皆さんおはようございます。
三徳山は、晴れています。
気をつけておいで下さい。
明日ぐらいから、雪になりそうです。
さて、またもや、あってはならない悲しい事件が起こりました。
大阪市の高校生が自殺をいたしました。
「これは指導ですか。体罰ですか」。
大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が、
バスケットボール部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題。
生徒の母親は、通夜に参列した顧問に問いただしたそうです。
高校が実施した部員へのアンケートでは、
体罰が幅広く行われていた実態が浮かび上がったが、
生徒のSOSは届かなかったようです。
市教委によると、生徒は先月22日の練習試合で顧問から数回平手打ちを受けたそうです。
帰宅後、母親に「今日もかなり殴られた」と話していたといいます。
23日に生徒が自殺した後、母親は生徒の頬が腫れ、唇が切れているのを確認したということです。
一方でこんな記事がありました。
文部科学省によると、11年度に全国の公立の小中高校や特別支援学校で児童・生徒への体罰を理由に処分を受けた教職員は404人。内訳は、小学校81人▽中学校180人▽高校139人▽特別支援学校4人--で、高校では約3分の1が部活動に関連するケースだった。最近10年間は400人前後で推移し、大きくは減っていないのが現状だ。
学校教育法では「教員は体罰を加えることはできない」と体罰禁止を明記している。文科省が07年2月に都道府県教委などに出した通知では、体罰に当たるケースとして、「殴る、蹴るなど身体への侵害」「肉体的苦痛を与えるような長時間の正座や直立」を例示。
一方で▽授業中に教室内で起立させる▽学習課題や清掃活動を課す▽学校当番を多く割り当てる▽立ち歩きの多い児童・生徒をしかって席に着かせる--などは「通常体罰には当たらない」との見解を示し、許容している。
文科省児童生徒課は「体罰禁止の規定を知らない教職員はいないはずだが、実際の現場で徹底されていないケースがある。教職員への研修・指導を通じて徹底していく必要がある」と話している。
94年には兵庫県龍野市(現たつの市)で当時小学6年の男子児童が担任教諭に頭と頬を手で数回たたかれた後に自殺。その後の裁判で体罰と自殺の因果関係が認定された深刻なケースもあった。
この児童の父親で「全国学校事故・事件を語る会」の内海千春さん(53)=兵庫県たつの市=は「怒りやショックよりも、またかという感じだ。教師の体罰による子どもの自殺は、多くが表に出ないまま、なかったことにされている。何があったのか丁寧な実態解明なしに再発防止はできない。事実と向き合うことが、亡くなった生徒の命に向き合うことだ。学校や市教委は、彼が何を言いたかったのか代弁する側に立ってものを見てほしい」と話した。
という記事でした。
私見を少し述べたいと思います。
「指導なのか。体罰なのか。」は、まさに紙一重であると思います。
指導者の思い通りにならない部員に対し,怒りや不満の感情で平手打ちをしていたのであれば「体罰」。
しかし、100%相手のことを思いやって、平手打ちをしているのであれば「指導」。
本当にそうなのか・・・・?
ここで考えてほしいのは、どちらも「同じ行為」ということです。
そして、先生は自分の指導に従わない子どもに対し,怒りや不満の感情なしで接することができているのか。ということです。
また、平手打ちをされた生徒が、どのような思いをしていたかということも大変重要です。
この世の中で、100%相手のために自分が涙しながら、相手に平手打ちが出来る人が何人いるでしょうか?
