
曇りなき空を、無垢あるいは無心というのなら、雲の散在する空は心の闇、心の翳りということかも知れない。
呪いという感情は計画的に湧き出るものではなく、負の感情の高まりが総じて呪いのような悪意を惹き起こすのである。
暴落、失敗、嫉妬・・・あらゆるマイナ要因は人心を刺激する。精神の均衡を崩すとき、向かう対象への『呪い』が生じる。
打つ手がない、策のない窮乏に『呪い』は救いでもある。
しかしその『呪い』には物理的戦略はなく、客観的に見れば単に狂気の領域に足を踏み入れたに過ぎない。
その無為無謀のエネルギーは決して答えを発しない空に向かう。空、とりわけ不意に沸き不意に消えて行く雲の存在は、『呪い』の空虚を映し出す。
『呪い』は、『空に散在する雲』に匹敵するかもしれない。
形を定めずに沸き、いつかは消えて行く雲の在り様は、『呪い』の憤懣に類似する。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます