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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』

2017-05-30 06:31:20 | 美術ノート

 『ローズ・セラヴィよ何故くしゃみをしない?』

 何故、これをプレゼント用に制作したのか、その意図はどこにあったのだろう。
 どう考えても必然性に欠けるものである。このプレゼントを部屋のどの位置に置けば納まるのか、思案しても答えの出ないようなガラクタではないか。

 無為・無策に見えるこの代物に価値を見出すことは難しい、むしろ価値の放棄である。しかも(あるがままの自然)ではなく、(作為ある不自然)は鑑賞に応える要素の欠如したものであり、失望を引き出すことは必至である。

 大理石を角砂糖型に小さくカットしたものの152個は、角砂糖152個に比して相当に重い。見かけと実体の落差、大理石の温度を測るという無為。小さな(小さすぎる)鳥かごの窮屈、イカの甲という残骸が頭をのぞかせている開口。
 小鳥の不在、もし小鳥がいたとしても小鳥はこの中で飛翔できず、長期に至っては死を待つばかりの空間の狭さではないか。

 プラスの要素はなくマイナスの要因が居座っている景であり、凝視に耐えない。愛着を以て手に取ることにも拒否反応が出る、それを兄が親愛なる妹に送るように制作した第三者であるデュシャンの意図とは。
『ローズ・セラヴィよ何故くしゃみをしない?』は、「もう一人のわたしよ、なぜ出てこない」であり、この物には《飛翔せよ、この混沌を抜け出でよ》というメッセージが深く沈み込んでいる。

 見かけよりも重いという意外性、社会は虚偽に満ちている、この普遍の真理に気づけということかもしれない。不条理・愚鈍・退屈・陳腐…未来を見いだせない物の摂理は、思考の試金石であり、換言すれば、《価値の原石》である。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


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