goo blog サービス終了のお知らせ 

続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

手子神社の神楽/湯立。

2016-10-17 07:15:20 | 博物館講座

 〔瀬川先生の講座〕

 京急金沢文庫駅の近く、手子神社での神楽を拝観。(1473年に瀬戸神社の分霊を勧請したのが起源、創建当初は宮ケ谷にあったものを、1679年、釜利谷の領主伊丹左京亮の末裔が現地に再建。境内社「竹生島弁財天」が神社内にある)

 神官は瀬戸神社の神官が兼任(他に二人の神官)、氏子の方々が白の半纏を着け鎮座。
 神楽の様子は室内だったため、ちらちらと覗えるに尽きましたが、神聖な雰囲気でした。

 近隣の方も見えていましたが、博物館講座のメンバーを含めても大勢とは言いかねる状況。真静かに淡々と、けれど、1時間以上にわたり神官の舞は鈴や太鼓の音と共に続きました。先生のお話では前回は屋台のようなものも出たそうですが集客の少なさを見込んでか、今年はゼロの淋しい状況でした。

「だんだん、こうした行事も寂れていくんですかねぇ」とは先生のコメント。

 この年になるまでこうした行事が延々継承されているとは露知らずのわたし、この流れを食い止めることは難題かもしれません。

 瀬川先生、稲村先生、ありがとうございました。


デュシャン『与えられたとせよ:⑴落ちる水、⑵照明用ガス』

2016-10-17 06:19:28 | 美術ノート

 『与えられたとせよ:⑴落ちる水、⑵照明用ガス』

 (~とせよ)というのは、つまり前提条件である。落ちる水・照明用ガスというのは、(この地上には太陽(火)と空気と水が、まずは有りました)ということではないか。

 作品は、レンガで囲われた古い木製ドアとドアから覗き見る光景(手にガス燈を持った大股開きの裸婦が草原に仰向けになっている光景、空は青空である)
 この光景を見る覗き穴は気づかれないほどに小さい。ということは、通常気づかれることのない景色であり、存在しているかもしれないが幻視あるいは秘儀である。
 古びた木製のドアはかなり劣化しているが、数多の鋲で打ち付けられた、破壊を拒む頑丈な造りであリ、修復の後もある。(しかし、破壊しようとすれば簡単な木製であることから、単に見せかけの強固な造りということもできる)
 覗き穴(両目の位置に二つ)の周囲が変色しているのは、すでに誰かが覗き見たことを現している。

 覗き穴から見る光景は目を逸らしたいほどに性の極みを露呈している。性的器官の露出は人間の根源的な欲望であり、歴史・連鎖の要であるが秘密裏の領域にある。
 青空(太陽)とガス燈(人智)、真昼にガス燈は不要であるにもかかわらず掲げ持っている。火の発見は人類存続の要であり、他の動物との決定的な差異である。

 いかにも強固に造られた古いドア、(実際破壊しようとすれば容易い造りである)。そのドアには気づかないほどの小さな覗き穴があり、自然の草原・野山の中に人類生命の原初とも言うべき女の性器が露わになっている。光景は明るいが、無駄にガス燈を掲げているのは、(動物ではない証明)知性の象徴かもしれない。

 人類の存在証明である。(歴史を持っているかに見えるが、脆いものでもある)

  


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『銀河鉄道の夜』268。

2016-10-17 06:10:02 | 宮沢賢治

「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひきだんだん向ふの出口の方へ歩き出しました。


☆化(教え導く)照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)の談(はなし)である。
 詞(ことば)の趣(ねらい)で、考えを推しはかる。
 恒(変らない)法(神仏の教え)を普く推しはかる。


『城』2453。

2016-10-17 06:01:36 | カフカ覚書

お得意の人たちも、つぎつぎにやってきては、修繕のためにあずけておいた長靴を父の物置部屋からさあしだしていきます。父は最初は顧客たちの考えを変えさせようとしましたが、


☆父(先祖)のところで、放浪の修復を捜しています。父は流れを変えさせようと情報を集めましたが、