SCQ's Blog

7L4SCQのお手軽移動運用と気まぐれ日誌

東北地方太平洋沖地震/東日本大震災

2011-03-13 | 独り言
東北地方太平洋沖地震/東日本大震災、すごい地震でした。(長文失礼します)

5階オフィスで仕事をしていたら、地震発生。ものすごく長い時間の、横ゆれ。
女子社員は、机の下に隠れたり、入り口のドアを開けたりしていた。
大きなキャビネットは、つっかえ棒が効いて、倒れずに済んだが、縦置きのPCは、倒れているものがあった。
ワンセグでテレビを… 「宮城の地震で、なんでこんなに強いんだ」と思っていたところに、茨城沖で地震。これも、強かった。
休館と新館をつないでいるコンクリートのようなものが、壁から落ちていた。いくつか、ひびも見られた。

会社から、駐車場に避難するようアナウンス。東京湾が近いところなのに、下りるのかと思いながらも、ビルに残るのも危ないので、下りることに。
貴重品とラジオとハンディ機を持って駐車場へ。消防無線にセットし、プチフォンで聞いていたら、都内でもいくつか火災が起きてた。
どれくらい駐車場に避難していたかわからないが、待機解除になり、また、5階にあがった。

ここからは、仕事・・・サービスを供給しているので、全サービスの動作を確認。
どうしても、仙台地区のサービスだけ、確認ができない。先方に電話するも、つながらない。大きな影響を受けていることは間違えないので、仕方ないと判断。
夕方に各所に連絡を追え、一段落。

18時頃に、メンバー何人かで買出し。コンビニには食べるものがなかったと、別の店で、お菓子と練り物(薩摩揚げなど)とビールを買って来てくれた。
つまみながら飲むスタイル。。。

19時過ぎから、ワンセグから、テレビに切り替える。東北の画像を見ていると、すごい大惨事であったことを、改めて感じた。

19時半くらいに、アナウンスがあり、非常食の配布があるとのこと。代表者に取ってきてもらった。アルファ米にお湯を入れて食べるもので、わかめご飯か、きのこご飯の2種類があった。

JRは、早々に、今日は運転しないと宣言していたので、帰宅をあきらめる。
自宅との連絡は、地震直後のメールと、19時過ぎのメール。。。電話はつながらないが、メールは、どうにかつながり、安否の確認を完了。
しかし、家自体、風呂場や外壁のタイルが落ちていたり、私のガラクタ置き場は、悲惨な状態とのこと。帰るのが怖い。。。

結局、会社の机で、うたた寝をしていた。

夜中のテレビ映像は、火災。。。。明け方から、津波の影響が、テレビ画像に写された。ヘリからの映像なので、詳細はわからないが、木造家屋は、ことごとくなくなっていた。

8時くらいに、自宅に電話。この時間は、電話がつながりやすかった。
夜は、余震もあり、怖くて、テレビを着けて1階にいたらしい。

朝の9時。昨日動かなかったサービスを再確認。やっぱり動いていない。ダメもとで先方に電話。なんとつながった。
停電と通信網の遮断で、サービスを供給しきれないので、サービスはメンテ状態にしたとのこと。いつでも、システム再開してくれれば、サービスは供給できる旨お話した。

さて、この段階で家に帰るか、悩む。夕方から、作業があるから、また来ないといけない。でも、家のことも気になり、中止になることを期待し、帰ることにした。
会社を最後に出て、鍵をかけようとしたら、かからない。どうやら、地震の影響で、ドアの鍵がずれてしまってかからないらしい。ちょっと体重をかけたら、鍵をかけられた。このビル、本当に大丈夫なんだろうか…

10時くらいに駅に着いた。京浜東北線は、混み混みで乗り切れない。山手線内回りは動いていたが、乗れるかわからない・・・ となんとラッキー 始発電車としてきました。誰も乗っていない電車に乗り、かつ座れた。
しかし、30km/H以下ののろのろ運転。上野駅まで、いつもの3倍を要した。
上野で、高崎線・宇都宮線に乗ろうと思ったが、ホームを見ると、電車が来ていなくて、ホームにたくさんの人が並んでいた。あきらめて、京浜東北線に乗ることにする。
1台見送って、2台目にどうにか、乗り込めた。超満員電車で、大宮方面へ。少し空いたなぁ~と感じたのは、蕨を越えてから。
結局家に着いたのは、12時45分くらい。3時間半もかかった。

