脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

脳腫瘍ネットワークのサイトの医療関係の情報

2011-02-09 23:05:08 | 看護・介護
NPO法人 脳腫瘍ネットワークのサイトに医療関係の情報として下記の事項の掲載があります。http://www.jbta.net/
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脳腫瘍とは
インフォームドコンセント
セカンドオピニオン
放射線治療について

以下はインフォームドコンセントについての解説の項目です。
著作権との関わりがありますので、項目について列記します。
是非ともご活用下さい。

初めて脳腫瘍について医師から話を聞くとき
はじめに
誰が説明を受けるのか
医師からの話を聞く前に
何を聞くのか
考えられる病名
症状の説明
腫瘍の位置と大きさ
病理診断(グレードに関係します)
治療の方向性
治る可能性
手術の必要性とリスク
化学療法の説明
放射線治療の説明
緩和ケア
このブログに掲載することについてはNPO法人 脳腫瘍ネットワークの許可を
いただいてあることを申し添えます。

もちろん上記の項目の個々の内容について理解をすることは難しいこともあるし、
全部の項目を理解してドクターや看護師と接し、ご本人をケアする必要はないと思いますが、少しでも脳腫瘍の予備知識として学習しながら、ご本人をケアしていければ、ケア(介護)の具体的な内容も異なってくると思います(そよかぜ)

サポーターが判断(選択)を迫られる時

2009-08-06 23:49:10 | 看護・介護
姉が看護師さんの食事介助では傾眠などがあり食事に多くの時間(短くて一時間長くて二時間)を要するようになった。看護師さんも一人では大変なのでお二人でして頂くことになった。一食を摂取するのにその食事をする姿勢を保つのが困難になりつつあり、傾眠の様相になってしまう。咀嚼や嚥下の力も弱まってきている。こういう情況では口からの栄養補給が不十分で必要な栄養分が確保できない、鼻に管を挿入して、経管による栄養補給(液状の物を管を通して)なら確実に栄養を補給できるとのことであった。ただそうすることによって咀嚼・嚥下の機能は確実に低下するし、姉自身が自分で食事をするという意識が消失してしまうことになる。たとえ長時間であっても食事介助であれば、今から食事をするんだという気持ちに本人はなる。この提案(方針)があった時は、姉は音声によるコミュは難しい情況で、説明をしても理解しにくく、本人が選択することは難しかった。その場合は姉の介護のキーパーソンである私が判断をしなくてはならない局面であった。

延命治療は姉との話し合いで、望まないという意思を確認してあったので人工呼吸器は装着しなかった。意思確認はしてあることでも、いざ選択を迫られるとそれは言いようもないほど苦しかった。ご本人の意思確認を出来る限り尊重したいけれど、それをご本人が出来ない場合、サポーターがせざるえない。事前に本人と意思確認が出来ていれば、それにこしたことはないが、意思確認ができていなかったことも多くあった。何週間後にお返事を下さいということもあったが、即断即決の場合もあるのでる。

「家族ががんになったとき」

2009-07-12 23:24:09 | 看護・介護
ここに一冊のパンフレットがあります。「家族ががんになったとき」(2008年3月)がん対策情報センター 社会とがんシリーズ 患者さんとご家族の明日のために 相談支援センターはあなたのために・・・ともに考え、ともに歩みます」国立がんセンター がん対策情報センター 〒104-0045 東京都中央区築地5-1-1 http://ganjoho.ncc.go.jp/ 専門家が作成されたものですが、文章も平易でわかりやすいものです。感じ入った事、共感したこと、学んだことが多くあります。一部を抜粋することも可能ですが、著作権の問題と恣意的になることも考えられますので是非手にとってご覧いただければ幸いです。大学病院の家族支援センターに置いてありました。無料ですし、家族の意をくんだ好著です。ご活用なさってください。今日(7月11日)のニュースで「最新版」が出され、今日各地で説明会が開かれ、寄せられたご意見を基に年度内に完成の運びとなります。最新版をご覧になりたい方は上記ホームページにアクセスなさってください。


