『振動尺試作Ⅱ(2nd Stage)』
振動は、音や波などの計測の際の振幅のことであり、計測はできるが本来固定はない。にもかかわらず、振動尺と命名している。
ヒューマンスケール・・・身体的な感受を、精神的な質的変換を試みる実験である。
振動に関して視覚で捉えるという試作。
目の前の空間は並べて直線的あるいは無と感じ、詩的なセンスで言葉に置き換えることはあるが、質量をもった物質に置換することは考えにくい。
目の前の空間は静謐だと捉え、対象をつなぐ空気というより空という感覚である。
物(対象)を見る場合、距離に対する概念は確かに在る。しかし、それが層となり振動と化しているという考えには至らない。
ただ空間には光の波があるし、音波も交錯しているに違いない。
学習されたデータ、データの集積を含んだ感度での振動尺であるならば、物理的にも精神的にも否定するものではない。
大いなる肯定(感動・納得)とは冷めた距離があり、振動(揺れ動く事象)が固定化されていることに違和感を感じざるを得ない。
重ねられた分断、前後に見える留め金(圧力)、傾斜に見える突起、全体がストレートであること・・・対象と結ぶ空間にこれほどの遮蔽物が隠されていることなど・・・個人的感想にすぎないのではないかという疑問。
対象との間を妨げる抵抗、振動尺の存在、改めて考え、共鳴できるまで作品から学んでいきたい。
写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館より
するとおっかさんのねずみはいかにも心配さうにその音の工合をきいてゐましたがたうとうこらへ切れなくなったふうで
「もう沢山です。どうか出してやってください。」と云ひました。
☆新しい配(とりあわせ)を隠した講(話)である。
劫(極めて長い時間)の説(話)を択(良し悪しを見て、より出す)。
太陽を推しはかる運(めぐりあわせ)である。
にもかかわらず、わたしたちは、クラムができるだけ気持よく仕事に専念できるように見張っていなくてはならない義務があるのでして、クラムにとってなんの障害にもならないようなことであってもーおそらくクラムにとっては、この世に障害なんて存在しないでしょうがー障害になるかもしれないとおもえば、これを除去するのです。
☆にもかかわらず、わたしたちは、クラム(氏族)が満足のいくように義務付け、我々自身の障害となりうると感じるとき、要するに小舟を除去するのです。