皆さんおはようございます。
三徳山は冷え込んでいます。
良い天気ですので、是非お参りください。
さて、昨日の続きです。
姫田忠義先生(写真)は
「三朝のジンショの独自性と示唆するもの」
と題して約一時間、講演されました。
講演の中で、先生は
「なぜ、綱引きの綱をフジカズラわ使用したのか?」と
疑問を投げ掛けられました。
今まで、不思議に思ったことなどなかったので
この問い掛けが新鮮でした。
この中で、三朝のジンショの歴史は
明治6年に
藤井周三郎が、山からフジカズラを持ち帰って
ジンショの綱にしたのが始まりだと言われている。
明治6年はどんな時代であったのか
そんな事から、ひも解いてみたらどうかという提案をされました。
つまり、明治6年に突然としてフジカズラが出てきたわけではない。
山には、おそらく、沢山のフジカズラがはびこっていたのではないか。
林業には、大変困る存在である「フジカズラ」を
絶滅させるのではなく
自然と共存共生する時代ではなかっただろうか。と
述べられました。
また、三朝のジンショは
綱引き後、
あっという間に片づけられるのが、ビックリされたそうです。
片づけのあとの、温泉街の静けさが印象的だったとも言ってられました。
つまり、自然との関係で
人類は、共存共生のあり方を探してきたのです。と
締めくくられました。
現在、「三朝ジンショ保存会」は
この祭りを、残していくために
カズラの苗を植えることを考えられています。
もし、都合のつく方は
5月2日(土)10:00に
ブランナールみささにご集合下さい。
実際皆さんの手で植えたカズラが
何十年後には、「国重要無形民俗文化財」の中で
使われることでしょう。
驚いたことに
昔は、このカズラを準備する役として
三徳山の麓の「坂本集落」の方が
実際とってこられていたようです。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。
三徳山は冷え込んでいます。
良い天気ですので、是非お参りください。
さて、昨日の続きです。
姫田忠義先生(写真)は
「三朝のジンショの独自性と示唆するもの」
と題して約一時間、講演されました。
講演の中で、先生は
「なぜ、綱引きの綱をフジカズラわ使用したのか?」と
疑問を投げ掛けられました。
今まで、不思議に思ったことなどなかったので
この問い掛けが新鮮でした。
この中で、三朝のジンショの歴史は
明治6年に
藤井周三郎が、山からフジカズラを持ち帰って
ジンショの綱にしたのが始まりだと言われている。
明治6年はどんな時代であったのか
そんな事から、ひも解いてみたらどうかという提案をされました。
つまり、明治6年に突然としてフジカズラが出てきたわけではない。
山には、おそらく、沢山のフジカズラがはびこっていたのではないか。
林業には、大変困る存在である「フジカズラ」を
絶滅させるのではなく
自然と共存共生する時代ではなかっただろうか。と
述べられました。
また、三朝のジンショは
綱引き後、
あっという間に片づけられるのが、ビックリされたそうです。
片づけのあとの、温泉街の静けさが印象的だったとも言ってられました。
つまり、自然との関係で
人類は、共存共生のあり方を探してきたのです。と
締めくくられました。
現在、「三朝ジンショ保存会」は
この祭りを、残していくために
カズラの苗を植えることを考えられています。
もし、都合のつく方は
5月2日(土)10:00に
ブランナールみささにご集合下さい。
実際皆さんの手で植えたカズラが
何十年後には、「国重要無形民俗文化財」の中で
使われることでしょう。
驚いたことに
昔は、このカズラを準備する役として
三徳山の麓の「坂本集落」の方が
実際とってこられていたようです。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。