家族としてできることは 何ができるのか  サポーターのブログから学ぶ

2008-10-21 21:45:21 | 看護・介護
 これが一番だという確信を持って取り組みをされることもあろうが試行錯誤
の取り組みをされることも多いと思う。
「二人三脚 脳腫瘍の夫とともに闘った日々 わかばさん」から「脳腫瘍に負け
ないぞ 真実一路さん」までがご本人を支えるご家族のブログ(サイト)です。
旦那氏をサポートされる奥様のそれが多いが、奥様を支える旦那氏のそれもある。
脳腫瘍を患うご本人の不安、苦悩は言うまでもありませんが、ご本人を支え、看
護・介護する家族のそれもまた違う意味で不安や苦悩は深いと思います。このブ
ログの出発点もここにあります。キーパーソンになられた方はどうしても自分だ
けで抱え込んだりしてしまいがちです。家族としていったい何ができるのか、
示唆に富んだ内容が多い。病が死に繋がる病だけに家族としての悩み・悲しみ
は深い。ご本人を前にして気丈に振舞おうとして、かえって言葉に詰まったり、
どうした言葉かけが良いのか?自然が一番だと思うのですが、でもこの普段ど
おり、自然な振る舞いやコミュニケーションというのがこれまた一番難しい。
脳腫瘍のご本人をドクターは医師の観点から診られ、看護師さんもその立場か
ら看られる。でもご本人との関わりからいっても、ご本人の一番の理解者はな
んと言っても家族である。時として決断を迫られる事もある。オペのことや治
療法の選択、病状について今後のこと、ドクターとどう関わっていったらよい
のか、看護や介護をどうしていったらよいのか、一つ一つのハードルを一つ一
つクリアーされていく様子、壁にぶち当たっても、すこしでも進んでいかなく
てはならない現実。どうかお一人で抱え込まずに、お気持ちを吐露できる方に
はお話をされ、焦らず、慌てず、ゆっくりとご本人を見守ってあげてください。
同じ悩みや不安を持たれている方はたくさんおみえです。一歩一歩進んでまい
りましょう。サポートされる方々が疲れてしまっては大変です。さぁ、深呼吸
をして、明日の一歩を踏み出しましょう。

整容のことなど

2008-09-21 21:56:20 | 看護・介護
姉がオペをしたり、放射線治療のために頭髪が消失したり頭髪が抜けることが
あった。姉はそのたびに小奇麗な帽子を自宅で探すことになった。病院にも美
容院がありカットしてもらったりターミナル期には病室に来ていただいて整髪
もしていただいた。通院の時も元気な頃はドクターに会えると喜び勇んで自分
の好きな衣服を身に纏い、ドクターの診察を受けていた。でも足に腫れが生じ、
お気に入りの靴が履けなくなってサンダルになったり、スカートが着脱のしや
すいジャージになっていった。自力歩行が難しくなり車椅子を使うようになっ
ていった。自分の身体の衰えを感じ取り、生きようという意欲が希薄になりつ
つあるステージだったと思う。やむをえないという状況があったにせよ、もう
少し衣服などに心配りが必要だったとこれだけは少々反省というか心残りのと
ころである。そんな余裕はなかったと居直ってしまえばそれだけのことである
が・・・・・・。手を握りしめたり、足を擦ってやったりしたことはあったが
髪を梳かすとかはしてあげられなかった。頬などもタオルで拭ってあげればさ
ぞや気持ちよかっただろうに。自分が身だしなみに無頓着であることもあり、
姉の衣服には余り気配りができなかった。

