労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

急速に終息しつつあるエジプトの騒乱

2011-02-09 01:53:26 | Weblog
 現在、エジプトの混乱はすでに峠を越したように見える。

 それはこの騒乱が、どの革命の過程にも見られる二重権力をつくりだすことさえできなかったからである。

 この二重権力を確立することに失敗した理由はもちろん、既存の権力に対抗するもう一つの権力を生みだすことができなかったからである。

 エジプトの騒乱にはいくつもの要素が絡み合っていた。

 一つは若者や学生らの「民主化革命」的な要素であり、一つはエジプトおける労働者階級の闘争であり、もう一つはイスラム原理主義的な要素であった。

 物価高と失業に対するエジプト民衆の自然発生的な抗議が、津波のようなデモとなって街頭にあふれ出した時、これら3つの要素はそれぞれ運動の主導権を握ろうとしたが、そのいずれもが運動の主導権を握ることに失敗した。

 若者や学生らはムバラク政権を旧ソ連や東欧の国家資本主義(スターリン体制)になぞらえて、攻撃したが学生たちはもともと少数派であり、ムバラクの強権体制、もしくは独裁体制は旧ソ連や東欧の国家資本主義(スターリン体制)とはことなり、毎年、莫大な経済援助を行っているアメリカの意向にそうためのものであった。

 そしてエジプトの労働者は闘争の端緒では大きな影響を持ったが、ムバラク体制が動揺すると急速にその力は減衰していった。

 それは闘争を支える労働者の政党が存在しない上に、エジプトのみならず現在の全世界の“左翼党派”のすべてが、エジプトの革命の課題が、「民主主義革命」を達成することであると考えているからである。

 失業、絶望的な貧困、物価高による生活苦という資本主義のテンペスト(あらし)が、エジプトを、そして世界をおそっている時に、資本主義の上部構造であるブルジョア民主主義のために闘えと言うことは、資本主義の悪弊と闘うために資本主義のために闘えと言うに等しい。

 したがって労働者の闘いは運動が広がるにつれて後退していった。

 これにたいして後半に力を増してきたのはイスラム原理主義者たちである。

 しかし、エジプトのイスラム原理主義者はムバラクを追いつめるまでに成長しなかった。これにはイランにおけるイスラム革命(実際には反革命そのもの)の教訓やアルカイダ系の組織の闘争の常套手段である無差別テロが影響している。

 中東のいくつかの国ではすでに資本主義的な諸関係が発達しており、イスラム原理主義にもとづくイスラム国家(宗教国家)はすでに時代錯誤的なものになっているのである。

 だからイスラム原理主義者が闘争の全面に出てくるにしたがって、エジプトの民衆は闘争から潮が引くように引いていった。

 エジプトではこれらすべてがムバラクなきムバラク体制へと収れんし始めている。