たーさんの気ままなシニアライフ!

待望のグランド・ジェネレーション(人生最上の世代)へ。
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嬉しいハガキ&残念なハガキ!?

2012年03月30日 | 暮らし

 昨日、嬉しいハガキ&残念なハガキが届きました。<o:p></o:p>

 嬉しいハガキは、東北道・岩手サービスエリアから、アンケートを書いたお礼です。次回利用時、ホットコーヒーをサービスしてくれるとのこと。<o:p></o:p>

 残念なハガキは、地元放送局の番組モニターに応募しましたが、落選のお知らせでした。来年も応募したいと思います。

 

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わかっているようでわからない!

2012年03月30日 | エッセイ

 
 昨日(3/29)の糸井さんの『ほぼ日』を見て
、何やら禅問答のような感じを受けました。<o:p></o:p>

 ブログ、ツイッター、Facebookに書き込みしたり、新聞のテーマ募集に応募するため文章を書きます。知らないことが多いのに気が付きました。自分の書いた文章を一人でも読んでいただける人がいるとしたら、自分の伝えたいことをしっかり表現したいと思います。このため、「自分のわかっていることが、どこまでなのかを、考える習慣を身に付けようと思います。」わからないことだらけです。でも、新しい発見があります。その小さな感動を大切にし、文章で表現していきたいと思います。<o:p></o:p>

 ニコニコさんに時々言われる『上から目線』は、わからないのに、わかったように決め付けることへの警鐘のような気がします。<o:p></o:p>

 昨日(3/29)の糸井さんの『ほぼ日』は、次のとおりです。(抜粋<o:p></o:p>

一昨日、陸上競技の為末大さんのツイッターを見つけて、
 さっそくフォローして読みはじめました。
 専門の領域はちがうのですが、
 このテイストは将棋の羽生善治さんの書くものに、
 なんとなく似ていると思いました。
 それはぼくの勝手な思いこみなのかもしれませんが、
 「じぶんのわかっていることが、
  どこまでなのかを、いつも考えている」
 そういう人の文章だと感じるのです。
 わかっていることは、とても少なくて、
 そこに、もうちょっとわかることが加わると、
 ものすごくうれしかったりします。
 でも、まてよ、さてさて、ん~?
 そういうことって、ほんとは、
 誰でもできるはずのことなんじゃないのかな?
 「わかった」の分量はともかく、
 「ちょっとわかる」ことで「わからないこと」も知る。
 誰でも、そうすればいいだけのことですよねぇ‥‥

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