自宅に入る前に、なんと、電話線が垂れ下がっていた。電柱から引き込みをしているが、かなりのテンションがかかって、家につないでいる釘のようなものが、抜けて垂れ下がっていた。
家に入り、風呂を見ると、タイルが一部はがれていた。そして、2階にあがると、自分のものは、もう悲惨。。無線機が落ちていたり、QSLカードが落ちていたり… ありとあらゆるものが、落ちていた。一番ドキッとしたのが、PC。これが壊れると、すべてのQSOデータや写真類がなくなってしまう。改めて、バックアップが必要であることを感じた。

風呂に入り、久し振りの食事。暖かいご飯を食べられるのは、うれしいものだ。
テレビには、被災地の映像が。。。レポーターが現地に入り、画像を映し出していたが、大きな公共施設以外は、360度何もない。どうみても、家があったはずなのに…
津波が来て、家や車を飲み込んでくる映像が流れてくる。子供が泣いている声も聞こえる。目の前で、自分の家や街が飲み込まれていくのを見るのは、とても辛いことだ。

SOSと屋上に書かれていたり、救援物資を欲しいという声も聞こえる。ひどい状況であることはわかった。
マスコミのヘリを、各社飛ばす必要はないのではないかと感じた。1機飛ばして、画像は、共通。他のヘリは、皆、救援物資を運ぶのに使う方がいい。なぜ、各社そういうことを提案しないんだろうか…こんな状態で、視聴率争いもないだろうに。

ちょっと仮眠をしていたら、会社から電話。今日の作業は中止とのこと。当たり前だと思いながらも、ホッとする。
夕方に、東電が来た。電話線が垂れていたのを、電気と間違えて電話をしていたとかみさんから聞いていた。とりあえず、垂れているのを保全してもらう。隣の家は、電気線を引き込んで家に打ち込んだアンカーのボルトが折れていると、東電が気がつく。それだけすごいテンションがかかったことを、改めて知る。

夕方から、自分のところの散らかったところを片付け始める。落ちているものを拾っていると、どんな順番に、倒れてきたかがわかる。
PCを拾い出し立ち上げたら、立ち上がった。ディスクが一番心配だったので、全ファイルをアクセスするために、ウィルスチェックをかけたが、無事に完了。
再立ち上げして、ネットにつないで、問題ないことを確認。良かった。

家族4人で、食事を食べる。ほっとする。
下の子は、テレビを見るのが怖いらしい。前に撮ったDVDを見て、気を紛らわせた。

夜になり、緊急地震速報が2回。なんで、夜だけなるんだと思ってしまう。でも、疲れているのか、下の子は目を覚ますこともなく、寝ていた。

無線の方は、どうなんだろうか。。。と思って、JARLのページを見た。

JARLでは、東北地方太平洋沖地震に際し、JA7RL/7 ほかRL局において、主に7.030MHz SSBにより非常通信のワッチを実施しています。非常通信用周波数をクリーンな状態に保てるようにご協力をお願いします。

うちも被害を受けているが、東北に比べたら、とても軽い。
まだまだ、余震は続くであろうが、これ以上、被害が大きくならないことを望む。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れさまでした (JN1BBO)
2011-03-13 10:28:42
私は徒歩帰宅でしたが、電車も大変でしたね。

7.030の非常通信を邪魔する人がいるのは非常に悲しいです。
7.043でも情報収集のQSOがなされています。

まだ余震が続いていますので、お気をつけて。
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Re;お疲れさまでした (SCQ)
2011-03-14 00:08:44
震災後、7MHzなどの非常通信は聞いていませんが、邪魔する人がいるんですね。
自分が、当事者にならないと、わからないんでしょうかね。
悲しいし、淋しいことです。

明日から、計画停電ですね。
初めてのことなので、どんなことがおきるか、心配です。
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お疲れ様でした (JN1KWR)
2011-03-14 07:19:27
いろいろと大変だったようですね。お疲れ様でした。
計画停電が始まると仕事の方でも対応に追われそうですが、乗り切るしかありませんね。頑張りましょう。
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