脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

13回忌法要

2023-07-17 19:26:07 | 日記 2
昨日、夫の13回忌法要と納骨を無事に終えた。

久しぶりに親戚の方々がたくさん集まってくださる予定だったが
コロナ感染などがあり
集まれたのは11人だった。

それでも、みんなで夫の思い出話をしたり
たくさんのお心遣いをいただき
ここに夫がいたらどんなに喜んでくれただろうと思うような
心温まる法要だった。

納骨は
唯一の夫の一部がなくなることが
とてもつらくて
踏ん切りがつかなかったのだけれど
地元のお寺の納骨堂で
そのまま安置していただけて
会いたくなればいつでもお参りできると知って
とても安心した。
ちゃんと名前を入れて安置していただけて
ここに大切に安置していただけることがわかって
本当に本当に安心した。
自分もいつまで元気で過ごせるのかわからないので
安心できる場所に納骨でき
思い切って納骨してよかったと思った。
義姉や義弟にも実際に見てもらって
安心してもらうことができてよかったと思っている。

今日はご近所や親せきに
「お華束」配りをした。
とても暑くて
へとへとになって
こんな大きな行事は
きっともうできないだろうと思いながらも
たくさんの思い出話をすることができた。
夫がつないでくれた人達とのご縁を思いながら
幸せなひと時を過ごすことができた。

そうしたご縁を残してくれた夫と
今も夫を忘れず、大切に思ってくださるたくさんの人たちに感謝。


弱い私

2023-02-13 20:55:40 | 日記 2
またひとり、大切な人を失いました。
障がい児をもつ保護者の集まり(育成会)で知り合った方でした。
奥様は夫が発病した年に亡くなられ
以来、一人暮らしをしてこられました。

いろいろな場面で、その方が語られた言葉を
その独特の語り口とともに思い出します。

晩年には
「女房の遺言だから・・・」と
障がいのある息子さんのために
いろいろなことをしてくださいました。

お通夜で、そんな話をしているとき
ふと気づいたことがあります。
その方のお声も、口癖もしっかり思い出してマネできるのに
夫の口癖は思い出せるのに、
口調はまねできないのです。
そのことに気づいたとき
とてもとても苦しくなりました。
どうして夫の声や口調が思い出せないのか
いちばん思い出したいことなのに・・・
いまだに
思い出すことに耐えられないほど
私の心は弱いのか・・・と

すべてを思い出し
大切に心の中に抱いていたいのに




新しい年を迎えて

2023-01-03 19:42:07 | 日記 2
実は年末、ブログの更新をしようとしたのですが
どうしてもログインできなくて、
どうしようかと思っていました。

パソコンを新しくしたことと関係があるのか、ないのか・・・

思いつく限りのパスワードを入れても
どれも「違う」と言われてしまいました。

今日、再度チャレンジしてみたらヒットしました!!

でも、このパスワードも年末に入れてみたんだけど・・・
焦っていたから、間違えたのかも・・・?
最近、こんなことが増えて、「歳」を感じることが多くなりました。

新しい仕事はなんとかこなしています。
今年は新しい資格を取りたいと思っています。

今年は夫の13回忌の年です。
人が集まることが大好きだった夫。
田舎の本家の長男として
いつも親戚の人達のことを考えていた夫の気持ちを思い
できることなら、従兄弟たちも誘いたいと考えています。

娘は今も夫が運転していた会社のバスを見ると
「お父さんのバス!!」といいます。
公共交通機関の衰退に伴い、路線が縮小され、
この辺りではめったに見かけなくなったのですが
大学病院など、都市部まで出かけるとまだたくさん走っています。
夫が運転するバスに乗って出かけたことは
娘にとってかけがえのない思い出なのだろうな、と思います。
そんなふうに、娘の記憶の中の夫に会えることが
私にとってはとてもあたたかな出来事になっています。

ほんとうにたまにですが(数か月に一度くらい)
夢に現れてくれて、私に助言してくれることがあるのですが
なぜか声が聞こえないのです。
声は聞こえないけれど
ちゃんと何を言っているのかはわかります。
目が覚めると
夫が言いたかったことはちゃんと私に伝わっています。
あのころ、もうちゃんとした言葉が話せなくなっていたのに
私に伝えたいことがたくさんあって
言葉が伝わらないもどかしさに苦しんだけれど
今はちゃんと伝わっています。
あのころも
こんなふうにわかってあげられたら
どんなによかったことか・・・
わかってあげられなくてごめんね、と今も思います。

だんだんと年を重ねて
以前のようにできないこともたくさんありますが
今年も、夫の思いを受け継いでていねいに生きたいと願っています。



えにし

2022-08-22 20:00:12 | 日記 2
私には
母の違う姉と
父の違う兄がいる

姉とは一緒に育ったが
兄の存在を知ったのは高校1年生の時だった

兄の存在を知る以前
私は常に姉との比較の中でしか褒められることがなかった
常に姉と比較して
姉を叱責するための材料として
私の行為は褒められた

だから
私は
姉が叱られないために
できるだけ
悪い子でいなければならなかった

私は
自己肯定感をもてないまま
自分のせいで不幸になっていると思っていた姉が
しあわせになったら
死のうと思い定めていた

そして
姉が結婚した高校1年生の時
父親の違う兄の存在を知った

兄がなぜ共に暮らせなかったのか
知りたいと思った

そして数年が過ぎ
夫の2軒隣の家に
幼い時に養子に出されたことを知った

夫が3歳の時
川に流された夫の命を助けてくれたのが
その兄だったことも知った

私は
姉を虐待する母を憎み
兄を引き取らなかった父を非難し
父とも母とも
親子らしい心のつながりをもてずに過ごしてきた

そして

私の心を支えてくれているのは
その兄と姉だ

両親を非難し
憎み
親子らしい情愛を育てることができなかった私の
乾ききった心に
姉兄として
かわらず暖かな眼差しをそそいでくれる
2人に
どれだけ支えられていることか

そして
兄との縁をつないでくれた夫に
こころから感謝している




50回忌

2022-08-15 17:23:00 | 日記 2
昨日は義父の50回忌を営んだ。
夫の父。
夫が19歳の時他界された。
それ以来、夫は母と祖母の面倒をみてきた。

義弟はまだ17歳、学生だった。
義弟が当時通っていた専門学校を退学したいと言ったとき
夫は仕事を休んで
当時の先生たちに会いに行き
義弟が学校を続けるよう説得した。
義弟はそのとき身に着けた技術を
退職まで活かすことができた。

夫の闘病中
誰よりも夫を支えてくれたのはその義弟だった。
今も、男手が必要な田舎の暮しを支えていくれているのは
その義弟だ、

昨日は
隣県へ嫁いでいる義姉も3年ぶりに帰郷し
姉弟そろって50回忌のお参りをすることができた。
夫が若かったころのような「家と家のつきあい」は減り
コロナ禍もあいまって
親族が集まる機会は激減した。
それでも、
姉弟だけでもいっしょに
お参りができたことを本当に良かったと思う。

夫がなによりも大切にしていた
「人と人が集う家」という思いを
こうして引き継いでいけることに感謝。

午後は「お花束配り」をした。
夫が大切にしていた人たちに会い
今の私の生活を気遣っていただいた。
これからも
夫が繋いでくれたこのご縁を大切にしていきたいと思った。