ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

橋本 治著 「恋愛論」 

2005-12-10 | こんな本読みました
橋本氏の著作2冊目を読了。以下の4編が収められている。

「気むずかしい赤胴鈴之助」
「誰が彼女を殺したか?」
「セーター騒動顛末記」
「恋愛論」

まず心に残ったのが「誰が彼女を殺したか?」である。
ここには、作家有吉佐和子氏との思い出やエピソードが書かれている。中でも「笑っていいとも!」に出演した時の裏話などが面白かった(私も偶然有吉氏の出演した場面を見たので)。有吉氏が生前意外なことに(?)橋本氏と交流があったことを知った。彼女の才能を認め、尊敬し、対等につきあっている橋本氏の姿に拍手を送りたくなった。(有吉氏は、才能がありかつ「お姫様」(おひいさま)的なところがあり、文壇やその周辺から恐れられていたようだ)。

そして、そんな彼女を「可愛い女」と断言している。すばらしい!!全くもって、男でそのような度量の広い人っているんだなーと感心した。(その理由が「恋愛論」で明かされるとはその時は知らなかった)

私も有吉氏の作品が好きで、以前よく読んでいた。私のいちおしは『悪女について』であるが、橋本氏もこの本と『出雲の阿国』を挙げている。絶対お勧めです!未読の方は是非!

「セーター騒動顛末記」では、氏がどうしてセーターを編むようになったのかそのきっかけを語る。またセーター騒動を通して周辺の人間を観察したり、若者を語ったり流行を語ったりしている。

さて本書タイトルの「恋愛論」。橋本氏の高校時代の「初恋」から今に至るまでの「恋愛」が語られている。これは講演会で話したものをまとめたもので「しゃべるように」書かれている。しかも、しばしば話がそれる、ずれる。話題が横道にそれてもそれなりに面白いのだが、後半この語り口調についていくのが、少々しんどくなってしまった。

橋本氏が高校時代に「恋心」を抱いた人というのが、同級生の「男の子」。自分の周りを取り巻く男子の行動や思考を詳しく分析する。また、自分の経験を通して「恋愛」を語る。男性だけでなく女性ともつきあう。どちらの性の考えも理解してしまえる人のようなのである。その分、いろいろと苦労もあったようであるが。

やわらかな口調の中に、時々漢字の多い文章が出てきて、おおっ東大・国文科卒!というのがしばしばうかがえる。なるほどなぁと思ったところを引用する。

<恋愛っていうのはやっぱり人間のやることなんだから、これをやるにあたっては技術っていうものもいるのね。それと、重要なことなんだけど、やっぱり恋愛っていうものには向き・不向きっていうものがあるのね。>

<はっきり言って、恋愛相手に出会えない人っていうのは、別に今恋愛なんかしなくたっていい人なんだもの。恋愛する理由も必要もないから、その人の前には”恋愛相手”なんていうものが出てこないっていう、それだけなんだよね。>

<その必要っていうのは、実に、その人の内側の感性レベルと関係を持ってるのね。早い話、ある程度以上の成熟がない限り、恋愛っていうのは無理ですね。>

<恋愛に必要なものっていうのは、実は”陶酔能力”なんですね。>

<陶酔能力っていうのはやっぱり、それを一人で持ちこたえられるかどうかっていうところがすごく大きいと思うね。ー中略ー感性が成熟したればこそ、感動とか陶酔とかっていう、言ってみれば社会的には自分をあやうくしちゃうものを自分の内部で持ちこたえることが出来るんだよね。>
というふうに延々と続く中で、恋愛と陶酔能力について考えさせられた。

<男と接点持ちたきゃバカになればいいんだもん。男ってのはその分、バカで鈍感なんだからサ、そういう男と接点持ちたかったらそうすりゃいいんだよね。ただし、俺には通用しない手だけど。俺、自分がバカやってたから、バカは嫌いで飽きてんだもん。困った男なんだけどサ、俺は。>
女性も、どんな男と接点を持ちたいかというのを念頭に置き、自分を表現していかないといけないと思った。

