寛弘2(1005)年
いよいよまひろ宮中へ出仕。
藤原氏の出、為時が式部省蔵人だったことから、籐式部とよばれます。
いつ紫式部に変わるのでしょうか。
藤壺にて、まひろの役目は、物語を書くことです。
周りのざわざわに、集中できないまひろ。
道長に、里で書きたいと申し出ます。が、なかなか許しが出ません。
どうしても里に帰って書きたいと言うまひろ。
彰子を見つけるまひろ。
彰子が、まひろに対して、好きな色は、空の青だと言います。
なぜ彰子は、まひろに心を開いたのでしょうか。
里に下がる挨拶をしに来たまひろに。
里に帰ったまひろは、物語の執筆がはかどります。
よくわかりませんが、物語を作り出すには、環境、大事だと思います。
寛弘3(1006)年
陣定で、伊勢守の人事で、もめます。
右大臣は、平維衡をすすめ、反対する左大臣・道長。
道長は、武で争う者を任じて良いのかと。
道長は、伊勢守に、平維衡を任じますが、帝に速やかに交代するよう進言。
道長は帝に、「今は寺社ですら武装し、武力で土地を取り合っている。さらに国司になるようなものが弓矢を専らにするようになればどうなのか」「 武力を盾にして、朝廷を蔑ろにする者が出てくる。血で血を洗う世にならぬよう、この国のためを思えばこその諫言だ。」
さすがに、道長の言葉に心を動かされる帝。伊勢守を交代させると約束します。
道長が、だんだん、権力者らしくなってきました。
以前は、権力に無頓着だったはずなのに。
地位が人をつくると言いますね。
まひろの物語、続きができあがります。
左大臣に渡すと彰子に報告。
帝が読むものを自分も読みたいと言う彰子。
これまでのところを話すまひろ。
続きは、藤壺で書くと言うまひろ。
なぜでしょうか。たぶん、彰子に物語を語って聞かせたことで、彰子のそばで続きを書きたいと思ったのでしょう。
帝が、まひろに会いに来ます。
最初は、腹がたったが、心にしみいっていったと。皆に読ませたいとまで言われます。
褒美は、扇子。
幼き頃のまひろと道長が描かれていました。
大和から僧兵が都へ押し寄せてきました。
道長に面会に来たのは、興福寺の定澄。
「我らの訴えを陣定でとりあげよ、さもなくばこの屋敷を取り囲み、焼き払い奉る。」
「やってみよ。」と言う道長。
え~~~?どうなるの都。
まだ武力が力をもつ時代ではありませんよね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます