
どう見ても意味の伝わらない景色である。開口部から見える青い光景は空なのか海なのかの判別が難しいが、前面の室内とは時空を隔てた空間かもしれない。
石をはめ込まれた壁は堅固な遮断を意味するが、そこにバラバラに切断された身体の意味は?
溶解し変容した部分は何を意味するのだろう。
不可解な絵である。
動けないという視点からは束縛を感じる重く辛酸なイメージがあり、罪の贖い、見せしめという恐怖もある。
マグリットには石化というイメージの変換がある、そのプロセスなのだろうか。
休息・・・Rest、残余…分散。
軽業師・・・軽業師もよもや自分の身体を切り刻むようなことはあるまいと思う。休息というより「死」である。このように見せかける技なのか、しかし休息とある。危険・不安定を旨とする命がけの見世物興行である。
この石の壁が直立していることも極めて摩訶不思議な現象である。この不安定な、しかし強固な壁に休息を得る身体をもって生業とする軽業師の休息とは何だろう。床面の緑いろは平安を暗示しているかもしれない。
鑑賞者の目の前に描かれているので前面という思い込みがあるが、観覧席から隠れている場所、エリアなのだ。
奇天烈な身体の技をもって人目に曝してはいるが、この強固な壁に隠れて休息を求めている軽業師は一瞬たりとも動かぬ石に同化し安息に浸っている。
《心の中(本心)と大切な秘所は曝さない》
女と男らしき頭部と身体。女の胸部・腹部・腕、手は男の手のような気もする。男らしき肩、よく見ると、これらの部位は接合されている。
母恋、母の胎内に眠る夢想、よく分からない形のものは子を孕んだ子宮かもしれない。曖昧模糊とした思慕の原点。
自分は軽業師のような者であり、含みのある(奇天烈な)作品で思いの全てをさらけ出しているが、「決して本心を語ることはない」…しかし休息の安らぎがあるとするならば・・・。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
賢治の精液を自らの子宮に導き、懐胎することによって賢治を生み出す。
自らの肉体の半分を賢治にのめり込ませた新生賢治は、
母になった節子にmental sketch modifiedを語ってくれるに違いない。
・
節子はこう語る。
≪納得出来るまでには数 年、否、十年近い月日をかけている。歩いていても、
電車に乗っていても、食事のとき も賢治を考え、自ら朗読した
mental sketch modifiedの録音テープを聞きながら仕 事をし、
就寝時にもそれを回すという奇妙で孤独な生活が続いた。
そしてある日、言葉 が言葉を超えて解読の手がかりを直観したのである≫
・
その日、節子は懐胎したのですね。
精液との遭遇、その交情の瞬間を語る節子の歓びが激しく胸をうちます。
≪それでもなお輝く志向の高さに惹かれながら、むしろ有り難くも遭遇できた ≫
≪おれはひとりの修羅なのだ≫
この岩峰に立つと遥かに遠い地平の彼方から、認識の限界を超えてやって来る微かな波動に気づく。
敢て微かな波動を受け止めようと、全身をアンテナにして開くと、
灰色鋼から木通(あけび)の蔓が雲に絡まり、琥珀の欠片が降り注ぎ、聖玻璃〔せいはり〕の風さえ行き交うのだ。
灰色鋼を縦糸にして木通の蔓を通し、琥珀と聖玻璃で紡ぐと、
朧な心象に ≪おれはひとりの修羅なのだ≫との波動が浮かび上がる。
寝室のテラスが煌々と月明かりに照らされ、竜舌蘭科の鋭い剣先が淡い影を落としている。
むっくり起き上がり、濱田節子とは何者なのか追ってみた。
ウェブサイトは元ラジオNIKKEI契約アナウンサーの浜田節子ばかりで、
「春と修羅」解析の濱田節子はブログ、フェースブックにあるだけでプロフィールが掴めない。
フェースブックは止めてしまったので、ログイン出来ないし、
ブログのプロフィールも読者会員にならないとログイン出来ない。
・
禁欲的な賢治に迫り、無謀にも性交を試みた濱田節子。
その結果生み出された私生児は、ひっそりと身を潜めていた。
何故今まで私生児の存在に仙人自身気付かなかったのだろうか?
どうして日本のマスコミは無視に等しい沈黙を私生児に対し、とり続けたのか?
月明かりの元で、改めて「おれはひとりの修羅なのだ」との賢治の背景に想いを馳せる。
プロフィールを教えていただけませんか?
もう少し濱田節子を知りたいと思い、ついこんな方法をとってしまいました。
以下に勝手に載せた著作権侵害と共にお詫びします。
お許しください。
http://www.geocities.jp/upiter4773/20150606/119nikki2.html
風貌は鈍くさい膝痛持ちのおばさん(お婆さん)というところです。以上。
ちなみにブログは、性的発言や不愉快な礼を欠く発言は避けています。本名は濱田節子ですが、浜田節子で書いています。