<はっきり言って、恋愛ってのは”口実”で出来上がってんのね。いかに自然でうまい口実を作れるかって、その一点で恋愛の成否は決定すると言っても過言ではないね。>つまり、<恋愛を成立させるものは、口実に結集されるような知恵ですよ。>
なるほど。確かにその通りかもしれない。自分で映画のチケットを入手しておきながら「友だちからチケットもらったんだけど…云々」と相手を誘ったり?確かにいろいろ「知恵」が必要ですね。

<おんなじ現実、おんなじ土俵、おんなじ舞台を持っているってことがなきゃ恋愛っていうのは成立しないってことは言ったけども、おんなじ土俵っていうのは、ただ一緒の場所にいる、付き合いがあるっていうだけじゃだめなんだよね。「好き」って言葉が登場出来るような、親密さの土壌っていうものがない限り、コンクリートの上に花は咲かないの。その土壌を二人で知らない内に作っていくっていうことが実は恋愛感情を育てて行くっていうことで、実に恋愛をして行くという作業は、恋愛っていう一人よがりの妄想を消していく作業でしかないのね。普通は「好き」って言う言葉が登場することによって恋愛が始まると思われてるらしいけど、ぼくに言わせれば、これは逆ね。「好き」っていう言葉が登場しうるってことは、それだけでもう、恋愛が終わりに近づいてるってことでしかないのね。この”終り”っていうのは勿論”破局”っていう意味ではないけど。幸福な終りーーハッピーエンドっていうことだけど。>

長々と引用してしまいました(ごめんなさい)。この部分が私にとって、とても印象深いところだった。本人いわく<「好き」っていう言葉を転がして転がして分かった結果だから、ちょっと簡単には説明できないんだけど>との前置きがある。それだけ、橋本氏が深く考えた上で出てきた言葉だと感じた。

本著によって知らない世界を知ったり、男性の本音のようなものが垣間見えたりしてとても興味深い本だった。しかしここまで自分をさらけ出せるって言うのも、一種の才能でしょうか。それとも自信の表れでしょうか。 


Kwando(食わんど~)効果

2005-12-08 | 日々のあれこれ
「食わんど~」発言などなかったかのように、毎日しっかり「食って」いる今日この頃。(9月16日のダイアリー参照のこと)。
しかし遅まきながら「Kwando」効果が表れてきた。

キックボクシングのジャブやキックを思い浮かべて欲しい。
「ジャブ、クロス、アッパー、フック」という先生のかけ声に合わせて、腕を振り出す。手を頭上に上げてぐるぐる回す。空手のように「エイッ」と力強く突き出すなどが腕の主な動き。

足の動きは、膝を高く上げる、脚を前・横・後ろに蹴り出す。スクワットするなど。腕と足の動きを様々に組み合わせて、1時間のトレーニングが続く。

水を持参するのを忘れたこともあるが、先日は1度も休まずに身体を動かすことができた。以前ほどへとへとにならない。1回では効果は表れないが、続けることで確実に見えてくるものがある。

とにかく脚が引き締まってきたのである。ふくらはぎのあたりの肉が落ちた。両足をそろえた時にできる”すき間”が広くなったー!ヤッター!パッツンだったパンツもすっきりはける!

この他に週1回水泳をしている効果も出てきたのか?行った時は500メートル泳ぐことを目標としている。泳ぎ始めた頃は、100メートル泳ぐとはあはあ息が上がっていたが、最近はそれがなくなった。むしろ、もっと泳いでいたいと思うようになった。

プールに入るときは「雑念」があり、泳ぎながらぐだぐだと考えていたことも、泳ぎ終わった時には、不思議とそれがすっきり取れている。どうも泳いでいると「無心」になれるようだ、私の場合。(他の人は知らない)

しかし、これで喜んではいられないのである。

「おなか周り」これをどうにかしたい。次なる課題はすっきりしたおなか。どんな運動が効果的なのか。「Kwando」と「水泳」を続けていればいいのか?
まだまだ私の「食わんど~」は続くのである。



ミミコ、SM○Pを知る

2005-12-07 | ちょこっと童話?
ミミコは、米国に住む丸顔の女の子。借りてきた日本のビデオ番組を見ていた時のこと。何かのCMが流れた。

ミミコ 「あっ、次郎だ!」
ママ  「はっ?」
ママは、読んでいた本から目を上げる。

ミミコ 「今、次郎が出ていたよ」
ママ  「次郎ってだれ?」
ミミコ 「ほら、この前見た『エンジン』に出ていた人!」

『エンジン』とは、以前借りてきたビデオドラマのタイトルである。
ママは不審に思い尋ねた。
ママ  「あの人本当の名前、何ていうか知ってる?」
ミミコ 「ううん・・・」
ママは、ちょっぴり青ざめた。

