
作品を見ていると、すべてが人工物(人為的な構築)であることに気づく。
ある意味、叡智の結集であり、人の為す術に因るものばかりである。
平面は原初の発見であり、段階を踏み、あらゆるは集積されつつ今日に至っている。絵画作品という伝達もそれに外れない。
しかし、とデュシャンは問う。階段はすでに外されてもいいのではないかと。
絵画作品における表現方法は尽くされている。世界の時空を封じ込める、あるいは解放する手段を模索したいと思うなら、この絵画作品(二次元)から脱却すべきではないか。少なくともデュシャンにおいては、この手法での究明は方向性に違和感を感じている。
迂遠な手段方法である。
『花嫁』の冠をこの作品に籠め、新たな転換点としたのではないか。彩色の揺らぎ、構図の平穏、主体への共感…アートは変革すべきだという主張がここにある。
写真は『DUCHAMP』より www.taschen.com
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