労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

“柳沢失言”の何が問題なのか?

2007-02-08 02:07:13 | 政治
 ようやく野党も出席して国会審議が始まったが、少子化問題をめぐる理論は奇妙な空転をしている。
 
 失言の張本人である柳沢は、一方的に謝罪し、何をどう謝罪しているのかさえ理解できない。
 
 他方の野党も単に言葉だけ問題にして何がどういけないのかという追求すらできない状態だ。
 
 このお粗末さこそ、現在の日本の“男女共同参画”のお寒い現実を何よりも物語っている。
 
 そこできちんと柳沢発言をふり返ってみよう。
 
 6日の記者会見での柳沢の発言要旨は以下のようなものであった。
 
記者 少子化対策は女性だけに求めるものか。
 
柳沢 若い人たちの雇用が安定すれば婚姻率が高まるという状況だから、安定した雇用の場を与えていかなければならない。女性、あるいは一緒の世帯に住む世帯の家計が、子供を持つことで厳しい条件になるから、それを軽減する経済的支援も必要だ。家庭を営み子どもを育てることに人生の喜びがあるという自己実現という範囲でとらえることが必要だ。ご当人の若い人たちというのは、結婚をしたい、子どもを二人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。だから本当にそういう日本の若者の健全な、何というか、希望というものにわれわれがフィットした政策を出していくということが非常に大事だと思っている。
 
 最初に、記者の質問だがこの記者は当然、“少子化対策”というのは単に女性に子どもを産めというだけでいいのか、社会政策として取り組む必要がある事がらではないかと質問している。健全と言うことでいえばこの記者が一番健全であろう。
 
 これに対する柳沢の答弁の最初の部分は、ある意味でそれに答えるものであろう。柳沢は現在の若い労働者男女が結婚して子どもを産み育てるには、経済的な障害があることを認め、そういう障害を軽減する措置が必要であることを率直に語っている。
 
 しかし、次に柳沢がいうのはそれとはまったく異なった見解である。
 
 ここでは一転して柳沢は「家庭を営み子どもを育てること」は自己実現であり、人生の喜びであると軍国日本の臣民たちに対して説教をタレ始める。
 
 これは単に柳沢だけの問題ではなく、首相である安倍晋三もまたそうなのである。
 
 安倍晋三は7日の国会答弁で公明党の斉藤に答えて次のように言っている。
 
「子どもを育てやすく、結婚できる環境をつくるとともに、家族を持ったり、子どもを産み育てていく価値を再認識する必要がある。」
 
 ここでもバカ・ファシストの安倍晋三は軍国日本の臣民たちに、「家庭を営み子どもを育てること」は自己実現であり、人生の喜びであるという価値観を持つように強要し、命令している。そういう点では、安倍晋三も柳沢も同じ観点、同じ思想の上に乗っている。
 
 しかも軍国日本のために「産めよ、増やせよ」と命令しているのは、もっぱら女性に対してであり、この点で女性を「子供を産む機械」としかみていないという最初の“失言”に戻っているわけだ。
 
 ここには男は仕事をし、女性は家庭にいるべきであるというあの古い見解が牢固として存在しているのである。