続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『耕耘部の時計』㉓

2018-09-13 07:18:01 | 宮沢賢治

 ほこりはいっぱいい立ち、午ちかくの日光は四つの窓から四本の青い棒になって小屋の中に落ちました。


☆律の語(言葉)は化(教え導く事)の講(話)である。
 視(気を付けて見ると)双(二つ)の試みがあり、翻(形を変えてうつす)と章(文章)は膨(大きくなる)。
 照(あまねく光が当たる=平等)を臆(推し量り)注(書き記している)絡(すじみち)がある。


🈞マグリット『心のまなざし』

2018-09-13 06:32:17 | 美術ノート

    『心のまなざし』

 わたしは地上に立ち、その存在の真理を凝視するものである。絶対の真理、あらかじめ決定している自然の理に逆らうものではない。
 しかし、心のまなざしは物理的条件の束縛から解放されている。たとえばこの建屋のごとくであり、立地に対し上部の部屋の増殖はバランスを著しく崩し不可能とも思える造作になっている。
 物理的に成立し得ないことも精神的条件の範疇でなら可能であることの提示。
 心のまなざしと銘打つこの建屋のは窓より小さな入口が付いている。入口が小さいということの意味には外部の人間を歓迎しないという暗示がある。
 窓は大きく、また数も多い、複眼である。しかしこの窓は閉じており、遮蔽のカーテンも引かれているようである。つまり《見るが見せない》というポーズである。

 この建屋の外観は美的とは言いがたい。むしろ不格好極まりない、不安定であり風が吹けば一瞬にして倒壊を免れないような造りである。常に揺れているに違いない。
 心の中を巡る思考の是非、建屋にリンクしているようなバックの不穏な空模様。
 貧弱なこの建屋を指して『心のまなざし』としたマグリットの自虐が垣間見える。しかし、わたし(マグリット)は、このような状況においても決して倒れることなく複数の眼差しをもって世界を観察するという声明でもある。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』㉓

2018-09-13 06:16:32 | 宮沢賢治

  このひとは案外にわかいのだ
  すきとほつて火が燃えてゐる
  青い炭素のけむりも立つ
  わたくしもすこしあたりたい
    (おらも中つでもいがべが)
    (いてす さあおあだりやんせ)
    (汽車三時すか)
    (三時四十分
     まだ一時にもならないも)
  火は雨でかへつて燃える


☆暗(秘かな)我意である。
 化(教え導く)念(思い)で照(あまねく光が当たる=平等)の譚(話)を組(くみ合わせ)注(書き記している)。
 記が写(うつしだすこと)に算(見当をつけて)恃(たのむ)。
 散(自由気ままな)字の詞(言葉)は道(神仏の教え)の文を逸(隠している)。
 自(わたくし)は、化(教え導くこと)を念じている。


『城』3028。

2018-09-13 06:05:12 | カフカ覚書

見たところ善良そうな、子供っぽくて陽気な、無責任な、天から、というのは城から吹きばされてきたような若造ども、それに、子供のころの思い出がちょっぴりー


☆外観は善良そうで無邪気で無責任な高みから、つまり城(本当の死)から息を吹きかけらrて来た若者ー多少、先祖の子供時代を思わせるようなー