ママ  「あの人は、『○村拓哉』っていう人なんだよ。ほら、SM○Pというグループのメンバーで・・・」
ミミコ 「SM○Pって?」

ママは、SM○Pを知らないミミコをしばし見つめた。ミミコは、きょとんとしている。

ママ  「男の人の5人組で、メンバーに慎吾ちゃんとか、くさなぎくんとかいて、紅白歌合戦で歌った人たちだよ」
ミミコ 「慎吾ちゃんは、知ってる!仮装大賞で見た!くさなぎくんは、どっちの料理ショーに出てるし」
ママ  「そうそう。その他になかいくん、ごろうちゃんがいるんだよ」
ミミコ 「へぇ~」

と、こうして小学2年生のミミコに、SM○Pを「解説」するママ。
ミミコ、日本に帰ったらお友だちと上手にお話できるかな?ちょっぴり不安になったママでした。  

橋本 治著 「貞女への道」 河出文庫

2005-12-05 | こんな本読みました
なぜ今「貞女」なのか。答えは単純。橋本治氏の著作が読みたかったからだ。何でもよかった。私設図書館の本棚にあったのがこれだった。他にも借りたが、手はじめにこれを読んだ。氏の著作は初めて読む。

思いのほか良かった。氏は例えの出し方が上手。難しいことを難しく言うのはだれでもできる。しかし、彼はやさしく平明な文章で書き表していく。(時々まわりくどい、もって回っていると感じることもあったが。)別に「貞女」の定義はどうでもいい。なりたいともなりたくないとも思っていない。本書を「貞女」云々というより「女性」そして「男性」についての一考察と私は受け止めた。

いくつかなるほどと思ったところを引用する。

<女だって、”いい男”になればいいんです。>

<だって、貞女というものは、そういう風に包容力のある、女の中に住む”いい男”のことを言うものだからですね。”男を分かる”というのはそういうことです。>

<内と外とのバランスを保つ、自分と他人との緊張関係をしっかりと捕まえて、そのことをきちんと把握した上で”思いやり”というような気立てを発揮するーこれは、とっても男性的なことなんですよ。>

氏は、面白い見解を持っていると思った。”女”の中に”男”の部分を持てという。

<女性というものは男性の内面を見ているようで、ほとんど見ていません。>

<相手の内面を見るのではなく、自分の内面を見て、その相手が自分の思惑と合致するかどうかを見る。要するに、自分の思いこみで物事を見るんです。それが女性のものの見方です。>

なかなか鋭い。私自身振り返ってみても、男性に限らず人を「思い込み」で見ていることがあることは否めない。自分の「思い込み」を棚に上げて、「あの人ってこんな人だったの?」と裏切られた感を抱いたりする。

また、男性についてもこのように述べる。

<でも男は、そんなに複雑なものではありません。かえって逆に、あまりにも単純すぎるワガママ小僧のようなものです。そんなものを相手にして、一々相手の気のすむような応対をしていたら、している方がメチャクチャに面倒臭く複雑な人格にならざるをえないという、そんなものです。>

<人間心理が複雑であるという、そういうことさえも分からないぐらいに”男は単純”という、それだけですね。”男”というものは、昔から単純明快をよしとしたものなんですから、男の内面に”複雑”を要求したってしょうがないんです。>

ふううむ、そこまで断言してしまっていいのか。でもそれは真理だと私も賛成の意を表明したい。

また豊臣秀吉をはじめの正妻”ねね”の生き方、『シェルブールの雨傘』の中の登場人物たちの行動を通して、「女の生き方」を氏なりに考察していて面白かった。

また、「貞女の針仕事」の章の中で印象に残ったところを引用する。(この章では昔の女性を引き合いに出して、今の女性と比較している。)

<教養と芸術というものの考え方でいうと、ひょっとしたらみんなとんでもない誤解をしているんじゃないかというところが一つだけあります。それは、教養も芸術も、自分の現実生活と切り離されたところにあるもんじゃないということです。>

