姉は自分の病をあまり人に知られたくなかったようだ。身内は私ひとりで世話をすることになった。第一回のオペの終了後、自宅療養になったがヘルパーに来ていただくとか訪問看護とか話題にしたが話にのってこなかった。姉の気持ちを最大限尊重することになったが・・・。痙攣がおきて自分で救急車を呼んで地元の救急医療センターに搬送されたが、救急車が来たときは、痙攣は治まって自力で歩いて車に乗った。近所の人はあっ気にとらわれていたが、いっぺんに姉の病気のことが知れ渡った。痙攣が治まっていったからいいようなものの、苦い体験だった。
看護師さんのお言葉によると「眠るように静かに」旅立ったようである。姉は看護師さんに丁重に旅立ちの身繕いをしていただいた。姉にかける言葉を失っていた自分がいた。姉の手を握りしめることだけしかできなかった。
生命のメロディ・・・・・・姉に捧げる
貴女は生命のメロディを奏でた
860日の日々
命の輝きを奏でた
生命の荘厳さと厳粛さを
大空から窓辺に差し込む陽光と
貴女は命の尊厳を謳った
大空から窓辺に流れ込むそよかぜと
貴女は命の荘厳さを詠った
貴女は生活の営みを
胸に秘めた五線譜に記し
時の流れとともに
自由奔放に生命のメロディを奏でた
看護師さんやドクターや実習生との出会いを
貴女はかけがえのない生活の営みとして奏でた
2006年12月27日3時51分
貴女は生命のメロディを奏でながら旅立った
生命の輝きを謳いながら
命をキラキラと輝かせながら
星空の階段をステップアップした
気負いのない笑みをうかべながら
貴女は生命のメロディを奏でながら
2007年1月10日記
生命のメロディ・・・・・・姉に捧げる
貴女は生命のメロディを奏でた
860日の日々
命の輝きを奏でた
生命の荘厳さと厳粛さを
大空から窓辺に差し込む陽光と
貴女は命の尊厳を謳った
大空から窓辺に流れ込むそよかぜと
貴女は命の荘厳さを詠った
貴女は生活の営みを
胸に秘めた五線譜に記し
時の流れとともに
自由奔放に生命のメロディを奏でた
看護師さんやドクターや実習生との出会いを
貴女はかけがえのない生活の営みとして奏でた
2006年12月27日3時51分
貴女は生命のメロディを奏でながら旅立った
生命の輝きを謳いながら
命をキラキラと輝かせながら
星空の階段をステップアップした
気負いのない笑みをうかべながら
貴女は生命のメロディを奏でながら
2007年1月10日記
病院から電話が入ったのは午前3時半頃だった。病室に入ったときは心臓・肺ともフラットだった。心肺停止状態だった。姉の最期を看取ることは出来なかった。私に最期を見させるのが辛かったのだろう。姉の優しさだったかもしれない。
2006年12月27日午前3時51分旅立った。
貴女は旅立った
静かに静かに
眠るように
12月27日3時51分
生命のメロディを奏でながら
貴女の生命のメロディを鼓舞した
小鳥たちが寝静まっているあいだに
謝辞を囁きながら
生命のステップを駆け上がった
夜空の星たちが
貴女のステップ・アップを優しく見つめる
一歩一歩
生命のメロディを口ずさみながら
2006年12月27日午前3時51分旅立った。
貴女は旅立った
静かに静かに
眠るように
12月27日3時51分
生命のメロディを奏でながら
貴女の生命のメロディを鼓舞した
小鳥たちが寝静まっているあいだに
謝辞を囁きながら
生命のステップを駆け上がった
夜空の星たちが
貴女のステップ・アップを優しく見つめる
一歩一歩
生命のメロディを口ずさみながら
