脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

余命の告知

2009-08-12 01:06:54 | 交流
姉はドクターに「いつまで生きられるのですか?」と気丈にも問いかけることがあった。ドクターは「デターを基に貴女にお話をすることはできますが、それはあくまでも過去数年間のものです。しかもそれが貴女に該当するかどうかも全くわかりません。あと数ヶ月、あと何年と伝えることによって、貴女の生きようとする気持ちが萎えることのほうが心配です。まぁ、あと一年は大丈夫です。頑張って生きましょう。貴女の生きようとする力、病にむきあおうとする力が大事なんですよ」と言って、姉の肩をポント叩いた。ドクターの余命告知についての見解を聴いて、姉も私も納得した。姉は神経膠芽腫であったが二年と数ヶ月長らえた。姉が自力呼吸もおぼつかなくなった頃、私が焦って、ドクターに年を越せますか、と問うた時も、「意識の混濁は進むでしょうが、先ずは大丈夫でしょうと」安心させてくれた。私たちの願いも空しく、年は越せなかったが、本人や家族に寄り添って治療していただいたドクターや看護師さん、お会いすることはなかったが「縁の下」の力持ちになって日夜姉を支えていただいた関係者のみなさんに感謝の気持ちでいっぱいである。

脳腫瘍と告知された時

2009-08-11 21:36:46 | 交流
姉の場合は路上で倒れ、救急車で近隣の病院に搬送された。携帯にワイフから連絡があり、病院に直行した。ドクターの所見では「脳出血」で左手に麻痺があり、暫く入院して、検査をし、様子観察してみましょうということになった。ところが一週間経ってもドクターからなんの連絡もないので、ドクターに今後の治療方針やリハビリについて尋ねたのだが、ドクターからの話はCTやMRIの検査結果は「脳腫瘍」の疑いが濃いということであった。そのドクターは脳神経外科の専門医ではないのでとことわりながら、「仮に腫瘍があったとしても前頭葉にあり、脳の表面に近いところだから全摘できるであろうからそれほど心配はないと」さらりと言われた。「脳腫瘍」、驚きのあまり開いた口が塞がらず、もう一度、問うていた。大学病院を紹介され、翌日大学病院を受診したが、タイミングが凄く悪かった。一度実家に戻り、必要な物を取りにいくことになったが、搬送先の病院は療養型の病院でドクターの回診も少なく、姉は不満が高じていて、もう病院に戻らない、戻りたくないと言い張るしまつであった。なんとか「説得」して病院に戻ったが、「ドクターはなんと言っているのよ」と問うてきた。「貴方がこたえられないのなら、私が聞きに行く」と詰め寄られ、結局ドクターから姉に「脳腫瘍の疑いがあり、大学病院に紹介状を書くからということで、明日受診が決まった」とお話があり、姉はやや「落ち着いた」のであった。内輪の話で、心苦しいが、これが実態であった。「脳出血」から「脳腫瘍の疑いあり」という告知、大学病院で正式に「脳腫瘍」という告知があった。私の場合は「脳腫瘍」にも良性も悪性もあることもつゆ知らず、「脳腫瘍」イクオール「癌」イクオール「死」と線路が敷かれたように思った。姉の発症は8月、9月に1回目のオペで「神経膠芽腫」と分かる。無事オペが終わってほっと一息ついていたら11月に2回目のオペ、なんと恐ろしい病かと思った。年を越せるのかという不安が頭を過ぎった。自分にこれから何が出来るのだろうと考えた。以上が姉が脳腫瘍と告知されたときの様子を綴りました。これが正直なところである。特に大事だと思うことは「告知」は避けてはとおれないものであることはわかるのですが、ご本人や家族の者への心のケアが絶対に必要だと思います。ドクターはもちろんですが、看護師さんの出番がここにあると思います。「脳腫瘍」と告知された時、ご本人のお気持ちや家族の心模様、不安や恐怖、それにどう対応していかれたか、差支えがなければコメント欄に書き記していただければ幸いです。

ご本人の意思を尊重すること(2)

2009-08-07 23:42:41 | 交流
姉が大学病院の脳神経外科の診察を受けたとき、オペについてのこと、姉の病状の事正式なドクターと姉との話し合いには同席した。姉は特に同席することに異論を差し挟むこともなかった。姉を全面的に支援しようと思って、それが「サポーターとしては当たり前」という気分だった。姉の病気を理解し、支援する唯一の方策、出来ることだと思っていた。ドクターからの話を一緒に聴くことで、姉が少しでも動揺しなくてもいいようにと。姉が旅立つ前はそれが当然のことだと思っていた。姉が旅立ってしまった今もそう思うのだが、でもよく考えてみると、姉はドクターと自分の病気についてもっともっとドクターと話したかったのではないかとふと思うのである。治療を受けるのは姉自身だし、オペを受けるのも姉なのです。姉の病床にドクターはよく診察に来られて姉の好きなオペラの話などを、ドクターの立場を離れて歓談したという。姉はドクターが大好きだった。もちろん病についても話合っていただろうと想いをめぐらすことは容易である。
もちろんご本人とドクターとの話し合いに家族(サポーター)が参加することは意義はあるし、ご本人と家族が病に向き合う出発点になると思う。でもご本人としては家族を交えずにドクターと、自分の悩み、病気への不安などの本音を語る場は必要だと思ってみえるのではないだろうか?家族がいると聴きたいこともつい遠慮してしまうことにならないでしょうか?家族がいるとつい家族に心配をかけまいと、口を開くのを躊躇してしまうこともあるのではないでしょうか?

サポーターが判断(選択)を迫られる時

2009-08-06 23:49:10 | 看護・介護
姉が看護師さんの食事介助では傾眠などがあり食事に多くの時間(短くて一時間長くて二時間)を要するようになった。看護師さんも一人では大変なのでお二人でして頂くことになった。一食を摂取するのにその食事をする姿勢を保つのが困難になりつつあり、傾眠の様相になってしまう。咀嚼や嚥下の力も弱まってきている。こういう情況では口からの栄養補給が不十分で必要な栄養分が確保できない、鼻に管を挿入して、経管による栄養補給(液状の物を管を通して)なら確実に栄養を補給できるとのことであった。ただそうすることによって咀嚼・嚥下の機能は確実に低下するし、姉自身が自分で食事をするという意識が消失してしまうことになる。たとえ長時間であっても食事介助であれば、今から食事をするんだという気持ちに本人はなる。この提案(方針)があった時は、姉は音声によるコミュは難しい情況で、説明をしても理解しにくく、本人が選択することは難しかった。その場合は姉の介護のキーパーソンである私が判断をしなくてはならない局面であった。

延命治療は姉との話し合いで、望まないという意思を確認してあったので人工呼吸器は装着しなかった。意思確認はしてあることでも、いざ選択を迫られるとそれは言いようもないほど苦しかった。ご本人の意思確認を出来る限り尊重したいけれど、それをご本人が出来ない場合、サポーターがせざるえない。事前に本人と意思確認が出来ていれば、それにこしたことはないが、意思確認ができていなかったことも多くあった。何週間後にお返事を下さいということもあったが、即断即決の場合もあるのでる。