<教養といったら応接間に百科事典を飾ることという時代もありましたけど、そんなものを飾ってどうするんでしょう?恥ずかしいのは、百科事典を飾れないー買うお金がない、それを置く応接間がないということではなく、せっかくある百科辞典を引く必要性が認められない生活をしている、それにもかかわらず、それを欲しがるということの方ですね。>

これは要するに<実質>=<存在感・現実感・生活感>が大事ということを述べている。忘れてはいけない視点だと思った。

<苦労というものにはいろんな苦労があります。あまりの激しさに人を押しつぶしてしまうような苦労ともう一つ、その中で人に初めて夢を見ることを許す苦労。
誰だって人間、”甲斐のある苦労”というものをしたいものです。自分のつらい現実を抑えて、そして夢見ることを自分に許すもの、それが本当の人間の”知性”というものじゃないでしょうか?>

一体自分は”知性”を持っているのか?自問する場面であった。

他にもハッとさせられる箇所がいくつかあった。もっと氏の著作に触れ「男」と「女」について考えてみたいと思った。



ドキドキボランティア

2005-12-05 | 学校
米国の小学校では、保護者がボランティアのため学校に赴くことが多い。私も何かせねばと思い、年度の初めに希望日時を申請した。といっても英語に自信がないので、友人と一緒の日時に希望したのだが。

しかし、後日配布されたボランティアの日程表には「ひとりづつ」組まれている!気をつかって、友人のKさんは、先生に連絡を取ってくださった。「2人で行ってもいいですか?」「今回は、コピーとりなのでお一人でいいですよ」というようなやりとりがあったのだろう。

結局私は、その日ひとりで学校へ向かうこととなった。オフィスに寄って、所定の用紙に「名前」「用件」「先生の名前」「入校した時間」を記入する。2階にある教室へと向かう。先生が一人で仕事をされていた。その足で同じ階にあるコピー室へと向かう。

本日の仕事は、予告通り宿題のコピーとりだった。先生が見本を見せてくださった。コピーの電源を入れ、先生のID番号を入力する。それから小さい原稿をまずコピーし、名前の欄をつくる。それから、もう一枚の紙と一緒に両面コピーをする。それを児童の人数分24枚ずつコピー。クリップでとめて完成。それを、1週間5セット×3週間分の計15セット。

先生は当然英語で説明される。私は必死に先生の手元を「見る」!この際「耳」は不要だ。
「ボランティアなのだ。先生のお手伝いをするために来ているのに、かえって先生の時間をとらせてはいけない!」というプレッシャーがあった。というより、わからないところを「質問」できないし、やたらに聞いても聞き取れない。というのが本音なのだが。


「わかりましたか?」「はい」とにこやかに答えた。内心ドキドキだ。「本当に理解したのか自分?」という声が聞こえる。
「You are smart.」なんて言われて、気をよくした私。もう後には引けない。先生は教室へと戻って行かれた。

わかったつもりでも、実際やってみると理解していなかったということは往々にしてある。今回も、何回かミスプリをしてしまった。恥ずかしながら両面コピーというのも初めての経験だ。コピーボタンも英語だしー!(だから当たり前だっつーの!。何度もすみません)

どうにかこの作業を、予定されていた1時間でやり終えることができた。しかも1度も先生に助けを求めることなく。私は低次元のレベルだが充足感を得た。やればできるじゃない!でも、私は内心決心した。ボランティアをするなら、「引率」に限るかも!もう少し込み入った作業のボランティアだったら・・・と思うと心臓によくない。



佐藤多佳子著 「サマータイム」 新潮文庫

2005-12-03 | こんな本読みました
以前から気になっていてずーっと読みたいと思っていた本である。
大人向けというより、思春期の子どもに照準を合わせて書いたものと思われる。(『MOE』童話大賞受賞作品とのことだ)

11歳の進と1つ年上の姉佳奈、13歳の広一が織りなす物語。以下の4編が収められている、連作短編集だ。

『サマータイム』
『五月の道しるべ』
『九月の雨』
『ホワイト・ピアノ』

各編によって語り手が変わる。
『サマータイム』は、進が語り手だ。正直この章を読みながら「ちょっと、期待はずれだったかな?」と思った。ここは、進と佳奈そして広一との出会いの場面だった。そして謎の部分が多い。消化不良という感じがした。

