あさやん通信

おいらの日記、徒然なるままに!

密厳院発露懺悔文

2009-03-08 15:00:46 | 日記
密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)は、真言宗中興の祖、興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)が、腐敗した真言宗総本山金剛峯寺の内紛に深い憂いを持ち、金剛峯寺内の自所「密厳院」において3余年に及ぶ無言行を敢行、その直後、一筆のもとに書き上げたと言われる文です。おいらは、この文がなんか分からないけど好きで、たまぁ~ぁに読んでは、いたらぬ自分を懺悔して、少しスッキリした気分になったりします。キリスト教の懺悔と同じかな。お経の一種なんですかねぇ?長いけど以下に紹介しときます。

高野山 密厳院

===密厳院発露懺悔文===

我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏(まと)はされて衆罪(しゅざい)を造る
身口意(しんくい)業 常に顛倒(てんどう)して 誤って無量不善の業(ごう)を犯す
珍財を慳悋(けんりん)して施を行ぜず 意(こころ)に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚(ふんに)を起して忍辱(にんにく)ならず 多く懈怠(げだい)を生じて精進ならず
心意(しんに)散乱して坐禅せず 実相に違背して慧(え)を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して 還(かえ)って流転三途(るてんさんず)の業を作る
名を比丘(びく)に仮(か)って伽藍(がらん)を穢(けが)し 形を沙門(しゃもん)に比して信施を受く
受くる所の戒品(かいぼん)な忘れて持せず 學すべき律義は廃して好むこと無し
諸佛の厭悪(えんあく)したまう所を慚(は)じず 菩薩の苦悩する所を畏れず
遊戯笑語(ゆうげしょうご)して 徒ら(いたずら)に年を送り 諂誑詐欺(てんのうさぎ)して空しく日を過ぐ
善友(ぜんにゅう)に随がはずして癡人(ちにん)に親しみ 善根(ぜんごん)を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ 名聞(みょうもん)を求めんと欲して他罪を誹(そし)る
勝徳(しょうとく)の者を見ては嫉妬(しっと)を懐き(いだき) 卑賤(ひせん)の人を見ては驕慢(きょうまん)を生じ 
富饒(ぶしょう)の所を聞いては希望(きぼう)を起す 貧乏(ひんしゅ)の類を聞いては常に厭離(おんり)す
故(ことさら)に殺す有情(うじょう)の命(みょう) 顕は(あらわ)に取り密かに盗る他人の財
触れても触れずして 非凡行(ひぼんぎょう)を犯す 口四意(くしい)三互(さんたがい)に相続し
佛を観念する時は攀縁(はんねん)を発し(おこし) 経を読誦する時は文句を錯る(あやまる)
若し善根を作せ(なせ)ば有相(うそう)に住し 還って輪廻生死(りんねしょうじ)の因と成る
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)知ると知らざると犯す所の是(かく)の如くの無量の罪 今三宝に對して皆発露(ほつろ)し奉る
慈悲哀愍(じひあいみん)して消除せしめ賜え 
皆悉(ことごと)く発露(ほつろ)し 尽(ことごと)く懺悔(さんげ)し奉る
乃至(ないし)法界の諸(もろもろ)の衆生 三業に作る所のかくの如くの罪 我皆 相代って尽(ことごと)く懺悔し奉る 更に亦 その報いを受けしめざれ
南無 慚愧懺悔(ざんぎざんげ) 無量 所犯罪(しょぼんざい)   (三返)


<訳>
み仏さまの前に、 私は 自らを懺悔いたします。無始より このかた 今日まで、私は 妄念妄想に纏われており、ありとあらゆる罪悪を 造ってまいりました。身に為すこと・口に言うこと・心に思うこと(三業)は、いつも みな 顛倒(テンドウ)しており、私は 真実に背いて、量り知ることもできないほどの不善の三業を 犯してまいりました。ケチで欲深く、自分の持っている物を 他に施すことなどしたことがなく、思いのままに振舞って、十善戒を持(タモ)つことができません。すぐに 怒って 忍耐するということがなく、怠け者で 為すべきこと為そうという気がありません。心は いつも落ち着かず、心を静めようともせず、
仏法に背いて、真如法性(ホッショウ)を知る<慧(エ)>を修することもありません。彼岸に渡るために せっかく 仏さまが教えて下さった 六度の行は、このように、私には やろうとしても とてもできません。また それを為しても、かえって 虚偽のもの・悪しきものとなってしまいます。求道者だと自称しつつ、仏教2500年のご苦労の歴史を汚し、仏さまの弟子だと僭称して、 人の尊敬を得ようとしております。仏さまが授けて下さった 五戒・十善戒を 取り落としている この日常、学ぶべき 仏教徒としての姿勢を、蔑ろにして 少しも好みません。
諸々の仏さまが 好まれないことを、平気で為して 恥じることなく、菩薩方の 私に対する悲しみを 顧みることなく、自らのあり様への問題意識もなく 徒に 50年余の年月を送り、真実を誤魔化して 空しく 一日一日を過ごしてまいりました。よき師・よき友を嫌って 親しむことなく、智慧のない人々に 好んで近づき、善いことをするよりは 悪いことばかりいたします。私の都合ばかりを求めて、 自らを善人・賢者と為し、人から尊敬されることを欲して、人を 冷たく批判ばかりしてきました。勝れた人を見ては 妬み、 卑しい人を見ては 驕慢となり、金持ちの豪奢な暮しを聞いては 羨み、貧乏な人の有様を聞いては おぞましく思います。殺意をもって或は 意図せずに誤って生き物を殺し、公然と 他人の物を盗み、人に気付かれないように 密に他人の物を掠めてきました。肌に触れ 或は触れないままに異性との淫らな行為に耽り、粗悪な言葉や卑しい心は次から次へと出てきて、仏さまの清浄真実な世界を憶(オモ)おうにも、色々な思いに碍(サマタ)げられ、経典を読む時には、その言葉を誤解して取ってしまいます。たとえ、何か 善い事をしても その結果を期待して、かえってそれを為したことが、迷いの元となってしまうのです。日常生活の中で為す 私の罪悪は、 その全貌を知ることさえできませんが、今 私は、仏と法と僧伽(三宝)のみ前に、この全てを包み隠さず発露いたします。み仏さま、この私を 悲しみ慈しみ 哀愍してくださって、どうかこの無量の罪悪を 消し除いてくださいますよう。さらに、この世のありとあらゆる衆生が その三業に為す罪悪も、私一身に背負って、そのことごとくを懺悔申し上げます。私は 再びこの罪悪を犯しません。また彼らは、どうか その罪悪の結果を受けることがないように。なむあみだぶつ。無量の罪業を 私は慙愧し懺悔いたします。

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