花鳥風月にときめく季節になりました。
公園墓地では、ボランティアで植えた彼岸花の球根が花を咲かせているそうですし、我が家の彼岸花も真っ赤に。
この彼岸花の球根をくださったAさん、夜逃げ同然で、ある晩から不在になってしまいました。誰かの保証人になったという話、わたしも父が保証人になったせいで大変な苦労を強いられましたから他人事とは思えず涙しました。
彼岸花には悲しい思いが過りますが、それでも力強く元気に行くしかないと励まされています。
『快楽』
レースのついた純白の大きな襟や袖口は少女の装いである。その少女が口にしているものを見ると絶句せざるを得ないが鳥の生肉である。
非情・残酷・野生…原始、未開人の態は、美しい着衣の文明人のお嬢さんとは思えない。
背後の木にはには四羽の鳥がその少女に顔を背けて止まっているが、眼差しは少女を伺うふうでもある。少女が食らう鳥の身内かもしれない。
少女の眼差しは虚ろに何かを確かめているような、不安と確信が交錯する不安定な情念を感じさせる。
四羽の鳥は、同類を食われているにもかかわらず攻撃することもなく静かに、そして背後に回り直視することもない。
これは儀式ではないか。おぞましくも生肉を食らうという少女の恐怖体験。
しかし、『快楽』というタイトルである、喜び?いずれ喜びに変移するということだろか。
処女喪失、婚礼の儀であり、四羽の鳥はカップルの両親たちではないか。心配そうに危惧する親たちの挙動である。
男が女をというのではなく、女が男(ここでは鳥になっているが)を襲うという逞しくも原始的な構図を暗示している。
マグリットは、(男より女は強いかも…否、平等である)という主張を貫いている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「さうでない。ここらをあるいてるものは、みんな陳のやうないやしいやつばかりだg、ほんたうの支那人なら、いくらでもえらいりうぱな人がある。われわれはみな孔子聖人の末なのだ。」
☆珍しい詞(言葉)を納める図りごとの仁(博愛)の講(話)である。
死は傷(悲しみ)の尽きる末(終わり)である。
ざっとこうした光景が、バルナバスにこれらの役人たちが非常にえらいものだという考えをいだかせてしまったのです。そして、あの子は、もし役人たちに注目されるようになり、彼らと二、三言でも話をする、それも、他人としてではなく、おなじ官房の同僚として
☆同じように、これらの人たちのことがバルナバスの心象として映ったのです。彼は気づかれるようになり、彼らに二、三言でも話せるようになりました。異郷の人ではなく秘書局の同僚として