『五月の道しるべ』これは、小学生になったばかりの佳奈の視点から。弟や親とのやりとりが、目に浮かぶようだ。彼女のちょっぴり強情なところとやわらかい部分が垣間見える。

『九月の雨』これは、広一の視点から。この章からぐっと私は作品にひきよせられていった。左腕と父親を失っている、ちょっと大人っぽい面を持つ広一。それを指摘する母の友人の男性。前の章で謎だった広一の気持ちも描かれている。

『ホワイト・ピアノ』は再び佳奈が語り手。14歳になっている。彼女の気持ちがストレートに表現されていてよかった。以前に広一とけんか別れをした。そのあと彼から手紙をもらっている。それについてのこんな文章。以下<>部引用。

<なんて、そっけない。目を合わさずに、いやいやしゃべっている言葉みたいだ。
私は胸がぎゅうぎゅうした。>

<広一くんが、あんまりイクジナシの臆病者の鈍になったので私はかんしゃくをおこしたのだ。最高の男の子が、最低の男の子に変わるなんて、まったく許せなかった。
その喧嘩以来、私たちは会っていない。
私のかんしゃくなんて夏の夕立みたいで、しょっちゅうなのに、広一くんは、雷にやられたイチョウの木のように燃えてコゲて怒って傷ついてしまった。>

佳奈のまっすぐな気持ちとか、妥協できない面、こだわりそういうものがよくわかる。中学生の時期って確かこんな気持ちだったかもしれない。とこの編を読んで私も回想した。

でも、ピアノの調律師のセンダくんとのやりとりから、また違った考え方もできるようになる。この時期、いろいろな人(自分の好意を持つ人)に触れ合うことは大事だと思った。

章を追うごとに、初めの『サマータイム』で消化不良だった部分が解明されていき、最後はすっきりとした。一編ずつ違うお話だと思って読み始めたので、違和感があっただけだ。語り口もさわやかで、場面のイメージが喚起される。印象的なフレーズも多かった。





雪が降ったよ~!

2005-12-01 | 日々のあれこれ
ここ数日天気予報から目が離せない。なぜなら数日前から「雪が降る」と予測されていたからだ。んで、今日とうとう降った!!

午前10時。外気温3℃(36°F)。ちらちら降り始めた。家から少し離れた所へ買い物に行こうと計画していたが中止。近くの店で用を済ませた。午後になると雪の粒が大きくなり、だんだん大きなかたまりとなって次から次へと落ちてきた。

案の定、午後2時半ごろ学校から連絡が。子どものお迎えだ。学校は丘のトップにあるため、雪の量も半端じゃなかった。下よりも数倍積もっていた!

夕方4時ごろには降り止んでしまい、外で雪遊びをするほどには降らず。子どもも久しぶりにゆっくりできた感じ。そこで、「ジンジャーブレッドハウス」を作った。キットをコスコで調達してあったのだ。(写真で紹介できないのが残念。PC操作勉強しときます。)

私も久しぶりに(?)のんびりとし、「10 Years Yonger」というTV番組を見てしまった。内容はというと「ある人を素敵に改造する」というものだ。ビフォー&アフターの落差を楽しむというもの。

面白かったのは、モデルになる人が「改造前」に「透明のボックス」に入る。そして街頭の人の目にさらされ、「何歳に見えるか?」とアンケートをとられることだ。けっこうシビアなチェックが入る。そのアンケートの様子のVTRを、後ほど本人にも見せるというかなりつらい場面もある。ちなみに今回の人は、見た目の平均年齢が「42歳」だった。

それで、本人もショックを受け、改造に力が入るというわけだ。だって彼女の実年齢は「36歳」なんですよ!お肌と髪と服装とお化粧を、プロの手で改造してもらい再び「透明ボックス」へ!街頭100人のアンケート。すると平均年齢が「32歳に!!」本人大喜び。チャンチャン、というわけだ。

そういえば似たようなコンセプトの番組、日本でも見たことがあったな~。これに限らず、他にも似たようなものが!どちらがまねっこしたのか知らないが。(TV番組についてはまた後日書きます!)

それでは明日は、晴れることを祈って・・・。