橋本氏の著作2冊目を読了。以下の4編が収められている。
「気むずかしい赤胴鈴之助」
「誰が彼女を殺したか?」
「セーター騒動顛末記」
「恋愛論」
まず心に残ったのが「誰が彼女を殺したか?」である。
ここには、作家有吉佐和子氏との思い出やエピソードが書かれている。中でも「笑っていいとも!」に出演した時の裏話などが面白かった(私も偶然有吉氏の出演した場面を見たので)。有吉氏が生前意外なことに(?)橋本氏と交流があったことを知った。彼女の才能を認め、尊敬し、対等につきあっている橋本氏の姿に拍手を送りたくなった。(有吉氏は、才能がありかつ「お姫様」(おひいさま)的なところがあり、文壇やその周辺から恐れられていたようだ)。
そして、そんな彼女を「可愛い女」と断言している。すばらしい!!全くもって、男でそのような度量の広い人っているんだなーと感心した。(その理由が「恋愛論」で明かされるとはその時は知らなかった)
私も有吉氏の作品が好きで、以前よく読んでいた。私のいちおしは『悪女について』であるが、橋本氏もこの本と『出雲の阿国』を挙げている。絶対お勧めです!未読の方は是非!
「セーター騒動顛末記」では、氏がどうしてセーターを編むようになったのかそのきっかけを語る。またセーター騒動を通して周辺の人間を観察したり、若者を語ったり流行を語ったりしている。
さて本書タイトルの「恋愛論」。橋本氏の高校時代の「初恋」から今に至るまでの「恋愛」が語られている。これは講演会で話したものをまとめたもので「しゃべるように」書かれている。しかも、しばしば話がそれる、ずれる。話題が横道にそれてもそれなりに面白いのだが、後半この語り口調についていくのが、少々しんどくなってしまった。
橋本氏が高校時代に「恋心」を抱いた人というのが、同級生の「男の子」。自分の周りを取り巻く男子の行動や思考を詳しく分析する。また、自分の経験を通して「恋愛」を語る。男性だけでなく女性ともつきあう。どちらの性の考えも理解してしまえる人のようなのである。その分、いろいろと苦労もあったようであるが。
やわらかな口調の中に、時々漢字の多い文章が出てきて、おおっ東大・国文科卒!というのがしばしばうかがえる。なるほどなぁと思ったところを引用する。
<恋愛っていうのはやっぱり人間のやることなんだから、これをやるにあたっては技術っていうものもいるのね。それと、重要なことなんだけど、やっぱり恋愛っていうものには向き・不向きっていうものがあるのね。>
<はっきり言って、恋愛相手に出会えない人っていうのは、別に今恋愛なんかしなくたっていい人なんだもの。恋愛する理由も必要もないから、その人の前には”恋愛相手”なんていうものが出てこないっていう、それだけなんだよね。>
<その必要っていうのは、実に、その人の内側の感性レベルと関係を持ってるのね。早い話、ある程度以上の成熟がない限り、恋愛っていうのは無理ですね。>
<恋愛に必要なものっていうのは、実は”陶酔能力”なんですね。>
<陶酔能力っていうのはやっぱり、それを一人で持ちこたえられるかどうかっていうところがすごく大きいと思うね。ー中略ー感性が成熟したればこそ、感動とか陶酔とかっていう、言ってみれば社会的には自分をあやうくしちゃうものを自分の内部で持ちこたえることが出来るんだよね。>
というふうに延々と続く中で、恋愛と陶酔能力について考えさせられた。
