薄寒くなってくると、急に防寒を考えるようになる。わたしはのどが弱いので一年中、首を保護するタオルや襟巻が欠かせない。
余るほどある襟巻だけれど、今回作ったものは、首の後ろ部分をしっかり保護できることが分かり、又いくつか色違いで作ってみようかなと思っている。
(ちなみに作り方は「すてきにハンドメイド」9月号より/若干アレンジ)
『折れた腕の前に』
雪かきシャベルが立て掛けられている。ハンドメイド、この物は自分の手を経て製作されたものではないが、それ故にここに提示している。
折れた腕の前では、全く無用の長物と化した雪かきシャベル。使うことの出来ない者にとって、使うための製品は無に等しい。
自分の前にある使うべき物は、折れた腕(使うことの出来ない=使う意思を無くした)の前では存在するが非存在物と同等である。
この断絶の空気感。
『壜掛け』はデュシャン自身であると推論したが、『折れた腕の前に』は他者(世界)を傍観している。
雪かきシャベル…雪はかかなくても、いずれ融ける。雪(世界)には自分の手には負えない自然の巡回・活力・巡り合わせがあり、雪かきをするのは、些細な人為的抵抗に過ぎない。
一種の厭世主義である。どう解釈していいか迷うけれど、『折れた腕の前に』という提示は、あるがまま、自然のままの時間に身を任せるという決意表明のようでもある。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
「だけどあたしたちもうこゝで降りなけりゃいけないのよ。こゝ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさみしさうに云ひました。
☆講(はなし)を転(ひっくりかえすと)、照(あまねく光が当たる=平等)の考えを叙べる詞(ことば)が運(めぐらされている)。
お城からお見えになっていた人たちは、わたしたちの消防団の活躍ぶりをごらんになって、非常に好意的な意見をお述べになり、お城の消防団の作業と比較されました。その結果、わたしどものほうに軍配があがったのです。
☆多くの話し合いがなされました。居合わせた大群(多くの人たち)は、わたしたちの火のような輝きを制止することの実行を見て非常に素晴らしいといい、お城(冥府)との仕事と比較しました。その結果、わたしたちの方が必要だということになったのです。