佛教では、「方便」という言葉があります。
方便とは,仏さまが人々を悟りに導くための手段のことです。
指導でも体罰でも、「行為」は同じなのです。
一方、「方便」は「行為」そのものが違います。
「方便」は、相手に気づかせて、しかも、自分が相手から認めてもらっているという自覚が大事なのです。
人間は、未熟なものです。
家庭などでも躾と称して、虐待の実態もあるようです。
叩けば、人間性や人格が良くなるような妄想は、いい加減にやめませんか。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。
三徳山は、晴れています。
気をつけておいで下さい。
明日ぐらいから、雪になりそうです。
さて、またもや、あってはならない悲しい事件が起こりました。
大阪市の高校生が自殺をいたしました。
「これは指導ですか。体罰ですか」。
大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が、
バスケットボール部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題。
生徒の母親は、通夜に参列した顧問に問いただしたそうです。
高校が実施した部員へのアンケートでは、
体罰が幅広く行われていた実態が浮かび上がったが、
生徒のSOSは届かなかったようです。
市教委によると、生徒は先月22日の練習試合で顧問から数回平手打ちを受けたそうです。
帰宅後、母親に「今日もかなり殴られた」と話していたといいます。
23日に生徒が自殺した後、母親は生徒の頬が腫れ、唇が切れているのを確認したということです。
一方でこんな記事がありました。
文部科学省によると、11年度に全国の公立の小中高校や特別支援学校で児童・生徒への体罰を理由に処分を受けた教職員は404人。内訳は、小学校81人▽中学校180人▽高校139人▽特別支援学校4人--で、高校では約3分の1が部活動に関連するケースだった。最近10年間は400人前後で推移し、大きくは減っていないのが現状だ。
学校教育法では「教員は体罰を加えることはできない」と体罰禁止を明記している。文科省が07年2月に都道府県教委などに出した通知では、体罰に当たるケースとして、「殴る、蹴るなど身体への侵害」「肉体的苦痛を与えるような長時間の正座や直立」を例示。
一方で▽授業中に教室内で起立させる▽学習課題や清掃活動を課す▽学校当番を多く割り当てる▽立ち歩きの多い児童・生徒をしかって席に着かせる--などは「通常体罰には当たらない」との見解を示し、許容している。
文科省児童生徒課は「体罰禁止の規定を知らない教職員はいないはずだが、実際の現場で徹底されていないケースがある。教職員への研修・指導を通じて徹底していく必要がある」と話している。
94年には兵庫県龍野市(現たつの市)で当時小学6年の男子児童が担任教諭に頭と頬を手で数回たたかれた後に自殺。その後の裁判で体罰と自殺の因果関係が認定された深刻なケースもあった。
この児童の父親で「全国学校事故・事件を語る会」の内海千春さん(53)=兵庫県たつの市=は「怒りやショックよりも、またかという感じだ。教師の体罰による子どもの自殺は、多くが表に出ないまま、なかったことにされている。何があったのか丁寧な実態解明なしに再発防止はできない。事実と向き合うことが、亡くなった生徒の命に向き合うことだ。学校や市教委は、彼が何を言いたかったのか代弁する側に立ってものを見てほしい」と話した。
という記事でした。
私見を少し述べたいと思います。
「指導なのか。体罰なのか。」は、まさに紙一重であると思います。
指導者の思い通りにならない部員に対し,怒りや不満の感情で平手打ちをしていたのであれば「体罰」。
しかし、100%相手のことを思いやって、平手打ちをしているのであれば「指導」。
本当にそうなのか・・・・?
ここで考えてほしいのは、どちらも「同じ行為」ということです。
そして、先生は自分の指導に従わない子どもに対し,怒りや不満の感情なしで接することができているのか。ということです。
また、平手打ちをされた生徒が、どのような思いをしていたかということも大変重要です。
この世の中で、100%相手のために自分が涙しながら、相手に平手打ちが出来る人が何人いるでしょうか?
佛教では、「方便」という言葉があります。
方便とは,仏さまが人々を悟りに導くための手段のことです。
指導でも体罰でも、「行為」は同じなのです。
一方、「方便」は「行為」そのものが違います。
「方便」は、相手に気づかせて、しかも、自分が相手から認めてもらっているという自覚が大事なのです。
人間は、未熟なものです。
家庭などでも躾と称して、虐待の実態もあるようです。
叩けば、人間性や人格が良くなるような妄想は、いい加減にやめませんか。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。