脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

在宅で介護(ケア)をすること

2011-01-24 20:19:28 | 交流
在宅で介護(ケア)をすること
オペの終了後病院での療養を終えてお家で生活されるご本人を支える、ご本人やご家族にとっても「我が家」はやはりよきものです。しかしながら在宅の場合、バリアーがたくさんあって車椅子を使いにくいこと、家の改造(手すりをつける、段差をなくす)も必要になってきたり、自力で歩行ができてトイレに行かれる場合は宜しいのですが、そうでない場合は歩行や排泄の介助が必要になります。ヘルパーさんや訪問看護を利用できる場合はいいのですが、介護保険を利用できるかどうか、ご本人がそうしたサービスを受け入れられるか、ご家族がケアを分担できればいいのですが、お仕事があったり、子育てがあり、キーパーソンの方に精神的にも身体的にも負担が多くなったり、財政的な負担もあるかと思います。高額医療費など公的なサービスもありますが、知っていれば活用できるものも、そうでないと活用できません。当然のことですが予期せぬ体調の急変、痙攣の発症もあります。そういう場合は家族での対応が必要となります。ご本人とのコミュニケーションはもちろんですが、家族内のコミュニケーションにも気を遣われることも多いかと思います。在宅での介護(ケア)についての家族のみなさんの想いを綴っていただき、お知恵をお借りしながら、少しでもご本人にとって、ご家族にとってより良いケアができればと願うものです。

脳腫瘍に起因する高次脳機能障害

2011-01-24 16:44:06 | 交流
高次脳機能障害(記憶障害、注意障害、遂行機能障害などの認知障害を主たる原因として、日常生活および社会生活への適応に困難を有する障害)
2009年見て覚える介護福祉士国試ナビP143 より引用
脳腫瘍に起因する高次脳機能障害について綴られているブログが多くみられます。ご本人も発症前なら出来ていたことが出来なくなった、あるいは出来にくくなっている、計算や漢字の読み書き、自動車の運転、薬の服用などサポーターが指示されるのだけれどご本人は忘れてしまわれる、待ち合わせ場所など、ご本人の苦悩はもちろんのことですが、サポーターである家族の者も、どのように対処されていいのか、どのようにご本人に言葉掛けをされたらいいのか、個人差もあるでしょうし、発症の違いもあるでしょうが、こんなことを書くのは恥ずかしいとか、そんな想いはご無用になさってください、愚痴になられてもけっこうです。サポーターのみなさん、ご本人のみなさんの積極的なご投稿をお願いします。どうか率直な想いを出し合える場としてご活用いただければ幸いです。                   2011年1月24日そよかぜ記

家族を介護すること(3)

2011-01-19 22:53:51 | 介護保険
姉は金曜日に通院し、定期の血液検査とMRI,終了後受診でした。付き添いで尿検査、血液検査をするのですが、トイレは男女共用で尿を採取するのですが、自力で採尿が出来る時は良かったのですが、そうでなくなると姉と一緒にトイレに入り、姉は右手を使って採尿していました。車椅子を使うようになると、姉を車椅子から移動(移乗)させ、姉の身体を支えトイレに誘導しました。採血もだんだん回を重ねると、腕に採血跡が残り痛々しくなりますし、採血する血管を探すのに看護師(検査技師)さんが温かいタオルで腕を暖めていただくなどしていただきましたが、血管からの採血はとても難しくなっていきました。MRIも最初の頃は小生が見守りながら自力で行っていましたが、やがて車椅子、後期は寝台(ベッド)で行くようになりました。看護師さんも人手不足で、家族で出来ることは家族でという方針のようでした。自宅でも最初は床に布団を敷き寝起きしていましたが、左半身に麻痺が広がると、自力で寝起き出来なくなり、ソォファーを使って寝起きするようになりました。排泄も自力でしていたのですが失禁することもあり、困難になりキャッチ(パット)を使用することになっていきました。在宅の時は自力歩行が出来るときは見守りでよかったのですが、やがて車椅子に乗りながら必要な食材を購入しにいくようになりました。最初の頃は調理も出来ていたので食材を買っていましたが、自力で調理が出来なくなると、レンジで調理出来るものが多くなり、菓子パンとかクラッカー、ビスケットのような物が多くなりました。一人で療養生活を送るのはだんだん厳しくなっていきました。職場にも携帯に連絡が入り、「今から救急センターに搬送します。」ピーポーピーポーという音が聴こえてきました。救急車が来る頃には痙攣は治まっていたのですが、念のためということでセンターに運ばれていました。職場からセンターに駆けつけると、姉は広いロビィーに一人待っていました。薬をこぼしたり、紛失することもあり、急遽、病院に駆けつけたりしました。抗がん剤や痙攣防止の薬を紛失すると、探すのに一苦労でした。幸いだったことは、病院は拙宅から見えるところにあり(30分)、姉の家も市外でしたがローカルな地ですので車で40分程度だったことです。


家族を介護すること(2)

2011-01-04 23:03:10 | 介護保険
姉は弟の世話になるなんてことは考えもしないことだっただけに、自分がそういう立場になったことが姉にとっては一番辛かったことだと思う。オペや療養生活に掛かる費用などの負担が心苦しかったと思う。脳腫瘍についても、発症前に偶然グリオーマの新聞の切り抜きを持っていた。そしてカルテを読むと、姉は入院直後から看護師に自分の今後について(療養生活、余命、死)の不安を述べている。そして病床で一人涙する事も多く、看護師に自分で考えたいから「一人にして欲しい」と訴えることもあった。しかしドクターや看護師に語ることはあっても小生に病気について語ることはなかった。姉は底知れない不安のひとつひとつを小生に語っても、小生が動揺するばかりで、姉としてはこれ以上の心配をかけたくないという一念があったのだろうと思います。だから自分の病気の心配は尽きるものではなかったけれど、弟の小生のことを案じていたのだろうと思います。小生にとって大きな救いは脳神経外科の病棟に教え子がおり,リエゾンナースの存在を教えてくれ、看護師として毅然と対応してくれたことでした。

家族を介護すること

2011-01-03 22:15:40 | 介護保険
姉はシングルであったため結果としてキーパーソンになってしまった。ピアノを教えることを生業とし、小生の思い出のひとつには「暇があればいつもピアノを弾いている人」であった。経済的にも自立し、脳腫瘍という病で倒れなければ、弟の手を借りて生活するなんていう気持は微塵もなかったと思う。その姉が倒れ、小生は転職し介護の仕事に就くことになった。姉の通院日が金曜日であり、金・土は姉の介護、その他の日は認知症のグループ・ホームの仕事となった。仕事で介護する場合は、利用者さんの家族関係や既往症などの概要を把握し、ケア(介護)をするのであるが、あくまでも利用者さんは「他人」であるわけです。ところが姉の場合は血が繫がっており、同じケアをするのですが何かどっと疲れるわけです。初期は左手の指にだけ麻痺があり、入浴の準備をすれば、自力でなんとか洗身、洗髪も出来たし、姉が主に生活をしていた部屋から浴室への移動もできたし、午前中は買い物、午後は入浴というケアの内容であった。車椅子の生活をしていたわけでもなく、排泄も自力で出来ていた。安全のため手を添えてはいたが、なんとか自力歩行も出来たし、調理も左手をカバーしながら、かろうじてできていた。利用者さんのケアに比べれば身体介護は安易でした。でも姉の生活を見ていると、元気な姉を知っているだけに、姉は実に気丈でしっかり者であっただけに、姉の身体に手を添えるのもとにかく緊張していました。やはり脳腫瘍という病気でしたし、予後が思わしくない神経膠芽腫であったからだと思います。8月に発病、9月にオペ、ほっと一安心と思ったら11月に再オペ、とんでもない病気だとそら恐ろしくなりました。年を越せないのではないかと危惧しました。職場の同僚は理解もあり、いろいろなアドバイスもしてくれましたが、姉とのコミュニュケーションが一番の課題でした。自然なコミュニュケーションが出来ないわけです。言葉を選びすぎて、話が繫がらない、緊張というか神経がピリピリになっていました。おまけに「病院に献体をする」とか、「臓器移植は可能か」とか、「お墓に入りたくない」、治療費が大変だろうから「ピアノを売却する」とか、姉自身も先々のことを慮って、いろいろな提案をしてきました。左指の麻痺が左上肢から左下肢に広がり、自力では生活が出来なくなり再入院になりました。薬を服用するためには食事をしなくてはなりませんが、食事も料理が出来なくなってからは御菓子のようなものを食べていましたし、薬が多いためにこぼれたり、昼夜逆転し訪問するといつも寝ていたりという状況でした。訪問看護やヘルパーさんのケアも提案しましたが、頑なに拒絶していました。

