続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

カフカ『インディアンになりたい願い』

2012-05-08 06:42:13 | カフカ覚書
 ああ、ぼくがインディアンだったらなぁ、そくざに決意して疾駆する。馬に打ち跨り、斜めに空を切って顫える大地の上で絶えず小さく身体を顫わせ、ついには拍車を捨て、だってインディアンに手綱なんて要らなかったから。行く手のたいらに刈られた荒野のような大地もほとんど目にとまらず、もはや馬の頸も頭も消えて。

 インディアン/Indianer→Doana(ダイアナ、
 馬/pferde→pfarre/教区。
 走り/rennenden→lernende/学んでいる人。
 大地/Boden・・・船底。
 空/Luft→Lupf/重い負担。
 手綱/Zugel・・・拘束。
 

☆もし、月の女神(ダイアナ/森の女神)だったら、即座に決意する。教区の教徒、歪んだ重い負担、常に敵対し恐れおののき、船底で震えている人を除き、少しも嘲笑のない存在にし、少しも拘束のない存在に人を到らせる。平ら(平和)を思い出させることのない荒野を見ても、すでに教区の首(首長)も頭(トップ)もいないような。

*本はすべて新潮社版
 『カフカ全集6・城』(前田敬作 訳)『カフカ全集2』(川村次郎・円子修平 訳)を参照させていただいている。

五月の夕暮れ。

2012-05-08 06:13:44 | 日常
 5日の月は満月で圧倒されるほどの存在感があった。そうだ、あと半月(15日)後の21日には皆既日食が見られる!そう思うと何かもう言葉にならないほどの感情がわたしを襲ってしばらくその満月に見入ってしまった。

 そして昨夕の落陽、空気が澄んでいるせいか、その輝きに透明な感もあって西空を凝視・・・胸打たれるほどの情緒ある惜春。


 嫌なことは忘れよう。

 もうそんなに長くこの世に留まっているわけではない。巨大な落陽に身をゆだねて来世に行くことが出来ればむしろ幸いでさえある。落陽をこんなにしみじみ眺めているような年令になったなんて・・・。

 懺悔すべき事柄が頭を過ぎる。あの太陽に対峙できる資格に欠けているかもしれない。万人に等しく光を授ける太陽に顔向けできる自分であるように、少しでもそういう人間に近づけるようにと願わずにはいられない。

 短くも美しく山の彼方に消えていった陽に、浄められた五月の夕暮れでした。(夕陽に向かって叫ぶのは若者だけの特権ではないことの証明)

『風の又三郎』313。

2012-05-08 06:07:15 | 宮沢賢治
又三郎は白い栗をみんなに二つづつ分けました。そしてみんなは下のみちまでいっしょに下りてあとはめいめいのうちへ帰ったのです。

☆幽(死者の世界)の太陽の吐く(言う)律(きまり)は字(文字)である。
 文(文章)の何(いずれか)は化/形、性質を変え別のものにして、記/書き記している。

『城』815。

2012-05-08 05:53:13 | カフカ覚書
所有地の交換というようなことは、まず起こりませんし、ちょっとした境界争いなどは、自分らで調整します。そういうわけで、測量師なんか来てくれたって、どうしようもないじゃありませんか」

 境界線争い/Grenzstreitigkeiten→Grenzen strettig/境界線、未解決の。
 調整/regen→Rage/激怒。

☆所有の推移(変化)はまず起こりません。氏族は境界線の未解決など、それ自身に激怒しているのです。土地のないことに気付いた人なんているわけがありません。