皆さんおはようございます。
三徳山は、曇っています。
気をつけてお出かけ下さい。
さて、新型コロナウイルスの感染者数が全国で爆発的に広がっています。
鳥取県でもクラスターが発生したところもあり、保育園や学校が休校になったりしています。
ついに鳥取県でも、全エリアで「特別警報」が発令されました。
経済活動が自粛する中、一段と厳しい規制になっていくようです。
26日の日本海新聞です。
消防署や警察署、役場など、クラスターが発生すると、人数も制限され、
社会活動に影響が大きいと考えられます。
いろいろな、事を想定して行かなくてはいけない時期になっていると思われます。
鳥取県はまだ「まん延防止等重点措置」が適用されていませんが、不要不急の外出は控えたいものです。
もうすぐ、受験シーズンです。
受験が終われば、卒業シーズンになります。
人生で一度しかない、このビッグイベントを、是非とも普通にやらせてあげたいと思います。
昨日、「お経」について書きましたが、お経には、たくさんのたとえ話があります。
それを、少しづつ、紹介したいと思います。
まずは、「毒矢のたとえ」として、よく知られている話です。
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例えば、人が恐ろしい毒矢に射られたとする。
親戚や友人が集まり、急いで医者を呼び毒矢を抜いて、毒の手当てをしようとする。
ところがその時、その人が、「しばらく矢を抜くのを待て。誰がこの矢を射たのか、それを知りたい。
男か、女か、どんな家のものか、また弓は何であったか、
大弓か小弓か、木の弓か竹の弓か。
弦は何であったか、藤蔓か、筋か、
羽根は何か、それらが全てわかるまで矢を抜くのは待て。」
と言ったらどうであろうか。
言うまでもなく、それらのことがわかってしまわないうちに、
毒が全身に回って死んでしまうに違いない。
この場合に、まずしなければならない事は、まず矢を抜き、
毒が全身に回らないように手当てをすることである。
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私たちが生きて行くには、いろいろな知識が必用です。
また、好奇心や関心を持ったりする事も大事です。
人間は、すぐに「なぜか」という疑問を持ち、答えを出そうとします。
もちろん、それによって知識が深まり、視野が広がります。
人生も豊になることでしょう。
しかし、私たちは、この世の中のことを全て知ることは到底不可能なのです。
知らないことが無限にあります。
また、もともと答えが出ない問いもあります。
たとえは゜「宇宙は、無限なのか?有限なのか?」到底答えが出ないものです。
例えば、弟子がお釈迦様に「霊魂は見えますか?」と問いました。
お釈迦様は「説かない。」と言われました。
「目に見えないものは説けない。」ということだと思います。
そこで、私たち人間は、答えが見つからないもの(過去のことや、欲望・生きること)に執着することで、
苦しみが生まれ、悩み続けます。
最初から「全て答えを知ることができない事が当たり前」と、思っていれば気楽なものです。
「全ての物を知ることはできないし、全ての物を手に入れることはできない。」
この当たり前のことで、私たちは悩み苦しみます。
つまり、 宇宙が永遠であろうとなかろうと、
無限であろうとなかろうと、
生と老と病と死、憂い、悲しみ、苦しみ、悩みは、
いくら答えを出そうと頑張っても、現実として確かにあるのですから、逃れることはできません。
人間なのですから、「欲望」「悲しみ」「苦しみ」「悩み」があるのは当たり前なのです。
そのことで「答えを出そうとする」事が苦しみなのです。
「答えなんか出ないよね。」「仕方がないよね。」「当たり前なんだからね。」と
現実を、しっかり受け止めると、「諦(あきら)める」ということができるのです。
だから、お釈迦様は、苦しみから解放することを目的に教えを説いています。
この続きは、また明日にでも書きたいと思います。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。
喜べば、喜び事が、喜んで、喜び連れて、喜びに来る。
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