今年も想いを重ね合わせあわせましょう。

2011-01-02 23:16:03 | 交流
今年も想いを重ね合わせあわせましょう。「俺(わたし)の気持なんか誰にもわかるまい 絶対にわかるまい」と人との関係を遮断したい気持、「俺(わたし)の気持、わかって欲しい、どうしたらいいのだろうか、一体何をすればいいのか?」藁にも縋りたい気持が心に同居していたように思います。姉を旅立ちを見送った小生としては、今は比較的冷静に綴ることが出来ますが、今もご家庭で、あるいは病院でご本人を支える方にとっては、そんな呑気な心境ではなかろうかと思います。頭の片隅にご本人の病が、いや頭の大部分に居座っていて、「ちょっと休憩」なんていう気持を抱くことがなにか許されない、そんな気持を抱く自分自身を責めてしまうことはありませんか?俺(私)が支えなくて、誰が支えるの、そういう気持になられると思います。そしてそのために一心不乱にご本人に寄り添おうとされる、寸刻を惜しんで、出来ることは何でもしようと考えられるのではないでしょうか?もっともっとシビアーな状況にありご本人の手をしっかり握って想いを伝えようとされてみえる方もおありだと思います。脳腫瘍のご本人を支える、ご本人と一緒に病に向き合う、言葉で言うのはそれほど困難ではありませんが実際にご本人を支え、ご本人と一緒に病に向き合うというのはなかなか大変なことです。誰もが(おそらくほとんど全ての方が)、ご本人を支える立場になることが初めてだからです。脳腫瘍と言われても最初は何が何だか分り難いのです。ご本人と相対しながら、ケアをされながら、少しずつ病に向き合っていけるのだと思います。なかなか受け止められない現実を少しずつ受け入れていくのだと思います。試行錯誤の日々であると思います。そういう日々を重ねながら、それぞれのご家族にあったケアを「創造」されるのだと思います。そういう意味で手探りだと思います。なかなか思い通りにはいきません。時には辛い選択や決断を迫られることもしばしばです。横着を綴りました。キーパーソンになられた方はどうかおひとりで思い悩むのではなく、自分を追い詰めることなく、ご自分を想いを話され、頼れる人のお知恵や力を借りましょう。この場で良ければ、どうか貴方(貴女)の思い〈想い〉を綴ってみてください。最後に小生のブログにリンクしていただいているご本人、ご家族のみなさんに感謝したいと思います。小生の綴ることは全くと言っていいほど中身はありません。でも、レス(コメント)をしていただけるご本人やサポーター〈家族の方など〉の想いには学ぶことが多くあり、心洗われることが度々あります。微力ではありますが本年もこのブログを続けることにいたします。ご理解とご協力を宜しくお願いします。2011年1月2日そよかぜ記