8月18日に倒れ9月に初オペ11月に再オぺをし以後はMRIでもCTでも腫瘍が顕著に増殖(浸潤)したようなことはなかったと思う。寝たきりの状態になって自力で食事をすることもできなくなり、肺炎を併発し、肺に水がたまり呼吸不全に陥った。膠芽種だったけれど発病後860日も長らえた。やはり「寝たきりの状態」になることが一番悪い状態を招くことになった。
姉が旅立つ前日に看護師長さんに「年賀状は書けますかねえ」と問うていた自分が
いた。師長さんからも「多分大丈夫でしょう」とレスがあった。姉が真摯に病に
向かい合っているのに、なんと自分は器の小さいことに思いをめぐらしていたの
だ。20日前後に「年は越せますか?」という問いかけにドクターからも「意識
の混濁はもっと進むでしょうが年は越せますよ、多分。」12月26日の午後は音
楽好きの姉に本田美奈子さんのアルバム「アメイジング・グレイス」と美奈子さん
追悼のINOUEAKIRA&M.I.H.BAND「wish」を姉に聴かせた。
姉へのメッセージ 今日も謳え 12月26日
テーマ:姉を綴る
謳え
貴女の生命のメロディを
鳥たちも謳ってる
キリキリキリ
チロチロチロ
貴女の生命の調べに共感して
貴女の生命を鼓舞する
雨粒も謳ってる
寒さの浸みいった空間を撫でるように
穏やかな風と息をピッタリ合わせて
シトシトシト
貴女の生を見守るお友だちがいっぱい
謳え
貴女の生命のメロディを
生ある限り
12月26日
いた。師長さんからも「多分大丈夫でしょう」とレスがあった。姉が真摯に病に
向かい合っているのに、なんと自分は器の小さいことに思いをめぐらしていたの
だ。20日前後に「年は越せますか?」という問いかけにドクターからも「意識
の混濁はもっと進むでしょうが年は越せますよ、多分。」12月26日の午後は音
楽好きの姉に本田美奈子さんのアルバム「アメイジング・グレイス」と美奈子さん
追悼のINOUEAKIRA&M.I.H.BAND「wish」を姉に聴かせた。
姉へのメッセージ 今日も謳え 12月26日
テーマ:姉を綴る
謳え
貴女の生命のメロディを
鳥たちも謳ってる
キリキリキリ
チロチロチロ
貴女の生命の調べに共感して
貴女の生命を鼓舞する
雨粒も謳ってる
寒さの浸みいった空間を撫でるように
穏やかな風と息をピッタリ合わせて
シトシトシト
貴女の生を見守るお友だちがいっぱい
謳え
貴女の生命のメロディを
生ある限り
12月26日
ご本人を支援するサイトやブログを拝読すると、家族として病気にどう向き合っていけばいいのかがよく分かる。同じように出来るわけでもないが、それでも、自分だけではない同じ心境の方がみえる、そう考えることが出来るだけでも救われる。もう少し早くサイトやブログに出会えていれば、私も、もうちょっと違うことができたのではと思ってしまう。明日で姉が旅立って五ヶ月目である。
脳腫瘍を患った方の病に向き合う姿勢です。なみなみならぬ精神力というか強い生き方である。でもそれは一朝一夕に培われたものではない。「闘病記」というネーミングがされているが、一人の人間の真摯な生の営みを学び取れる。大いに学びたいものである。
ご本人の「闘病記」を拝読すると病への不安と葛藤、恐怖が綴られている。ご本人のそれぞれの色合いで、病に正面から向き合って、貴重な自己表現・自己実現の場となっている。でも「不安・葛藤・恐怖」から「前向きに生を重ねられ、真摯に生を営まれている。」を読み取れることができる。姉が病に向き合っていたとき、どれだけその気持ちを汲み取れたのだろうか?姉の病に私自身がきちんと向き合えていたのだろうか?
脳腫瘍を患った方が病と向き合い自分を綴ってみえる。そんな事が可能なのか?
