何かを生み出すために、授かった命であると思います。
環境破壊の為に、今、地球が悲鳴を上げているといいます。地球がなければ、もちろんわれわれ人間もないわけです。私たちにも何か出来る事があると思います。地球の一部として、宇宙の一員として地球から「あなたは、何をするために生まれてきたのですか。」と問いかけられています。
こんなことを考える毎日です。