看護師さんにお願いしたいが

2008-01-19 11:15:25 | 看護・介護
病棟の看護師さんたちは忙しそうに走り回られている。担当の看護師もお休みの場合もあるし、日によって担当の看護師さんも代わります。それはしかたのないことです。ご本人にとってもナースコールのボタンを押すのもはばかられることが多いと思います。歩き回ったり、走り回っている忙しい看護師さんにトイレへの介助や、ベッドから車椅子への移乗や、足や腰が痛いからさすって欲しいとかお願いしたいが、ナースコールの音が響くとついつい遠慮してしまうことになります。ご本人のためだけの看護師さんではないのですから。そんな時が家族の出番だと思います。見舞いに行って、車椅子に移乗させて屋上へ散歩に出かけたり、トイレ介助をしたり、好きな音楽を聴かせてやったり、ちょっと買い物をしたりご本人が希望(期待)しているであろうことをしてあげるといいと思います。時間を見つけて見舞いに行くので、そんな時間の余裕がないときの多いのが現実ですが、看護師さんにお願いしたいができないこと、看護師さんにお願いしたいが、頼みにくいことをしてあげられたらと思います。ご本人が、今、何をして欲しいか、口に出して言ってもらえると助かるのですが、なかなか分かりませんでした。お恥ずかしい話ですが・・・・。

看護・介護はみんなが分かち合って

2008-01-09 22:48:20 | 看護・介護
新しい年を迎えての初めての書き込みです。拙いブログですがみなさんのご理解とご支援をいただいて綴っていこうと思っています。宜しくお願いいたします。より良いサポーターとか、看護・介護を上手くやるとは綴りましたが、上手かどうかということはあまり問題ではないように思われます。ご本人に家族として出来る限りの看護・介護をすることが大切だと思います。そのためには主たる看護・介護の方は当然必要ですが、家族はもちろんですが、できるだけ多くの方が看護・介護に関わることが良かろうと思います。ご本人が病気の事を多くの人に伝えることに躊躇される場合はご本人のお気持を尊重するのがベターですが、ご本人の格別の理解者であるご家族で何ができるのかを話し合われることを勧めます。どうしても主たる看護・介護者の負担が多くなりますので、家族の一人一人ができる事を出し合って、家族ぐるみで負担を分かち合うことが望ましいと思います。お子さんたちの笑顔が時としてご本人にとって大きな励みになると思います。家族の一人一人の知恵を出し合えばきっときっといいアイデアも浮かぶことと思います。親戚や知人のサポートも貴重だと思います。ご本人ととっても仲の良い友人も多いと思います。できるだけ多くの方のサポートを得られることが良かろうと思います。

新しいことへの挑戦  手作りの看護・介護

2007-12-24 10:58:11 | 看護・介護
より良いサポーターとはと考えると「自信」を持って看護・介護できるということであると思う。ここで「自信を持って」というのは、その場、その状況で自分(自分たち)が一番良いと思うことをしているんだという自覚、意識を持つことだろうと思う。迷いや動揺もあると思うがそれは当然で、医師の診断、治療方針に耳を傾けて慎重に判断し、看護・介護をするということであると思う。もちろんご本人の考えを最大限尊重するというのが前提である。自分が一番良いと思うことと言うのは、ひとりよがりではなく家族や関係者を含めた「自分たち」と考えたほうがいい。多くの考えや意見をもらうことで知恵も生まれるであろうし冷静で客観的な判断ができるであろうと思う。
一番大切なことは自分(自分たち)の出来ることを地味なことをひとつひとつやっていくことであると思う。このブログにリンクしていただいてある多くのサポーターの試みもある。参考になることはどんどん取り入れていかれるのがいいと思う。ただそのとおりという訳にはいかない。失敗や反省もあると思うが、それはその場、その状況で一番良いと判断して進めたことなのだから、それで良いと思う。試行錯誤を積重ねながら進めていけば良いと思う。そして自分の家族にあった看護・介護を「創り」あげていくことが大切であると思う。一生懸命やれば誠意は必ず通じると思う。最初から看護・介護が上手く出来る筈がないのである。看護・介護、今までに取り組んだことがない新しいことに取り組んでいくのだから・・・。新しいことに挑戦していくのだから!