<男と接点持ちたきゃバカになればいいんだもん。男ってのはその分、バカで鈍感なんだからサ、そういう男と接点持ちたかったらそうすりゃいいんだよね。ただし、俺には通用しない手だけど。俺、自分がバカやってたから、バカは嫌いで飽きてんだもん。困った男なんだけどサ、俺は。>
女性も、どんな男と接点を持ちたいかというのを念頭に置き、自分を表現していかないといけないと思った。
<はっきり言って、恋愛ってのは”口実”で出来上がってんのね。いかに自然でうまい口実を作れるかって、その一点で恋愛の成否は決定すると言っても過言ではないね。>つまり、<恋愛を成立させるものは、口実に結集されるような知恵ですよ。>
なるほど。確かにその通りかもしれない。自分で映画のチケットを入手しておきながら「友だちからチケットもらったんだけど…云々」と相手を誘ったり?確かにいろいろ「知恵」が必要ですね。
<おんなじ現実、おんなじ土俵、おんなじ舞台を持っているってことがなきゃ恋愛っていうのは成立しないってことは言ったけども、おんなじ土俵っていうのは、ただ一緒の場所にいる、付き合いがあるっていうだけじゃだめなんだよね。「好き」って言葉が登場出来るような、親密さの土壌っていうものがない限り、コンクリートの上に花は咲かないの。その土壌を二人で知らない内に作っていくっていうことが実は恋愛感情を育てて行くっていうことで、実に恋愛をして行くという作業は、恋愛っていう一人よがりの妄想を消していく作業でしかないのね。普通は「好き」って言う言葉が登場することによって恋愛が始まると思われてるらしいけど、ぼくに言わせれば、これは逆ね。「好き」っていう言葉が登場しうるってことは、それだけでもう、恋愛が終わりに近づいてるってことでしかないのね。この”終り”っていうのは勿論”破局”っていう意味ではないけど。幸福な終りーーハッピーエンドっていうことだけど。>
長々と引用してしまいました(ごめんなさい)。この部分が私にとって、とても印象深いところだった。本人いわく<「好き」っていう言葉を転がして転がして分かった結果だから、ちょっと簡単には説明できないんだけど>との前置きがある。それだけ、橋本氏が深く考えた上で出てきた言葉だと感じた。
本著によって知らない世界を知ったり、男性の本音のようなものが垣間見えたりしてとても興味深い本だった。しかしここまで自分をさらけ出せるって言うのも、一種の才能でしょうか。それとも自信の表れでしょうか。
「気むずかしい赤胴鈴之助」
「誰が彼女を殺したか?」
「セーター騒動顛末記」
「恋愛論」
まず心に残ったのが「誰が彼女を殺したか?」である。
ここには、作家有吉佐和子氏との思い出やエピソードが書かれている。中でも「笑っていいとも!」に出演した時の裏話などが面白かった(私も偶然有吉氏の出演した場面を見たので)。有吉氏が生前意外なことに(?)橋本氏と交流があったことを知った。彼女の才能を認め、尊敬し、対等につきあっている橋本氏の姿に拍手を送りたくなった。(有吉氏は、才能がありかつ「お姫様」(おひいさま)的なところがあり、文壇やその周辺から恐れられていたようだ)。
そして、そんな彼女を「可愛い女」と断言している。すばらしい!!全くもって、男でそのような度量の広い人っているんだなーと感心した。(その理由が「恋愛論」で明かされるとはその時は知らなかった)
私も有吉氏の作品が好きで、以前よく読んでいた。私のいちおしは『悪女について』であるが、橋本氏もこの本と『出雲の阿国』を挙げている。絶対お勧めです!未読の方は是非!