実際に多くの方がサイトやブログで綴ってみえる!病を直視し、生の営みを綴
ってみえる。旅立つことは「死に方」ではなく「最期の生き方」の表現なのだ
と感じ取れるようになった。
実際に多くの方がサイトやブログで綴ってみえる!病を直視し、生の営みを綴
ってみえる。旅立つことは「死に方」ではなく「最期の生き方」の表現なのだ
と感じ取れるようになった。
脳腫瘍に向き合っていただけに姉の気持ちが分かるんだと思う。脳腫瘍の話題ばかりではなかったが綴られた文面を読むと妙に落ち着けるのだった。障害を持つ方々のカウンセラーもされていたので「聞き上手」であったし、私の思い(想い)を受け止めていただけた。自分の思いを話せるってことが私には救われた。
お会いしたこともないがお世話になっている友人から
脳腫瘍を患い車椅子の生活をされている方をご紹介い
ただいた。姉にも紹介し、文通などができればいいな
ぁと思った。綴られた小冊子も紹介し姉も目を通した。
姉から手紙を書くことはなかったが、私はその方に思
いを吐露することが出来た。姉の病のことはもちろん
その方が創作もされ短編も綴られているので、私も短
評を綴らせてもらった。
脳腫瘍を患い車椅子の生活をされている方をご紹介い
ただいた。姉にも紹介し、文通などができればいいな
ぁと思った。綴られた小冊子も紹介し姉も目を通した。
姉から手紙を書くことはなかったが、私はその方に思
いを吐露することが出来た。姉の病のことはもちろん
その方が創作もされ短編も綴られているので、私も短
評を綴らせてもらった。
病で右手の機能を失った館野泉さんの話をしたことがある。
左手でピアノを弾く館野さんのCDを聴いてみようか?とか
彼の体験談の本を枕元で読み聞かせをしようか?といろいろ
と提案したことがあった。姉は左の指に麻痺が残り、両手で
ピアノを弾けなくなった。せめて右手でもピアノのに向かっ
て欲しかった。
左手でピアノを弾く館野さんのCDを聴いてみようか?とか
彼の体験談の本を枕元で読み聞かせをしようか?といろいろ
と提案したことがあった。姉は左の指に麻痺が残り、両手で
ピアノを弾けなくなった。せめて右手でもピアノのに向かっ
て欲しかった。
姉が倒れて間もないころです。病床の姉とのコミュに戸惑いを感
じていたとき、担当の看護師さんに「どうやってコミュしたらい
いのですか?」と尋ねました。「普段通りの自然なコミュニケーシ
ョンがいいですよ」と答えが返ってきました。「さすが看護師さん」
と思いました。至極もっともなレスだと思いましたが、そんなコ
ミュって可能なのかって考え込んでしまいました。
じていたとき、担当の看護師さんに「どうやってコミュしたらい
いのですか?」と尋ねました。「普段通りの自然なコミュニケーシ
ョンがいいですよ」と答えが返ってきました。「さすが看護師さん」
と思いました。至極もっともなレスだと思いましたが、そんなコ
ミュって可能なのかって考え込んでしまいました。
姉はピアノ講師をして生活し経済的に自立していたので
病に倒れて本当に悔しい思いをしました。路上で意識不
明になり病院に搬送されました。病院に駆けつけて姉に
話しかけていたときに痙攣がおき、姉の手を握りしめる
ことだけしかできませんでした。「左手の指が思うよう
に動かない」と何度も口にし、指をなんとか動かそうと
していました。両手を使ってピアノが弾けなくなりまし
た。以後姉がピアノに向かうことはありませんでした。
脳腫瘍の疑いありで転院しましたが。結果として生活の
糧が絶たれましたが、ピアノを弾けなくなった姉にかけ
る言葉を失っていた私がいました。(続く)
病に倒れて本当に悔しい思いをしました。路上で意識不
明になり病院に搬送されました。病院に駆けつけて姉に
話しかけていたときに痙攣がおき、姉の手を握りしめる
ことだけしかできませんでした。「左手の指が思うよう
に動かない」と何度も口にし、指をなんとか動かそうと
していました。両手を使ってピアノが弾けなくなりまし
た。以後姉がピアノに向かうことはありませんでした。
脳腫瘍の疑いありで転院しましたが。結果として生活の
糧が絶たれましたが、ピアノを弾けなくなった姉にかけ
る言葉を失っていた私がいました。(続く)
今日は貴女の病院での全生活を読み込んできました。貴女が奏でた生命のメロディは「生きるってことは」「命の輝きとは」と私に問いかけてくれました。時には「私の生き方」をも揺さぶり、真摯な生を重ねるように励ましてくれました。幸いなことに貴女と同じ病を持ちながらも懸命に生きる方にも、おなじ病を持つ人を支え、鼓舞する人々に出会えました。貴女が旅立ったことは悲しいですが、貴女が奏でた800日の生命のメロディを私なりに綴り、みなさんのお役立てたいと思います。2007年5月16日