手探りの一歩から

2007-12-22 22:25:23 | 看護・介護
病気と上手くつきあっていく・・脳腫瘍は命に関わる病だから肩こりや腰痛と同じにしてはいけないが、長期間にわたって看護・介護を必要とするので、脳腫瘍という病をサポーターとして自分なりに充分理解しながら、病気と上手くつきあっていく心持で、焦らず慌てず支えていくことが大切であると思う。ドクターでもないし看護師でもない私たちが出来ること・・・ドクターや看護師では出来ないこと・・・・・それは家族としての繋がりがあることである。そんなことは当たり前ではないかと言われそうであるが意外と見落としていることではないのであろうか。あまりにも当たり前すぎることであるから。ご本人のことを一番理解しているのは他ならぬ家族なのであるから。入院中であろうと、自宅療養中であろうと傍で見守っているだけでご本人が安堵されるのは、やはり家族としての繫がりがあるということに尽きるのではないか。何か特別な看護・介護(ケア)と考えがちであるが、最初から「これだ」という知恵が浮かぶものではないだろう。自分たちの出来ることをひとつひとつしていくことであろうと思う。良いと思ってしたことでも、ご本人にとっては辛いこともあるであろうし、何気なく掛けた言葉で傷つける場合もあると思う。そういうことは出来るだけ最小限にしたいが最初から上手くいくわけでもないと思う。逆に手探りのひとつひとつのことが効果がある場合もあると思う。手探りで一歩一歩進めていくことが大切だと思う。


ご本人の考えを尊重すること

2007-12-08 21:48:50 | 看護・介護
姉はシングルで生活をしていた。発病後オペをはさんで自宅療養の時期があった。シングルでの自宅療養は大変であったと思う。左足にも麻痺が広がり自力で排泄が困難な状態になって再入院することになったが、最初は左手に麻痺がありながらまがりなりにも食事を作り、生活をしていた。ヘルパーさんのサポートや訪問看護を姉に勧めたが、姉の同意は得られなかった。今までのシングルの生活に誰かが入ってくることに抵抗があったことと経済的な負担をこれ以上かけたくないという気持があったのだろう。食事を作るのもだんだん困難になり、レンジを使った簡単な食事になったりした。薬を服用するためには食事はとらなくてはならない。週末に買い物と入浴介助に通ったが、食事時間も不規則になり昼夜の区別がつきにくくなっていった。姉の意思を尊重した自宅療養であったが、本人の考えを尊重するといってもどこまで尊重するべきか大変迷った。ヘルパーさんや訪問看護をお願いしていたら、また違った療養生活が送れたのではないかと思う。

入院生活二日目

2007-10-27 00:17:16 | 看護・介護
姉に付き添ってCTの撮影に行った。大学病院だけあって広くて迷路のようだった。掲示板を頼りに受付をして撮影してもらった。体全体、特に脳から脊髄にかけては詳しく撮影したようだ。午前中はそれで終わった。昼食は病院食をもちろん自力で食べていた。姉を見守ることが自分の出来る唯一のことだった。必要な物の買い足しに午後からは病院を出た。姉の入院生活に必要なものは揃った。姉も安心して入院生活を送れる目途が立って穏やかな表情になった。でも私には心中穏やかならざるものがあった。これから自分の生活をどうすればいいのか、姉とどういったコミュニケーションをしていけばいいのか、姉の左手の麻痺はオペをすれば回復をするものなのか、姉は再びピアノを弾けるようになるのだろうか?この時点では脳腫瘍であることは告知されていたが、神経膠芽腫でグレード4であることは分かっていなかった。新しい年を迎えられるものかという不安もよぎった。職場からは車で40分、拙宅からは30分毎日いくら遅くなっても姉を見舞いにいくことにした
。面会時間は決まっていたが家族の者ということで午後10時くらいまでは許可された。