「セーター騒動顛末記」では、氏がどうしてセーターを編むようになったのかそのきっかけを語る。またセーター騒動を通して周辺の人間を観察したり、若者を語ったり流行を語ったりしている。
さて本書タイトルの「恋愛論」。橋本氏の高校時代の「初恋」から今に至るまでの「恋愛」が語られている。これは講演会で話したものをまとめたもので「しゃべるように」書かれている。しかも、しばしば話がそれる、ずれる。話題が横道にそれてもそれなりに面白いのだが、後半この語り口調についていくのが、少々しんどくなってしまった。
橋本氏が高校時代に「恋心」を抱いた人というのが、同級生の「男の子」。自分の周りを取り巻く男子の行動や思考を詳しく分析する。また、自分の経験を通して「恋愛」を語る。男性だけでなく女性ともつきあう。どちらの性の考えも理解してしまえる人のようなのである。その分、いろいろと苦労もあったようであるが。
やわらかな口調の中に、時々漢字の多い文章が出てきて、おおっ東大・国文科卒!というのがしばしばうかがえる。なるほどなぁと思ったところを引用する。
<恋愛っていうのはやっぱり人間のやることなんだから、これをやるにあたっては技術っていうものもいるのね。それと、重要なことなんだけど、やっぱり恋愛っていうものには向き・不向きっていうものがあるのね。>
<はっきり言って、恋愛相手に出会えない人っていうのは、別に今恋愛なんかしなくたっていい人なんだもの。恋愛する理由も必要もないから、その人の前には”恋愛相手”なんていうものが出てこないっていう、それだけなんだよね。>
<その必要っていうのは、実に、その人の内側の感性レベルと関係を持ってるのね。早い話、ある程度以上の成熟がない限り、恋愛っていうのは無理ですね。>
<恋愛に必要なものっていうのは、実は”陶酔能力”なんですね。>
<陶酔能力っていうのはやっぱり、それを一人で持ちこたえられるかどうかっていうところがすごく大きいと思うね。ー中略ー感性が成熟したればこそ、感動とか陶酔とかっていう、言ってみれば社会的には自分をあやうくしちゃうものを自分の内部で持ちこたえることが出来るんだよね。>
というふうに延々と続く中で、恋愛と陶酔能力について考えさせられた。
<男と接点持ちたきゃバカになればいいんだもん。男ってのはその分、バカで鈍感なんだからサ、そういう男と接点持ちたかったらそうすりゃいいんだよね。ただし、俺には通用しない手だけど。俺、自分がバカやってたから、バカは嫌いで飽きてんだもん。困った男なんだけどサ、俺は。>
女性も、どんな男と接点を持ちたいかというのを念頭に置き、自分を表現していかないといけないと思った。
<はっきり言って、恋愛ってのは”口実”で出来上がってんのね。いかに自然でうまい口実を作れるかって、その一点で恋愛の成否は決定すると言っても過言ではないね。>つまり、<恋愛を成立させるものは、口実に結集されるような知恵ですよ。>
なるほど。確かにその通りかもしれない。自分で映画のチケットを入手しておきながら「友だちからチケットもらったんだけど…云々」と相手を誘ったり?確かにいろいろ「知恵」が必要ですね。
<おんなじ現実、おんなじ土俵、おんなじ舞台を持っているってことがなきゃ恋愛っていうのは成立しないってことは言ったけども、おんなじ土俵っていうのは、ただ一緒の場所にいる、付き合いがあるっていうだけじゃだめなんだよね。「好き」って言葉が登場出来るような、親密さの土壌っていうものがない限り、コンクリートの上に花は咲かないの。その土壌を二人で知らない内に作っていくっていうことが実は恋愛感情を育てて行くっていうことで、実に恋愛をして行くという作業は、恋愛っていう一人よがりの妄想を消していく作業でしかないのね。普通は「好き」って言う言葉が登場することによって恋愛が始まると思われてるらしいけど、ぼくに言わせれば、これは逆ね。「好き」っていう言葉が登場しうるってことは、それだけでもう、恋愛が終わりに近づいてるってことでしかないのね。この”終り”っていうのは勿論”破局”っていう意味ではないけど。幸福な終りーーハッピーエンドっていうことだけど。>
長々と引用してしまいました(ごめんなさい)。この部分が私にとって、とても印象深いところだった。本人いわく<「好き」っていう言葉を転がして転がして分かった結果だから、ちょっと簡単には説明できないんだけど>との前置きがある。それだけ、橋本氏が深く考えた上で出てきた言葉だと感じた。
本著によって知らない世界を知ったり、男性の本音のようなものが垣間見えたりしてとても興味深い本だった。しかしここまで自分をさらけ出せるって言うのも、一種の才能でしょうか。それとも自信の表れでしょうか。