続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『与えられたとせよ:⑴落ちる水、⑵照明用ガス』②

2016-09-06 06:47:14 | 美術ノート

 『与えられたとせよ:⑴落ちる水、⑵照明用ガス』

 与えられたとせよ:というのは、命令形であり、強制である。「元始からすでに在ったのだから、それを従順に受け入れなければならない」というメッセージであり、大いなる肯定を前提条件としている。
 ⑴落ちる水、水は落ちるもので自然の理に他ならない。
 ⑵照明用ガス、証明用ガスは人智の成せる技であり、人類の歴史の発端ともいえる。この気体は有益であると同時に有毒でもある。

 まず光があり、水(海)と大地(草木)がある光景、これが地球の始まりであり生存の連鎖の糧である。
 レンガで縁取られた古い木製のドアは、年代や歴史を語っている。昨今の話ではなく、ずうーっと遡る昔をイメージしている。しかしそのドアにある小さな穴から覗き見た光景には更なる衝撃が・・・。
 ガス燈(照明用ガス)を手に持つ裸体の女、しかも大股開きの淫乱である。人類の祖は女のDNAでしか辿れないと聞いている。肉体に対する欲望が人類の連鎖を縷々つなげている。
 ドアの内側に秘められた隠された真実が、現在という世界を創り出したのである。
 落下(落ちる水)と上昇(照明用ガス)のイメージは円環を描く。
 世界の循環・人類の進化は、『与えられたとせよ』という諦念めく強制としての肯定ではなかったか。人類の今在るは、決して否定されるべきものではない。

 《無》を追求したデュシャンの《有》への大いなる肯定である。

    


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


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