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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『Ⅰ-4-4』『Ⅰ-4-7』

2015-09-08 07:10:29 | 美術ノート
 一見しておかしな構造物である。

 見る限りにおいて、この構築物は安定を保っている。しかし、後・・・というか、継続される時間のいずれかの時点で崩壊(倒壊)していくことは必至である。

『Ⅰ-4-4』では底面は二分の一以下しかない。つまり半分以上は浮いている。このバランスの持続は永続的には困難である。
 施された窪みが何を意味するのかは不明であるけれど、直線というものは自然には存在しないから、つまりは人工の作業(構造)である。この作品には、人為的な仕事が自然を犯していくというイメージがある。青く美しい自然に対する静かなる暴挙の光景に対する作家の反旗ではないかと思う。

『Ⅰ-4-7』は危険である。空洞(トンネルとか)を開ける場合、自然の岩窟ならありうる形状であるけれど、人為的な構造物においてはこれは無い。
 力学的に見て屋根部分が平坦であることは、力の分散がないので、そのまま落下が予想される。しかも四角いブロック積みでは両脇から抑える力を考えてみても長く保つことは不可能なのではないか。
 古代(エジプト、あるいはローマ)の人たちが考えたアーチ、凸の形状なくして空洞は支えられない。少なくともこの原始的施工においては。


 人為的風景の脆弱さを透視し、提示した作品である。静かにも揺れ、静かにも崩壊を予測される振動は、作品の後のプロセスであるところに驚異がある。
 構造の内部に潜む危険、わたし達は自然の理を無視することは出来ない。


(写真は神奈川県立近代美術館『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

『城」2077。

2015-09-08 06:17:30 | カフカ覚書
Kは、縉紳館へ行った晩のことを話してきかせた。すると、アマーリアは、縉紳館へお連れすることにわたしはひどく反対だったんですよ、と言葉すくなに言った。


☆Kは大群のいる暈の方へ行き、昨夜のことを話した。アマーリア(作り話/マリア)はあなたを大群のいる暈(死の入口)へお連れすることに、わたしは反対だったんですよ、と控えめに言った。