現在もサポートされている方々、旅立ちを見送った方々、その気持ちのずれを強調するよりも、脳腫瘍という病に向き合った、向き合っているその一致点を大切にしたほうが交流の幅が広がると思う。サイト(ブログ)を拝読していて、旅立ちを見送った方々にサポートされている方々のコメントがあり、サポートされている方々のそれに見送った方々からコメントが寄せられている。自然でありこれでよいのである。立場の違いを確認しながらも、それぞれの方々がご自分の思いを綴られること、それが大事なことであるように思う
脳腫瘍の家族の交流といっても、今、この瞬間も病に向き合い看護・介護をされている立場の方々とすでに旅立ちを見送った方々では気持ちのずれがあるのではないか、そんなご指摘を受けた。前者の場合、看護・介護に手一杯であるのは当然で交流のことなど考える余裕はない、それが本音だろうし自然な気持ちだと思います。にもかかわらず看護・介護の様子を日々綴られている方もおみえで、その一途な気持ちにそのブログ(サイト)に集う仲間のみなさんがコメントされ交流の場になっている。後者の場合は結果として思い出を綴るかたちになります。過去形として記される。もちろん前者の立場から後者のそれに当然変わられる場合もあります。私としては前者と後者の共通項を大切にしていきたいと思いますがいかがでしょうか?脳腫瘍の家族の交流のいってもそれぞれの立場があり、その思いもまた様々でありましょう。共通項は脳腫瘍という病いですがみなさんのご意見や感想をいただければ幸いです。まぁ、焦ることなく、慌てることなく綴ってまいりたいと思います。2007年8月18日