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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

金山康喜《静物〔ロウソクのある静物〕》

2015-04-21 06:58:00 | 美術ノート
 ロウソク・・・ほんの少しロウが垂れている。一度は着火したということである。真直ぐ立っているが、燭台の脚はどう確かめてみても三本しかない。不安定であるが辛うじて直立しているのか、立つはずのないものを立たせて描いている架空の構成に疑念を挟む余地はない。

 金山作品は錯視を巧みに計算しているので、騙されて見る心の揺らぎが正当な鑑賞なのだと思う。その手法を見抜くことは、むしろ正当性を欠く失礼な行為かもしれない。しかし、その上で存在の危うさに対する哀愁は大きく鑑賞者の心を動かし暫し動けないほどの引力を内包している。作家も深い思索の果てに見つけた構成であり、自身が作品を説明するような秘密漏洩は無かったと思われる。

 しかし意図がある以上、作家に寄り添い凝視すれば自ずと見えてくる。
 静物、静物と念を押すような題名、つまりは静物ではないのである。静かに収まるオブジェではない。すべてが倒壊、崩壊の危機に瀕している。
 ロウソクに然り、黄色いマグカップに然り・・・底の面積の過少は大きく不均等な上体を支えられない。
 手前の青いビンの蓋はあたかも帽子のようでもあり、その光景を見つめる作家自身のようでもある。

 黄色いマグカップの豊満はロウソクに歩み寄っている。火を落としたロウソク、そしてその燭台の持ち手は黄色いマグカップを払う・・・いえ、払えないどころか、こちらも歩み寄っているようにも見える。二つの関係/二人の関係は終わってしまったのか、これから始まる予感の光は見えない。

 金山作品にはそこはかとない色気がある。醒めているのに甘い香りが漂う。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『城』1944。

2015-04-21 06:34:34 | カフカ覚書
と言いますのは、そうなっては、わたしは、あなたがいつまでも頼りになさるあなたの唯一の所有物になってしまうからです。しかし、同時にそれは、すでに一文の値うちもないとわかってしまった所有物にすぎません。


☆というのは、わたしがあなたを指図しつづけると、あなたのものになってしまうからです。けれど、同時にその指図は価値がないと分かってしまった価値にすぎません。