入院生活一日目

2007-10-15 22:37:05 | 看護・介護
病室も決まり必要なものも準備して入院生活が始まった。担当の看護師さんも紹介していただき、姉と看護師さんの話が続いた。姉の気持ちを丁寧に聞き取っていただいたようである。姉が倒れて、姉を支えるのは私自身しかいなかったので、これから自分がどのように生活をしていけばいいのか考えあぐんだ。脳腫瘍というのはいったいどういう病気なのか、インターネットで検索するが専門的すぎて分かったようで分からない。姉が主治医から今後の治療方針(オペを含めて)を聞くことになるから同席して病気のことは主治医から聞いて先ず病気のことを知ろう。姉をサポートするためにどうしたらいいのか、先ずワイフに姉の病状を伝えて私としてはできるだけの支援をするから協力をして欲しいことの確約(スマイル)を得る。ただし姉とワイフはほとんど面識もなく、姉の生活をほとんど知らないからあえて見舞いなどには行かなくてもよいということ。姉も倒れて生活の支援は弟に頼ることになるのが一番歯がゆかったと思う。姉はとにかくしっかり者であり、頼りない弟の世話になることなど考えもしなかったであろうから。姉にできるだけの支援をすると心に決めたものの、具体的にどんなことをすればいいのか、やはり相談相手が欲しかった。それが本音だった。

在宅療養のことなど

2007-06-10 23:00:20 | 看護・介護
姉の在宅療養は数ヶ月間でしたが一人暮らしだったので不安でいっぱいだったと思います。一番の心配事は痙攣が発症したらどうするかでしょう・・・。薬を無くしたりすると携帯に連絡が入り、病院に駆け込んで処方してもらいました。二番目は食事の事です。左手の指に麻痺があったのですが、食材を切るときも、右手だけでは切れない、左手の指を添えることってとても大切だと本人も苦労していました。最初は曲りなりに自力で歩行できたので室内を歩けたし、テレビ等を観て朝、昼、晩が分かり、食後の薬も正しく服用できました。身体が衰弱してきて自力での調理が難しくなり、クラッカーとか麺類(乾麺)、缶詰が多くなった。毎週土日は買い物に姉と出かけて入浴を介助した。ヘルパーの資格が取れてトイレや入浴の介助も学んだのでこれは役立った。週に3回、4回と姉の見舞いに行く回数が多くなった。寝ていることが多くなり、昼夜の区別も難しくなり、薬の規則的な服用も難しくなってきた。床に布団を敷いて眠っていたが、左足の筋力が弱まり、立ったり座ったりが難しくなりベッドで生活するようになった。自力でトイレに行くことが困難になり再入院になった。姉が訪問看護やヘルパーさんを希望すれば状況はきっと
変わっていただろうが、姉の選択だったのでやむをえなかった。


支えていただいた方々

2007-06-09 23:22:20 | 看護・介護
ドクターはもちろんであるが姉は本当に多くの看護師さんのお世話になった。
「看護師さんは笑顔で」と綴ってしまったが、患者の前でいつも笑顔でとい
うのは本当に大変だと思う。お仕事のお疲れもあるだろうし、プライベート
な悩みやストレスもあるだろうと思う。姉が旅立った12月に院内で「音楽
の夕べが」が開かれた。意識もあまりはっきりしない姉であったが、看護師
さんたちのご厚意でストレッチャーに乗せてもらって生の音楽を聴かせてい
ただいた。姉の瞳は輝いていたという。


介護保険が使えるかどうかとか

2007-06-08 12:57:19 | 看護・介護
姉は若かったということもあって介護保険の適用外だった。脳腫瘍の場合は介護保険が適用されるのか、身体障害者手帳が交付できるのか、病院にどれくらいの入院ができるのか、もっともっと必要な情報が知りたかった。院内にも支援センターがあったのだが必要な情報は入手すべきであった。